岩淸水

心を潤す

女峰山

2010年11月03日 12時27分35秒 | 言葉の説明

 日光国立公園

女峰山【岩淸水・言葉の説明】 女峰山

 

 女峰山 (にょほうさん)

女峰山(にょほうさん)は日光市の北側、男体山の北東約 7km地点にある標高2,483mの成層火山である。日光三山のひとつ。日本二百名山のひとつ。
かつては旧・日光市と旧・栗山村(現在は日光市に合併)の境とされた山で、女貌山、女体山とも呼ばれる[1]。いわゆる日光表連山の東に位置し、日本国内では女峰山より東にこれより高い地点はない。山頂には二等三角点「女峰山」(標高2,463.5m)が設置されている。

2020 03 01 意地悪の様だが【わが郷】開析が進み、峰峰が風雪に削られて 
極めて峻険な風貌ではある。
画像は、【岩淸水】にて撮影、添付した。2019 04 04

35万年前ころから噴火をはじめ、平均して1万年に1回の割合で噴火を繰り返したが、8万6000年前を最後に噴火を停止し、開析が進んだため山頂は鋭くなり、日光連山の中で最も尖った外観となっている[1]。浸食によりえぐられた山頂の火口は、約3kmほどの馬蹄形をしており、その西の峰が女峰山、東の峰が赤薙山と呼ばれ、西の帝釈山とも、日光三剣の1つ「剣ガ峰」とされるやせ尾根でつながっている[1]。

火口壁はいまも崩壊を続けており、数100mの絶壁がみられる[1]。

日光市霧降高原キスゲ平園地【岩淸水・言葉の説明】
【岩淸水】にて、情報の補足をすれば、

今は霧降スキー場は撤去されて、代わりに立派な園地として整備されている。上の画像をクリックすれば、その 日光市霧降高原キスゲ平園地 の項目の記事が開く。

 

日光三山のひとつである女峰山は山岳信仰でも知られ、修験道の修行である「日光三山掛け」の一番山とされる[1]。男体山の祭神が大国主神であるのに対して、女峰山の山頂には滝尾神社の奥社があり、大国主命の妃の一人、田心姫命(たごりひめのみこと)を祭る。
登山道には、日光市内から黒岩の頭、唐沢小屋を経由する長い尾根をたどるもの、霧降高原からリフトを利用し赤薙山を経由するもの、小真名子山との間の富士見峠から帝釈山を経由するものの3本がある。その中では、山岳信仰が盛んだったころの修験者の道である、日光二荒山神社からの道が主だが、道程の標高差が1800mもあり、登頂まで6時間を要する[1]。長い尾根沿いの登山道は、登山愛好家の間で女峰の馬鹿尾根と呼ばれ親しまれている。最近は霧降高原から登る人も多く、こちらは約4時間20分を要する[1]。

山頂からは、日光連山、会津、越後、那須、筑波山、富士山などの山々を展望できる[1]。山頂の南東側にある雲竜渓谷は、稲荷川の源泉をなしており、深い谷に七滝をはじめとする多くの滝をかけており、冬場の氷瀑登りで知られる[1]。
(wikipedia)

 

 

天空の回廊という、長い階段を登ってゆくと、右側に見えるまあるい山が、丸山なのだ。

 
  2018 05 05 撮影

丸山【岩淸水・山】 丸山 日光の山

 

 

 

 

 女峰山【岩淸水・言葉の説明】  水遁の術。 わが郷

 

 

 2018 06 13【わたしの里・日記】霧降高原 霧降高原

霧降の天空の回廊という、1445段の階段を上がる。それから上にキスゲ平を上り詰めると、赤薙山へ向かう樹林の中の登山道となる。この手前の笹原の尾根道。これが、見晴らしが良い。本日は、キスゲの開花具合を探るのが目的だった。しかしほとんど、まだ咲いていない。ならばと、リハビリの足慣らし。行けるところまで行こうという。P2203メートルまで行って、その先の P2209が見えたが、いったん大きく谷をくだらねばならない。それで、此処では心が挫けた。イワカガミの大群落を写真に納めつつ。帰ることにした。そして、眺望の開ける、例の笹原でおにぎりをほおばる。ひと休みして、三脚も取り出し、南半分は霧に覆われる。そして北側半分は、ト゜ーピーカン。この絵を切り取って、今日は良しとする。(2018 06 13) 

 

 

 

 菅沼【岩淸水・言葉の説明】

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