8月30日という日は私にとって忘れがたい記憶の一つです。それは今から37年前の高校1年で、仙南地区の高校新人大会が旧角田女子校(現在は角田高校と統合され廃校になっている)で開催された。記憶の中身はとても暑かったことです。
金曜日に大会があり学校授業は免除だったので、浮かれていたのかもしれません。午後には「授業を受けていた方がどれほど良いか」と考えていた。
角田駅から徒歩で1.5km程にあった旧角田女子高校迄歩くのですが、とても遠くに感じたものでした。大きな荷物があったわけでもないし、陸上部全員が歩いているのに私だけ遠いと愚痴っていたかもしれない。
参加種目は5,000mでこの暑い日に何で私だけ5,000mも走らなければ(同級生は1,500mに参加)と、思っていたかもしれません。この日まで5,000mは長く辛いものだと思っていました。
競技者の走る条件は皆一緒、雨がしばらく降っていないこともあり堅いグランドに乾いた空気、そして無風の悪条件でした。記録は散々でしたが2位でゴールすることが出来た。棄権者が続出だったためかもしれません。
37年前の真夏の5,000mは給水もなく、シャワーなど当然あるわけがない。今なら考えられないことだが、走る前の補給水もなかった。(たぶん脱水状態かな!)
完走後、先輩や同級生に誉められたが、タダタダ疲れたことだけが思い出です。後の大会ではもっと気温が暑かったのに、その日が今でも「一番暑い」と記憶している。
走った距離はウォーミングアップやダウンで3,000mは走り、競技を含めれば8千mは超えるが角田駅まで帰りの道すがらはそれより長く、辛いものがあった。
ただ、この日を境に2位という自信が持てたことは一つの区切りになったのかもしれません。5,000mは長いという認識が小さくなって、苦手に感じなくなりました。
気象庁で過去のデータを見ると1974年の角田市のデータは無く仙台市のデータで調べたが、その日は最高気温が28.5℃で真夏日ではありません。角田と仙台で気象条件は異なるけれど、私の中では『最も暑い日』とインプットされている。
菅直人首相が内閣総辞職をして、野田佳彦新首相の誕生となった。震災復興に円高を増税路線で火中の栗を拾う覚悟は「どじょうのように泥臭く」期待しつつ
8月末に起きた首相交代、どこまで暑くなるのやら。