2006.2.28.Tue.
4月からの職場のスタッフ会議。
設立3年目の通信制高校でのスクーリングとレポートによる授業についての
現スタッフの成果と反省を聞いた。
みなさん、かなり悩みながらやっているみたい。
限られた回数しかないスクーリングとレポートでどんな授業をするのか、
学習指導要領に沿ったつまらない授業じゃなく、
「この学校にしかできないこの学校的授業をつくる」、
という思いがすごく強い。
それゆえに悩むのだと思う。
でも、3年の間にみなさん工夫されてすごくおもしろい授業をしてきたみたい。
理科の先生は、まずたんぽぽを見つめるところから。
教室の中から出て、たんぽぽを見つめにいく。
一つのタンポポから、土、地層、そして宇宙にまで話を展開していく。
情報の先生は、チャット授業。
暗号文作成。
PCの得意な生徒が先生になって教える授業。
体育の先生は、通信制の体育は、
「コミュニケーション」と「知らなかったことについて知る喜びをえること」
を目指している。
息抜きの場であっていいとおっしゃっていた。
すごく共感。音楽に関しても同じだなあと思う。
音楽の先生が目指したのは、
「その時知らなかったことを知って、おもしろいなあと思ってもらう」こと。
でも、すごく悩み続けたとのこと。
まず、
・スクーリング6回、レポート6回という回数では、
つみあげて何かをつくれない。
・例えば合唱をやりたい子もいればやりたくない子もいて、
共同歩調をとるのが難しい。
・顔ぶれがいつも異なる。
いつもやりたい人が来るわけではない。
など。
でも、ウクレレを作るという授業は生徒は喜んでいたとのこと。
今年度は一人一人がオリジナルのフレーズ作りをして、
先生がそれを音にして返すということをするとのこと。
これが良かったのか悪かったのかは、まだわからない、とおっしゃっていた。
他の先生の音楽についての見解。
小学校、中学校では、
「リズムがあう、音があう」ということ、「そろうこと」が美とされてきて、
そういう教育を受けてきた子がほとんど。
でも、ほんとうにそうなのか?
世界には、音楽と思えないようなものが音楽とされていたり、
知らないところで、色んな形で音楽が存在している。
そういった中で、集団にあわせる音楽ではなくて、
自分にあった音、音楽が見出せるのではないか。
音楽は、普段の生活の中でも、カラオケやらCDやらの普及で、
一人一人が自分で楽しむすべを持っている。
そういった日常生活場面で音楽を楽しむということと
音楽の授業で音楽を楽しむというのはどう違うのか?
難しい課題。。。
最後に、「音楽大変ですけど、頑張ってくださいね。」
といわれた。。。
でも、今回、授業を考えるにあったて、
先生方の経験からけっこうヒントをもらった。
①スクーリングでしかできないこと、
レポートでしか出来ないこと、を考える。
特に、スクーリング→コミュニケーション、息抜きの場。
②いろんなものを紹介する必要性(知らなかったことを知る)。
③教師が自分の持ち味を発揮できる課題。
④生徒が話を聞くだけという受身な形でなく、自発的に行動するような課題。
課題は漠然としたものだと拡散するので、個別、具体的なものを。
⑤他の教科との連携の可能性。
とりあえず、このことを念頭において、
いろいろもう一度考え直してみようと思う。
4月からの職場のスタッフ会議。
設立3年目の通信制高校でのスクーリングとレポートによる授業についての
現スタッフの成果と反省を聞いた。
みなさん、かなり悩みながらやっているみたい。
限られた回数しかないスクーリングとレポートでどんな授業をするのか、
学習指導要領に沿ったつまらない授業じゃなく、
「この学校にしかできないこの学校的授業をつくる」、
という思いがすごく強い。
それゆえに悩むのだと思う。
でも、3年の間にみなさん工夫されてすごくおもしろい授業をしてきたみたい。
理科の先生は、まずたんぽぽを見つめるところから。
教室の中から出て、たんぽぽを見つめにいく。
一つのタンポポから、土、地層、そして宇宙にまで話を展開していく。
情報の先生は、チャット授業。
暗号文作成。
PCの得意な生徒が先生になって教える授業。
体育の先生は、通信制の体育は、
「コミュニケーション」と「知らなかったことについて知る喜びをえること」
を目指している。
息抜きの場であっていいとおっしゃっていた。
すごく共感。音楽に関しても同じだなあと思う。
音楽の先生が目指したのは、
「その時知らなかったことを知って、おもしろいなあと思ってもらう」こと。
でも、すごく悩み続けたとのこと。
まず、
・スクーリング6回、レポート6回という回数では、
つみあげて何かをつくれない。
・例えば合唱をやりたい子もいればやりたくない子もいて、
共同歩調をとるのが難しい。
・顔ぶれがいつも異なる。
いつもやりたい人が来るわけではない。
など。
でも、ウクレレを作るという授業は生徒は喜んでいたとのこと。
今年度は一人一人がオリジナルのフレーズ作りをして、
先生がそれを音にして返すということをするとのこと。
これが良かったのか悪かったのかは、まだわからない、とおっしゃっていた。
他の先生の音楽についての見解。
小学校、中学校では、
「リズムがあう、音があう」ということ、「そろうこと」が美とされてきて、
そういう教育を受けてきた子がほとんど。
でも、ほんとうにそうなのか?
世界には、音楽と思えないようなものが音楽とされていたり、
知らないところで、色んな形で音楽が存在している。
そういった中で、集団にあわせる音楽ではなくて、
自分にあった音、音楽が見出せるのではないか。
音楽は、普段の生活の中でも、カラオケやらCDやらの普及で、
一人一人が自分で楽しむすべを持っている。
そういった日常生活場面で音楽を楽しむということと
音楽の授業で音楽を楽しむというのはどう違うのか?
難しい課題。。。
最後に、「音楽大変ですけど、頑張ってくださいね。」
といわれた。。。
でも、今回、授業を考えるにあったて、
先生方の経験からけっこうヒントをもらった。
①スクーリングでしかできないこと、
レポートでしか出来ないこと、を考える。
特に、スクーリング→コミュニケーション、息抜きの場。
②いろんなものを紹介する必要性(知らなかったことを知る)。
③教師が自分の持ち味を発揮できる課題。
④生徒が話を聞くだけという受身な形でなく、自発的に行動するような課題。
課題は漠然としたものだと拡散するので、個別、具体的なものを。
⑤他の教科との連携の可能性。
とりあえず、このことを念頭において、
いろいろもう一度考え直してみようと思う。