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コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

日程不透明

2009-03-25 | Weblog
ベナン政府から、3月19日に信任状捧呈式を行うから来てくれと言われた。半年の間、この日を待たされていたので、私は喜び勇んでコトヌに到着したわけである。しかし、本当に式が出来るのか、最後まで、はらはらしどおしであった。ベナンについては、この間の署名式典でもそうだったように、どうも日程が不透明になる。といっても、今回はベナン側の問題ではない。ガボンのボンゴ大統領夫人の死去、という出来事による。

さてコトヌに着いた私は、18日にベナン外務省に出向いた。翌19日に予定されている信任状捧呈の手順の説明を受けるためである。説明に現れた、ベナン外務省の儀典局長は、開口一番、口ごもりながら言う。
「たいへん申し訳ないのですが、明日の信任状捧呈式が、延期になりました。」
ええっ、ここまで来たのに、と驚く。
「ボンゴ大統領夫人が昨日お亡くなりになったことは、ご存知でしょう。アフリカ首脳どうしの親交上、明日の葬式にヤイ大統領も出席します。従って、明日は信任状捧呈式ができません。明後日(20日)にします。」

葬式に出席するといっても、午後に会社を休んで知人の葬式に出てくる、というのとは訳が違う。隣の隣の、そのまた隣の国まで行かなければならない。そして相手は大統領夫人である。式典がお焼香だけで終わるわけはない。19日の一日のうちに、式典を済ませて帰って来れるだろうか。私は、これは難しいことになったと思った。
「そうですか、それでは仕方ありません。大統領のお帰りをお待ちします。」
と言って、私は儀典局長のもとを退席した。しかし心は落胆して、机の上にあった儀典局長の大事な書類を、間違えて鞄に入れて持って帰ってしまう始末であった。

ということで、翌日の19日、ヤイ大統領はガボンに飛んでいってしまった。私は、とつぜん空いた時間に、本来は信任状捧呈の後に予定していた閣僚との会談などを、前倒しして入れた。このあいだの署名式典のときに日程変更でキャンセルになった、クパキ開発相との会談約束も、今回は実現したのである。クパキ開発相が、私に教えてくれる。
「ご存知の通り、お亡くなりになったボンゴ大統領夫人というのは、コンゴ共和国のサスンゲソ大統領の娘さんですからね。葬式はガボンのリーブルビルで行われますが、埋葬はコンゴのブラザビルです。」

なんと、ヤイ大統領は、ガボンで葬式を終えた後、コンゴに移動しなければならない。そして、そこで埋葬式典である。私は、難しいどころかこれは駄目だ、と思った。クパキ開発相に、ヤイ大統領は本日中に帰ってこられるのでしょうか、と恐る恐る聞く。
「いやぁ、大統領が今どこに居るのか、いつ帰るか、私にも全く心当たりがありません。」
内閣の筆頭大臣(注:ベナンには首相職は置かれていない)であるクパキ開発相でさえ、このベナンでは日程不透明なのであるから、私がどう思い悩んでも仕方がない。

おそらく、その日の夜までに再び連絡が入って、申し訳ないが今回は信任状捧呈が出来なくなったと言われるだろう。私はそう考えていた。ところが、夜になっても、そのような連絡がなかった。それだから、当日の20日には、朝早く起きて半信半疑ながらも準備をした。言われた時間に、待機場所に指定された外務省に赴いたら、打ち合わせてあったとおりに、儀典官が待っていて、打ち合わせてあったとおりに、私は車に乗せられて、白バイの先導で大統領府に向かった。どうも大統領はちゃんと帰国しているらしい。本当に式典が行われるのだ。

大統領府では、外に儀杖兵が並んでいて、私の到着とともに、吹奏をはじめた。ゆっくり赤絨毯の上を歩きながら、閲兵を行う。私は、式典の緊張感より、今日中に信任状捧呈を行うことができるという安堵感でいっぱいだ。儀杖隊長の敬礼を受け、私も握手をして、大統領府の建物に入った。控え室に入り、私と一緒に信任状捧呈を行う予定の、スイス、トルコ、韓国の大使夫妻に挨拶をする。皆、私と同じ安堵を顔にあらわしている。

私の順番が呼ばれた。いよいよヤイ大統領と面会して、信任状を渡す儀式がはじまる。日程不透明でずっと不安があっても、最後の最後には、ちゃんとやるべきことが出来ている。どうも、ベナンはそういう国なのである。そして、やはりあれこれ心配した私だけが、損をしている。

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