文化の日(ぶんかのひ)は、日本の国民の祝日の一つである。日付は11月3日。(wikipedia)
などと学校では教えられ、
マスコミなどもこのように宣伝している。
しかし、この憲法は 進駐米軍による戦後支配体制の、ひとつの欺瞞的な "押さえつけの道具" にすぎぬ。
そもそも、11月3日は明治天皇の御誕生日であり、戦前の日本では明治節として祭られていた。それが、戦後新憲法の記念日とはならずに、憲法公布の日で、その名を『文化の日』とされた。この明治節が文化の日となったについては、紆余曲折があったのだろうが、Wikipediaには明快な答えは書かれていない。日本は米国などの連合国に侵略されて、台湾と朝鮮を失い、千島列島と樺太南部も奪われた。小笠原とか南西諸島は返させたが、ロシアは北方領土を奪ったままである。
大都市への焼夷弾爆撃と、広島・長崎への原子爆弾の投下により、先帝陛下はやむなく終戦を決意された。
進駐軍は不当にも、わが日本国の指導者の多くをとらえて、無法な東京裁判を蛮行し、絞首刑にした。
このような暴力による強要の結果、デッチ上げられたのが昭和憲法つまり現行憲法である。
つまり、『文化の日』とは、流血と脅迫によって歴史を書き換えてゆく。このような野蛮きわまりない、欧米文化が日本に押しつけられた。その忌まわしき記念日なのだ。 このようなモノを祝えと強要するのは、侵略国側の犬でしかない。
以下の記述は、この強要された憲法の作られた経緯の、上っ面を記している。
参考までに載せておく。
歴史[編集]
文化の日は、国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条によれば、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨としている。
1946年(昭和21年)に日本国憲法が公布された日であり、日本国憲法が平和と文化を重視していることから、1948年(昭和23年)に公布・施行された祝日法で「文化の日」と定められた。日本国憲法は、公布から半年後の1947年(昭和22年)5月3日に施行されたため、5月3日も憲法記念日として国民の祝日となっている。
休日としては、1873年(明治6年)に公布された年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム(明治6年太政官布告第344号)以降1911年(明治44年)までは天長節、1927年(昭和2年)に改正された休日ニ関スル件(昭和2年3月4日勅令第25号)以降1947年(昭和22年)までは明治節として、明治天皇の誕生日による休日となっていた。
文化の日は上記の経緯と関係なく定められたということになっているが、当時の国会答弁や憲法制定スケジュールの変遷をみると、明治節に憲法公布の日をあわせたとも考えられる[1]。
一方、祝日法制定当時、参議院文化委員長として祝日法制定の際中心的役割を担った山本勇造が政界引退後に書いた当時の回顧録「文化の日ができるまで」には明治節に関する記述は一切ない。山本によれば、元々、憲法発布は11月1日の予定であったが、施行日がメーデーと重なるという理由で直前に11月3日に変更されたのだという。山本ら参議院側は11月3日を憲法記念日とすることを強硬に主張したが、GHQ側が、11月3日だけは絶対にだめだと主張し、衆議院が5月3日を憲法記念日とすることに同意してしまい、参議院側が孤立する事態になった。そのとき突然GHQ側から、憲法記念日という名でない記念日とするなら何という名がいいか、という話を持ち出してきたという。
行事[編集]
皇居で文化勲章の親授式が行われる。
文化の日を中心に、文化庁主催による芸術祭が開催される。
博物館の中には入館料を無料にしたり、様々な催し物を開催する所もある。
日本武道館で全日本剣道選手権大会が開催され、NHKで生放送される。
また、この日は晴天になる確率が高く、「晴れの特異日」として有名である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E3%81%AE%E6%97%A5