救難飛行艇 US-2
海上自衛隊が運用する救難飛行艇。製作は新明和工業。US-1Aの後継となる機体である。
US-1AからUS-1A改へ
US-1Aは優れた飛行艇であったが、いくつかの問題も抱えていた。特に海上自衛隊からは、離着水時の操縦性の改善・患者輸送環境の改善・洋上救難能力の維持向上などが要求されていた。これらの課題に対して、US-1Aの近代化に向けた研究は新明和工業社内で1991年(平成3年)から行われており、防衛庁(現 防衛省)の指名によるUS-1A改開発は1996年(平成8年)10月から新明和を主契約会社、川崎重工業、富士重工業及び日本飛行機(日飛)を協力会社として開始された。
[編集] 贈収賄事件
ところが、1996年のUS-1A改・試作製造分担の決定等に際し、富士重工業が希望する担当部位を有利にしてもらうために当時の防衛庁政務次官に接触、報酬として500万円が授受された事が発覚、1998年(平成10年)末に富士重工業の会長と前専務、元政務次官中島洋次郎(富士重工創業者の孫にあたる)が贈収賄容疑で逮捕、起訴され、後に執行猶予付き有罪判決を受けた。中島洋次郎 死の訴追とか死をそのままに鵜呑みするのか、それともこれは大津市の中学で起きた「いじめによる自殺」と同じように、その実態は米穀とその手先どもの狂言と採るのか。わが郷の左近尉は、此処に限りなくキムチくさい謀略のにおいを感じている。
同年12月15日に防衛庁は制裁措置として、「真に止むを得ない物」を除いて富士との取引を1年間停止し、初等練習機・遠隔操縦観測システム(FFOS)・小型爆弾放出装置の研究開発と予算獲得も見送るとした。
US-1A改の開発は、平成10~11年度(1998~1999年度)の2年間を「試作担当会社の担当部位の固定につながらない範囲」で、開発継続に必要となる設計などを行うこととし、平成8年度以降の契約における富士重工業の参加については代替の可能性を検討する、とした。結局、富士重工業は担当を外れ、新たに三菱重工業が全体の開発に加わって2000年(平成12年)度から開発が再開された。
生産分野は、新明和が主要部と総組み立て、三菱が外翼・後方ナセル・水平尾翼・方向舵、日飛が主脚バルジを担当、川崎も分担生産に参加している。
[編集] 試作機ロールアウト
試作1号機(シリアルナンバー:9901)は2001年(平成13年)7月から組み立てが開始され、2003年(平成15年)4月22日にロールアウト、社内試験を経て12月18日に初飛行に成功した。白地に赤を配したカラーリングコンセプトは「丹頂鶴」で、2004年(平成16年)3月24日に防衛庁へ納入された。
試作2号機(9902)は半年遅れて2002年2月より組み立てられ、2004年春に完成、6月30日に初飛行した。白地に青のカラーリングコンセプトは「刀」12月7日に納入された。
なお、新明和部内ではそのストライプ塗色より、一時期、試作1号機を「JAL仕様」、2号機を「ANA仕様」と称していたことがあったが、定着しなかった。機体尾部には開発期間中の呼称「US-1A kai」のデザインロゴが描かれていた
スペック
乗員 - 11人
全長 - 33.25 m
全幅 - 33.15 m
全高 - 10.06 m
最大離着陸重量 - 47.7 t
最大離着水重量 - 43.0 t
エンジン - ロールスロイス AE2100J ターボプロップ×4
出力 - 4,591 shp×4
境界層制御 - LHTEC T800を使用
最大速度 - 315 kt(約 580 km/h)
巡航速度 - 260 kt(約 470 km/h)
航続距離 - 4,700 km(約 2,500 海里)
巡航高度 - 20,000 ft(約 6,100 m)以上
実用上昇限度 - 30,000 ft(約 9,150 m)以上(未公表)
離水滑走距離 - 280 m (43 t時)
着水滑走距離 - 310 m (43 t時)
( Wikipedia より抄出して、編集を加えた。 )
辛抱の遭難と好運 【日比野庵 本館】
もう一つは、救援に向かった、空自がUS-2を派遣したこと。US-2については、「P-1配備とUS-2輸出」のエントリーで、その性能の凄さを取り上げたけれど、今回の救出劇では、その威力を存分に発揮した。
辛抱氏らが遭難した現場は波高3~4m、風速16~18mという状況。こんな状況で、着水できる飛行艇は世界の中でもUS-2だけ。空自はこのUS-2を5機保有しているのだけれど、その内2機を辛抱氏らの救助に派遣した。もしも、US-2を持たない他国だったら、飛行艇による救助はハナっから諦めるしかなかった。これがもう一つの好運。
(はたして、オスプレイでこのような困難な救難活動が出来るのかな。)