旅する心-やまぼうし

やまぼうし(ヤマボウシ)→山法師→行雲流水。そんなことからの由無し語りです。

北上川河口を望む日和山公園の歌碑

2009-10-12 00:52:01 | 水の道逍遥
10月10日、多賀城の次は東松島市鳴瀬、そして石巻へと出かけた。

仙台藩発展のインフラ整備を先導した川村孫兵衛の足跡は、次回にまわすことにし、ここでは旧北上川河口を望む日和山公園を散策したことについて紹介。

この公園は、サクラやツツジの名所として親しまれているが、園内には石巻にゆかりの著名な文人の歌碑等があることでも知られている。

しかし、事前リサーチをきちんとしていかないとやはり失敗してしまうもの。石川啄木、種田山頭火の歌碑は見過ごしてしまった。残念。

こちらの公園にも再度行かなければならなくなってしまった。

歌碑等を紹介します。なお、文は、歌碑等の案内板に記載されたものを、そのまま転記しています。


宮沢賢治詩碑

われらひとしく丘に立ち
青ぐろくしてぶちうてる
あやしきもののひろがりを
東はてなくのぞみけり
そは巨いなる鹽の水
海とはおのもさとれども
傳へてききしそのものと
あまりにたがふここちして
ただうつつなるうすれ日に
そのわだつみの潮騒の
うろこの國の波がしら
きほひ寄するをのぞみゐたりき

宮沢賢治(明治二十九年岩手県花巻町(現花巻市)生まれる。大正三年盛岡中学校卒業、大正六年盛岡高等農林学校(現岩手大学農芸化学科)卒業、詩人、童話作家、農業科学、鉱物研究者、童話では「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」、詩「雨ニモマケズ」は代表作、賢治が明治四十五年五月二十七日中学校四年の修学旅行に北上川を川蒸気で下り、石巻の日和山から生まれて初めて海を見て強い感動を受け、その折の印象を読んだものである。


斎藤茂吉歌碑

わたつみに北上川の入るさまの
 ゆたけきを見てわが飽かなくに

斎藤茂吉 明治十五年山形県金瓶村(現上山市)に生まれる。三十八年斎藤紀一の養子となり、東京帝大医学科を卒業、昭和二年帝国脳病院長となる。歌集、歌論の著書多数、昭和十二年帝国芸術院会員となる。
『柿本人麿』の研究に対し十五年帝国学士院賞、二十六年文化勲章受章、石巻には昭和6年十一月一度のみの来遊でその折の作品11首中の一首である。


 (斎藤茂吉歌碑そばの根が絡み合う2本の松)



新田次郎歌碑

北上川の盡きるところのかすみには
 なおとまどいの 青き波かな

新田次郎(本名 藤原寛人)大正元年現長野県諏訪市に生まれる。小説家、昭和三十一年『強力伝』で直木賞受賞。NHK大河ドラマになった『武田信玄』の原作者で吉川英治文学賞受賞。『アラスカ物語』の取材のため昭和四十八年七月に石巻を訪れ。当時石巻市社会教育課長だった市史編纂委員の橋本晶氏が案内を務めた。前掲の歌は帰京後橋本氏への礼状にしたためた作である。



釈 超空 歌碑

海のおもいよいよ青しこのゆふべ
田しろあぢしまかさなりて見ゆ

釈 超空(本名 折口信夫)明治二十年大阪に生まれる。同四十三年国学院大学を卒業、慶応大学、国学院大学教授、文学博士、歌人、国文学者、民俗学者として著名。詩集「古代感愛集」は昭和二十三年芸術院賞をうけた。三十二年「折口信夫全集」全三十二巻を刊行 日本芸術院賞受賞。昭和二十三年四月神社庁の仕事で石巻を訪れ、前掲の歌はその折の作品三首中の一首である。



(おくのほそ道:芭蕉と曾良の像)


(日和山公園からマンガ館方向を望む)


(石巻マンガ館)


(公園内)


(公園内の鹿嶋御児神社)



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 松島航空基地地下壕「松島要... | トップ | 貞山運河の開削・北上川の改... »

コメントを投稿

水の道逍遥」カテゴリの最新記事