ウラジーミル・イリイチ・レーニン
(ロシア語: Влади́мир Ильи́ч Ле́нин、1870年4月22日 – 1924年1月21日)
ロシアの革命家、政治家。
優れた演説家として帝政ロシア内の革命勢力をまとめ上げ、
ロシア革命を成功させた。革命の指導者として、あたかも信仰の対象のように、聖人化されている。
ソビエト連邦およびソ連共産党(ボリシェヴィキ)の初代指導者を務めた。
マルクス主義(共産主義)理論の研究と普及にも尽力した。
後日、マルクス・レーニン主義という体系にまとめられた。
本名はウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフ(Владимир Ильич Ульянов)。
1870年、ヴォルガ河畔のシンビルスク(現ウリヤノフスク)にて、アストラハン出身の物理学者イリヤ・ニコラエヴィチ・ウリヤノフとドイツ・スウェーデン系ユダヤ人(ロシア正教に改宗していた)のマリア・アレクサンドロヴナ・ブランクの間に生まれる。父方の祖父は解放農奴出身の仕立屋で、曽祖父はモンゴル系カルムイク人(オイラト)であった(曾祖母はロシア人であったという)。この様に幾つもの民族や文化が混じるウリヤノフ家は帝政ロシアの慣習から見て「モルドヴィン人、カルムイク人、ユダヤ人、バルト・ドイツ人、スウェーデン人による混血」と定義された。一族の慣わしにより、ウラジーミルはロシア正教会の洗礼を施された[2][3]。ソ連はのちにシンビルスクを「ウリヤノフスク」と改めた。
父イリヤは物理学者としてだけでなく、著名な教育者(ドヴォリャンスキー学院の物理と数学の上席教師でニコライ・ロバチェフスキーとは大学時代からの親友だった)でもあり、その学者としての活躍を皇帝に評価されて1882年に貴族に列せられた地元きっての名士だった。当然、息子のレーニンも貴族に属していた訳であるが、父は貴族の地位に甘んじず奴隷や貧困といった階級問題を息子達に伝える努力を惜しまなかった。父の影響により生じたレーニンら子供達の価値観はより貧しい階級や異民族への同情と、階級制度への嫌悪を育む事になる。事実、1歳で早世した次女オルガ・イリイチナ・ウリヤノヴァ、19歳の若さで早世した三女オルガ・イリイチナ・ウリヤノヴァ(姉と同名)、生まれた年に亡くなった三男ニコライ・イリイチ・ウリヤノフの3人の子供達を除けば、レーニンを含むウリヤノフ兄弟姉妹5人全員が革命家の道を選んでいる。
( wikiedia )
2011 06 07 後藤田正純議員が不倫キス なんて些細なこと 【わが郷】