コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

監獄はゴミ箱に非ず

2010-10-05 | Weblog

アビジャンの監獄に、私はすでに何度も足を運んでいる。地元のロータリークラブが、囚人にいろいろな支援物資を届ける活動を続けている。私はその活動に付き合って、監獄の中を訪れている。

監獄、と聞くと、日本の刑務所のようなものが頭に浮かぶだろうか。冷たいコンクリートの壁で囲まれた、静かで整然として官僚的な空間。そこで、囚人たちは、地味な囚人服を着て、一日のほとんどを独房か雑居房か、いずれにせよ建物の中に拘束され、鉄格子の部屋に寝起きし、厳格な時間割に従い、規律正しい生活を送っている。

というのと、およそかけ離れているのが、アビジャン監獄である。高い塀に囲まれて隔離された、敷地15ヘクタールのだだっ広い空間に、5階建ての鉄筋コンクリートの棟が並んでいる、というところまでは、普通の監獄の姿であろうか。どこが違うかというと、その敷地に囚人たちが群れていることである。囚人服など無く、勝手気ままな格好をしている。そして、ちょうど休憩時間の学校の運動場のように、囚人たちは建物の外に出て、あちらこちらを歩き回ったり、あるいは何人か集まって座っている。

はじめてアビジャン監獄を訪れたときには、その光景に唖然とした。監獄というのは、未決囚であれ服役囚であれ、囚人の行動の自由を奪う場所ではないのか。部屋に収容しないのか。そう聞く私に、監獄長は答えた。
「部屋が全然足りないのです。」
何と、アビジャン監獄の定員は、1500人。そこに5400人が収容されている。4倍近い定員超過である。一人当たりの部屋の床面積は、もう1平米を切っている。だから、夜間は建物の中に戻らせるとしても、昼間は牢屋から解放して外に出さないと、収拾がつかない。

敷地の中では、机の周りに座って雑談をしている人々に交じって、品物をうず高く積み上げている人もいる。あれは何ですか、まるで店を出しているように見えますが、と監獄長に聞いた。
「店を出しているのです。家族からの差し入れで手に入れた品物を、ああやって売っています。」
なんと商業活動さえ行われているとは、頭が混乱する。

一定の区画から出られないとはいえ、牢獄の中に監禁されているわけではない。昼間は構内を、自由に歩き回り、雑談にふけっている。外からの差し入れの物資をめぐって、商売をしている連中さえいる。ずいぶん自由で、気楽そうではないか。そういう印象を口にすると、監獄長はとんでもない、と言う。
「食糧が全く足りていないのですよ。多くの囚人は、慢性的な栄養失調にあるのです。ここの囚人たちは、一日にお椀一杯の芋と、肉が数切れ入ったスープくらいしか、食料の割り当てがありません。監獄を管轄する官庁である司法省からは、限られた予算しか下りてこないのです。とても5400人が食べていくほどの食糧は買えない。」

そもそも、台所もあくまでも1500人収容ということで作られているので、5400人分の調理能力はない。加えて、調理機は古くて故障も多く、効率は悪い。たしかにこれだけの数の囚人に、十分食事が供給できているとは思えない。それでも、構内にいる囚人たちは、そんなに飢餓状態にあるようには見えないが。
「外に出て、元気そうに見えるのは、家族など外部から差し入れがある囚人だけです。外からの差し入れの食糧を、仲間で分け合って食べているのです。多くの囚人は差し入れもなく、建物の中で飢えた状態にいます。それから重罪犯は、そもそも鉄格子の外には出られません。重罪犯の囚人たちは、食糧が足りないので、もう立ちあがる気力も失っています。」

私はその重罪犯が収容されている、「C棟」の中も視察した。2階建ての小ぶりな建物の、各階に薄暗い部屋が何室かある。その各室に、およそ30人くらいずつ、あるいは座りあるいは横になって、私の姿を見ても無口にじっとしている。部屋にテレビが1台鳴り続けている。でも、それを誰も見ている様子ではない。長年の拘束生活により、人間の精神を置き忘れたような表情をしている。そして、多くは痩せこけた手足で、明らかな栄養失調。寝ている一人は、お腹の皮膚がただれて、穴が開いていた。典型的な症状である。

専属の医者は、3人いるけれど、そもそも治療用の医薬品が回ってこない。よほどの重病にならないと、外の病院にも行けない、という。そもそも、人間として生命を維持するだけの食糧が供給されていないなんて、これは人道問題ではないですか。頭が混乱して、私はつい思った通りのことを口にしてしまう。監獄の管理責任者を前にして。
「そう、たいへんな人道問題です。私には、彼ら囚人たちを守る責任がある。その責任者として、この状態を何とかしなければ、と訴え続けているのです。でも、聞いてもらえない。」
監獄長は、私の指摘に気を悪くするどころか、大いに鬱憤を語りはじめた。

囚人の生活を確保するだけの、予算と設備が足りないという問題だけではない。なんとこの監獄には、裁判を受けることもなく、ただ拘束されている未決囚がたくさんいる。この人々は気の毒で、罪状の上からは3ヶ月程度の禁錮にしかならないのに、もう何年も未決のまま収監されたままになっているような人々が、860人もいるという。司法手続きを早く開始してくれ、と裁判所に訴えようとしても、裁判所は手いっぱいで受け付けない。つまり、司法の機能不全である。

政府が、囚人や未決拘留者の人権に、責任をもって取り組まなければならない。どうしてそうならないのか。私の問いに、監獄長は答える。
「国際赤十字も、実情を見てこれは酷いということで、政府に訴えてくれています。それでも政府当局は冷たい。国内の貧困対策が先だ、一日に必要な量の食糧が食べられないでいる人は、国中にまだたくさんいる。医療だって、多くの国民には届いていない。まじめに働いても飢えている人を何とかするほうが先だ、囚人などに回す予算はない、という理由です。」

政府だけでなく、コートジボワールの国民がみな、囚人には冷たい、と監獄長は言う。
「コートジボワールの人々は、監獄を人間のゴミ箱と思っているのです。悪いことをした人を捕まえて、このゴミ箱に放り込んで、あとは忘れる。人々のまわりに、犯罪者にはいてほしくない。だから、見えないように監獄に捨てるのです。捨てたゴミですから、監獄の囚人たちのことは忘れて、あとはもう何もしない。」
監獄長の言葉には、怒りがこもっている。

監獄というところは、秘密主義の蔽いで隠されているものかと思っていたら、監獄長はどこでもしっかり見てくれ、と言う。しっかり見て、あなたからも、現状を訴えてほしい。
「囚人にだって、人間の尊厳があるのです。」
監獄長は、最後にそう訴えた。

 アビジャン監獄(MACA)の玄関

 ここからが、監獄の内部

 奥に広がる構内には、囚人たちが歩いている。

 塀のむこうは獄舎

 鉄格子の入った獄舎の窓

 重罪人を収容する「C棟」
(写真に写っている人は監獄の官吏で、囚人ではありません)

 台所は設備も古く、十分な調理能力がない。

 調理器具はかなり傷んでいるが、更新や修繕の予算がつかない。

 欧州連合(EU)の協力で、職業訓練棟が新設されている。

 囚人に木工訓練が行われるなど、ここは健全な様子である。


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