岩淸水

心を潤す

スターリン主義

2011年03月15日 10時48分00秒 | 言葉の説明

 

スターリン主義【岩淸水・言葉の説明】 スターリン主義 ロシア

 

 

スターリン主義   (英: Stalinism)
 

 学問的な体裁を装っていても、ほとんどの場合は悪口として用いられる。

 岩淸水では、スターリン主義と国際金融主義は、同根だと考えている。

 

 世界を統一的な原理で支配する。

 この大それた「思想」は、それが巨大化して実力を獲得すれば、するほどその弊害が増してくる。

 ソ連が崩壊してソ連共産党も瓦解した。巨大な官僚組織も消えた。しかし、似たような組織が、西側の資本家の間に、拡がりを見せている。すべての国家間の垣根を取り払う。そこに出現するのは、自由な交易と金融取引が実現する、理想社会なのだという。ソ連共産主義は党官僚が描いた、空想の理想社会だった。そして、構造改革主義は国際金融が夢見る、世界政府実現への壮大な悪夢である。

 

 スターリン思想は全世界の共産主義者が学ぶべき、社会哲学であった。これとおなじ様に、構造改革主義は全世界の「自由主義者」が思い描くパラダイスである。


 
 ヨシフ・スターリン

 

2020 06 03 アメリカの、スターリン主義【わがさと】 アメリカの、スターリン主義。 わが郷

 

 

アルバニア労働党のポスター。左から、マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリン。

スターリニズムまたはスターリン主義(英: Stalinism)は、1924年から1953年までのソビエト連邦の指導者であるヨシフ・スターリンの発想と実践の総称。またはそれに通じる考え・実践形態・実践結果としての政治的・経済体制の総体を指す。

特徴として党官僚とその権益を防衛する秘密警察の支配を背景にして大規模な粛清や恐怖政治を行うなど、全体主義の代表格とされる。冷戦期のアメリカ合衆国ではスターリニズムは明らかに否定的な表現とされ、ニューヨーク・タイムズは「赤いファシズム」とも呼んだ。

 

スターリニズムは、その広まった意味では、スターリン時代のソビエト連邦という社会主義国家で、全体主義の形態を持ち、秘密警察やプロパガンダや、特に政治的抑圧の悲惨な戦術などによって特徴づけられる。ブリタニカ百科事典によると「スターリニズムはテロと全体主義の支配による統治を特徴とする」。これとおなじ様に、西側資本主義は本質を隠蔽した、全体主義ともいえる。何となれば、所謂資本家は絶対的な権力者ではなく、その上に君臨する金融家の哀れな奴隷にすぎない。この本当の支配者を隠すために、マルクスの狭矮な資本主義理論が用いられた。資本は疎外された労働の昇華物とされるが、それは資本のかたよった一側面の、そのまた一部だけを拡大して述べているにすぎない。経済活動を統制する膨大な金融資本は、金融取引のその巧妙なるトリックの中にこそ、その源泉がある。剰余資本と余剰資本との関係は、剰余資本と余剰資本を参照のこと。

 

 自由な経済取引を被害する、たとえば絶対王制とか帝王の権威を廃して、理想の社会を実現する。この巧言の裏には、巧妙な金融ブルジョアの秘儀が隠されている。通貨発行権の壟断は、すべての富をわが物とする魔法の杖である。この通貨発行・管理権は、普段はその存在も顕示されることは無い。あるのは所有一般を指し示す、私有財産権の必要性である。この中に特殊な権能である、紙幣発行管理権が埋没して隠されている。これとおなじ様に、スターリン主義の根本原理である、党の無謬性と独裁権力の必然性は、労働者の祖国防衛の美名に隠された。プロレタリア独裁と、私的金融の通貨管理権は、ユダヤ思想の両輪である。

 レーニンはカザール・ユダヤの支援を得て、ボルシェビキ運動を勃興させた。つまり、ロシア共産主義運動は、一般の非ユダヤの労働者や農民そして「知識人」を欺すための、美名にすぎない。レーニンの究極的な目的は、カザール・ユダヤの故地にユダヤの独裁権力を打ち立てることであった。スターリンは自ら「レーニンの最も忠実な使徒」を自称したのだが、彼はユダヤを毛嫌いした。そして最も愛したのは、自分の独裁的な誰にも支配されない、そして誰をも支配するソ連共産党であった。

 そして、その支配イデオロギーを「マルクス・レーニン主義」と命名し定式化した。また、レーニン死後、彼を神格化することで自らの個人崇拝を護る、楯とした。

 

 

「スターリニズム」(あるいはスターリニスト)という用語は、スターリンやソ連邦の政権およびコミンテルン系譜の世界各国の共産党が自称した事は無い。トロツキーおよびトロツキズムの支持者(トロツキスト)によってはじめて規定された呼称・用語および概念であり、後にはローザ・ルクセンブルクの支持者も使用した。「スターリニズム」の用語は、非スターリン主義の共産主義者にとっては、「官僚主義」、「専制的な"自称社会主義国家"の崇拝者」、「独善的なセクト主義」、「個人崇拝」、「社会主義革命を実質的に放棄した日和見主義」、「世界革命を放棄した一国主義」などを指す蔑視語である。これらの批判はのちにトロツキズム運動、とりわけスターリン死後のスターリン批判の後のコミンテルン系譜の共産党運動の外における「ニュー・レフト」(新左翼)運動の新たな広がりを作り出し、日本においては反スターリン主義という傾向をも生み出した。

目次 [非表示]
1 政治理論としての「スターリニズム」
2 スターリンの経済政策
3 「スターリニズム」の組織論
3.1 「アジア的専制」としての「スターリニズム」
4 参照
5 関連項目
 
 政治理論としての「スターリニズム」 [編集]政治シリーズ記事からの派生
スターリン主義
  
Portal:政治学
表・話・編・歴
スターリニズムの最大の特徴は、スターリン自身が提唱した「世界革命を経なくても(ロシア)一国による社会主義建設が可能である」(一国社会主義論)というテーゼだろう。レーニン、トロツキーをはじめロシア革命期のボルシェビキの指導部は一致した見解であり大前提として「一国による革命と国際革命-世界革命の結合なくして資本家の搾取を廃絶する社会主義体制の建設と確立は不可能である」(世界革命論)を共通の認識にしていた。それは第一インターナショナル以来のマルクス主義の初歩の原則であった、といえる。

ロシア革命を成就させ、「反革命干渉戦争」に勝利したソビエト政権だったが、レーニン、トロツキーらが展望したヨーロッパ革命はドイツをはじめすべての国で敗北してしまう。また、ソビエト国内においても干渉戦争と「反革命」勢力との内戦によって多くの人命が失われ、国土が荒廃した結果、民衆の革命への熱意は低下する。1924年のレーニンの死去にともなって当時ソ連邦共産党書記長に就任したスターリンは、疲弊したロシア民衆と共産党内の意識を背景に「世界革命がなくとも社会主義は建設できる」と打ち出し、その権力を利用して「レーニン記念入党運動」と称して出世志向の者を大量に党員に採用することで党内で多数派を形成し、トロツキーら革命時のボルシェビキ指導部を追放する。党員の大量採用による多数派形成は、ボルシェビキ-ロシア共産党にとっても「意識的な共産主義者の党」だったあり方からの極端な転換である。

また、スターリンは、ソ連邦共産党の権威を背景にコミンテルンにも君臨し、各国の共産党の左派的な部分を「トロツキスト」として追放する。以後、コミンテルンは「世界革命路線」を実質放棄した「ソ連邦防衛のための道具」とされ、「各国革命運動の利益」よりも「ソ連邦の利益」が世界各国の共産党にとって優先された。

1934年にソ連共産党党政治局員キーロフが何者かに暗殺される。スターリンは、この事件を「トロツキー一派の仕業」と決めつけ(でっち上げであることは確定している)、「社会主義の建設が進めば進むほど、帝国主義に援助された"内部の敵"の反抗も激烈になる」(いわゆる「階級闘争激化論」)というテーゼをもって、1936年に本格的に「大粛清」を開始する。スターリンは、自らに反対する者、あるいは抹殺してしまいたい者に対して「トロツキスト」というレッテルを多用した。ここで言う「トロツキスト」とは「ソ連邦の破壊を目論むトロツキーを頭目とする反革命分子で帝国主義の手先の群れ」あるいは「ファシストの第五列」などと定義されたが、実際は粛清された多くの者はトロツキーあるいはトロツキーの指導する「左翼反対派」の組織(のちに第四インターナショナルを形成する)とは無関係であった。このレッテルとしての「トロツキスト」という用語は、「スパイ挑発者」あるいは「左翼を装った反革命」を意味するものとして、世界各国の共産党によって第二次大戦後も長らく使用されることになる。大粛清は、共産党内からソビエト赤軍、ソ連邦に亡命していた各国の共産党・コミンテルン活動家、そしてソビエト社会全般へとおよび、その犠牲者は最大約700万人にのぼるとも推定される。

「マルクス主義」に「民族(排外)主義」あるいは「ナショナリズム」の概念を持ち込んだのも、スターリンの"功績"と言える。トロツキーをはじめ、革命期のボルシェビキ指導部の多くがユダヤ人であったが、スターリンは反ユダヤ的宣伝で彼ら政敵の追放を口実にできた。また、「一国社会主義建設論」自体も、民族主義的に鼓舞した側面もある。スターリンが、その「民族主義」を最も鼓舞したのは、ナチス・ドイツによるソ連邦侵攻の時期であろう。スターリンは、その反撃戦を「大祖国戦争」(露名 Великая Отечественная Война 英訳 Great Patriotic War)と名付け、「ロシア民族の命運を賭けた決戦」として過去のロシア歴史における英雄、神話を宣伝し、国民・兵士の士気の高揚に利用した。またソ連軍の苦戦の中、それまで聖職者・修道士・修道女・一般信徒多数の殺害や、大半の聖堂の物理的破壊などを伴う弾圧を正教会に加えていた姿勢を一転させ、ロシア正教を利用することで「ロシア・アイデンティティー」を極限まで扇動した。

この時期の各国の共産党の反枢軸・レジスタンス戦争は、フランス共産党やギリシャ共産党、中国共産党などに代表されるように、民族主義・愛国主義の色彩を濃くしていた。スターリンは1943年には、「反ファッショ戦争」においてコミンテルンを解散させ、コミンテルン系譜の共産党の"スターリニズム"の特徴として「プロレタリア国際主義」よりも「民族主義」を強調する綱領・方針が挙げられる(日本共産党においては「民主民族統一戦線」という綱領、あるいは「真の愛国者の党」という宣伝に表現されている)。

 スターリンの経済政策 [編集]スターリンは、ソビエト政権が戦時共産主義による干渉戦争と内戦での勝利とともに開始させた「新経済政策」(いわゆるNEP)から転換、1928年にゴエルロ・プランを巨大化させた第一次五ヶ年計画を開始する。それは西側陣営にハイペースで追いつこうとする産業化政策であり、軍事力を高めることを目標とし、また、産業化を後方で支援するための農業の集団化(コルホーズ)をセットとした。そこでは、労働者への極端なノルマを課した成果主義(スタハノフ運動)と「富農(クラーク)の絶滅」が叫ばれた。発電所やダム建設などの巨大プロジェクトによって労働者は動員され、強制収容所から「(作り出された)囚人」が無報酬で働き、農作物は強制的に徴発され、広範な飢餓地帯(とりわけウクライナ)と大量の犠牲者を生み出すことになる。これらの政策によりソ連の国力は第二次世界大戦前までにはヨーロッパを超え、アメリカに次ぐ超大国の地位を得た。

現在では、重工業重視による「生産力至上主義」に基づく「社会主義経済建設」の展望も、"スターリニズム"の系譜を引いている思考および志向と言うこともできるだろう。

 「スターリニズム」の組織論 [編集]以下のような、スターリンおよびソ連邦共産党、コミンテルン系譜の各国共産党の実践形態・実践結果を総称して、非スターリニズム左翼は「スターリニズム」と定義している。

ボルシェビキは、元々野次すらも議事録に残し、政策・方針によっては分派活動の形成を容認する党内民主主義の度合いの強い組織だった。ロシア内戦期に、指導部の強化を目的にして分派形成は禁止されたが、少なくともレーニン、トロツキーらにとっては、「内戦期という非常事態における一時的措置」として位置づけられていた。これをスターリンは、レーニン死後、「党は実践集団であって、討論クラブではない」という命題によって、「一枚岩の民主集中制の絶対原則」として分派形成を禁止する。この「原則」が、「指導部批判=敵対者」と規定される土壌を作り出すことになる。各国の共産党も、例外なくこの「原則」を倣っていくことになるが、この「絶対原則」によって、党内討議・党内民主主義(批判の自由)よりも指導部の「指令」「指導」が絶対化される官僚主義が各国の共産党を共通して蝕んだ大きな根拠となっていく。
「真理は一つであり、その真理に立つ労働者階級の前衛党は各国に一つでしかあり得ない」または「統一した党は労働者階級と革命の司令部であり、司令部がいくつもあったら命令指揮系統が混乱する」とする一国一前衛党論は、自派以外の共産主義党派および共産主義者を排撃し、民衆の運動は自派によって指導されなければならない、とする独善主義の論理として作用する。それは「共産党主導でなければ革命は起きない」あるいは「大衆運動や労働組合などの大衆組織は共産党を拡大するために存在する」「共産党の指導外の運動は破壊してもよい」というような思考をもたらし、「大衆運動の利益」よりも「共産党の利益」を優先する体質を形成してきたと言える。
1930年代にスターリニズムに基いて成立した一国型社会主義(特にその国家体制)を指してソ連型社会主義とも呼ばれるこれらの国家が実現したものを社会主義と呼ぶべきかどうかについて長い間、非スターリニズムの党派・活動家の間では議論が戦わされた。ソ連邦およびスターリン、ソ連共産党、コミンテルン系譜の共産党を支持しない社会主義者からは社会主義の語から区別するために「官僚的に歪められ、堕落した労働者国家」(トロツキー)、「官僚的集産国家」(マックス・シャハトマン -トロツキー派から分裂したアメリカの活動家)、「国家資本主義」(トニー・クリフ -トロツキー派から分裂したイギリスの活動家)、「赤色帝国主義」(黒田寛一)、「スターリニスト官僚国家」(中核派など)などと規定された。

スターリンの指導下のコミンテルンの系譜に属する共産党は、スターリニズム政党であるか、すべてがそうであった時期を経験している。特にフランス共産党は、スターリニズムの影響を最も強く受けており、「モスクワの寵児」「モスクワの長女」(モスクワからの意向にはほぼ従う、という意味)と呼ばれていた。第二次世界大戦後、世界の3分の1の領域を支配した社会主義国家群は、ソ連型社会主義国家であり「スターリニズム」に支配された国家だったといえる。これらは東欧諸国や北朝鮮のように、ソ連から強制もしくは移植された外発型のスターリニズムと、中華人民共和国やユーゴスラビアのように、自ら革命を達成し社会主義を選択した内発型のスターリニズムに分類される。外からの革命によって建国された前者がソ連の影響下からなかなか脱することができなかったのに対して、内発的な革命を経験した後者は長い時間をおかずしてソ連と対立するという現象がみられた。

なお、「ローザ主義者」およびアナキストはレーニン時代のボリシェヴィキ、あるいはトロツキズムもスターリニズムのルーツとして批判し、同質の強権的な「国家共産主義」として批判している。あるいは、新左翼などの「スターリニズムの批判者」も実はスターリニズムの体質を色濃く引き継いでいる、という指摘は少なくない。[要出典]また、1991年のソ連崩壊以降、世界各国の共産党は党名の変更および社会民主主義への転向を大勢とし、影響力の低下は否めない。それとともに、残存共産党の「スターリニズム」の体質の弱まりも指摘される。

 「アジア的専制」としての「スターリニズム」 [編集]カール・ウィットフォーゲルはアジア諸国の制度の研究から「東洋的専制主義」の概念をつくり、これを適用してスターリニズムを説明しようとした。実際、西側諸国では地理的にも政治的にも民族的にも旧ソ連はヨーロッパとは異質の存在(東方正教会文明)とされ、ユーラシアや北アジアと扱われた。また、孫文の大アジア主義はソ連をアジアの国としている。

 参照 [編集]^ Fried, Richard M. (1991). Nightmare in Red: The McCarthy Era in Perspective. Oxford University Press. p. 50. ISBN 0195043618. 
^ Encyclopædia Britannica - Stalinism
 関連項目 [編集]ソ連型社会主義
反スターリン主義
トロツキズム
社会ファシズム論
人民戦線
個人崇拝
第四インターナショナル
スーパーファシズム (共産主義)
全体主義
全体主義体制
毛沢東主義
日本共産党
ニセ「左翼」暴力集団
蒋経国
動物農場-ジョージ・オーウェルの風刺小説。全体主義やスターリン主義への批判と風刺を、スターリンとトロッキーを2匹の豚に擬えて描いている。
働かざる者食うべからず - スターリンが1936年に制定した通称「スターリン憲法」第12条にこの言葉が明記されている。
[表示]表・話・編・歴共産主義 (カテゴリ)  
 
共産主義思想 マルクス主義 - レーニン主義 - スターリン主義 - トロツキー主義 - 毛沢東思想 - ユーロコミュニズム
 
国際組織 コミンテルン - コミンフォルム - 第四インターナショナル
 
人物 マルクス - エンゲルス - レーニン - トロツキー - スターリン - 毛沢東
 
出来事 ロシア革命 - 大粛清 - スターリン批判 - ハンガリー動乱 - 中ソ対立 - 文化大革命 - プラハの春 - 六四天安門事件 - 東欧革命 - ソ連崩壊
 

 この「スターリニズム」は、共産主義に関連する書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています。(ポータル 政治学/ウィキプロジェクト 政治)

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カテゴリ: 共産主義社会主義の歴史ロシア・ソ連の社会主義全体主義反修正主義冷戦政治家による政治思想ヨシフ・スターリン隠しカテゴリ: 出典を必要とする記述のある記事/2010年8月共産主義関連のスタブ項目
( 本稿はwikipedia を元にしているが、随時書き換えている。書きかけの項目です。)

 

関連項目


概念[表示]
マルクス・レーニン主義
一国社会主義論
階級闘争激化論
農業集団化
個人崇拝
愛国主義
左翼ナショナリズム
人物[表示]
  ヨシフ・スターリン
  ヴァルター・ウルブリヒト
  エンヴェル・ホッジャ
  ニコラエ・チャウシェスク
  金日成
  毛沢東
  ホルローギーン・チョイバルサン
 
政党[表示]
ソビエト連邦共産党
フランス共産党
日本共産党(行動派)
アルバニア労働党
インドネシア共産党
ベトナム共産党
ルーマニア共産党
ニュージーランド共産党
スターリン・ブロック— ソ連のため
国家ボリシェヴィキ党
グレートブリテン共産党 (マルクス・レーニン主義)
関連項目[表示]
五カ年計画
スターリン様式
大粛清
全体主義
反修正主義
ネオ=スターリニズム
毛沢東主義
国民共産主義
愛国心
非スターリン化
反スターリン主義

 

 

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