⑦パパの「頭の中は575」

元は「子育て日記」だったが、子供達も全員大人になっており、最近「俳句」の記事が増えたのでタイトルを変更しました。

2017-02-19 07:28:54 | 教育・教養(知ったげな話)
肉も野菜も沢山摂れ、更に体も温まるので「水炊き」「キムチ鍋」「しゃぶしゃぶ」
と、冬は鍋率が高い我が家です。

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なべは「肴瓮(なへ)」の意味だといわれています。肴はさかな、瓮は土焼きの「か
め」のことで、土焼きの器でものを煮たところから「肴瓮」という言葉が生まれたと
言われています。

そして、鍋料理がより盛んになるのは江戸時代で、町家では、すすや煙がきらわれた
ことから台所と食事をする場が切り離され、囲炉裏にかける大鍋に対して、食卓に持
ちだす鍋料理を「小鍋立て」といったそうです。

↓この「鱈ちり」が、時代劇に出てきたら可笑しいのですが、何故だか分かりますか?


正解ですが、江戸時代には「白菜」は日本にないのです。大昔からあるものだと思って
いました。なんと明治に入って、日清・日露戦争に従軍した農村出身の兵士たちが現地で
食べた白菜の味を気に入って種を持ち帰ったと言われていますが、各地で栽培が試行さ
れたもののほとんどは品種維持に失敗したそうです。明治28年、野崎徳四郎という人が
栽培を初めて10年、中国から日本に渡来して20年、日本の地で初めて結球白菜が誕
生したのだそうです。

更に意外な事実。朝鮮半島に白菜が持ち込まれたのは伊藤博文が韓国統監府長官を務め
ていた1909年だそうで、日本と同じように栽培が確立するのに10年余りかかって
それから朝鮮半島全土に普及し、この普及と同時に白菜キムチも生まれたのだそうです。
白菜キムチって、わりと最近の食べ物なんですね。

また「故事通」という韓国歴史を記す書物によると唐辛子も、文禄慶長の役の際に日本
軍が持ってきたという内容が記載されているそうで、日本から入って来たので「倭芥子」
と言われていたんですって。

昔から辛い物を食べていたのかと思ったし、唐辛子は朝鮮半島から日本に伝わったとば
かり思ってました。結構意外でしょ。え?知ってたw

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