おふでさき十号です。
87~93の「こふき」の話しの間に挿入された歌
このはなしなんとをもふてみなのもの にほんのものハみなわが事や 十 89
この話し何と思うてみなの者 日本のものはみな我が事や
それしらずなんとをもふて上たるハ むねがわからん月日さんねん 十 90
それ知らず何と思うて上たるは 胸が分からん月日残念
この歌(直接には)誰に言っているのかと言えば、もちろん秀司さん ― 「にほん」と言うと、決まってオレ(秀司さん)は「上」だ、オレには関係ないと聞く耳を持たないが、今語っているこの(こふきの)話しこそ、オマエ(秀司)に伝えたい事だ! これまでに伝えてきた事も、これから話す事もみんなオマエの事だ! よく聞きなさい!
それゆへにとりつきよりにしいかりと たのみをくからしよちしていよ 十 95
それ故に取り次ぎよりにしっかりと 頼みおくから承知していよ
にちへにとりつぎの人しいかりと 心しづめてはやくかゝれよ 十 97
日々に取り次ぎの人しっかりと 心鎮めて早くかかれよ
「心鎮めて早くかかれ!」、「取り次ぎ」のつとめとして、「こふき」作りに取り組みなさい、と秀司さんに向ける ― 「こふき」は、これまでに月日が教え導いてきた事の全てと、書き記したことを「どのようにでも」いいからまとめて書きとめるなら、それが宝となって(91)、これから国々所々でおつとめをして「この道」を広めようと待ち構えている「にんそく」のための貴重な教科書となる(92)。
「こふき」作るその「人」は貴方(秀司さん)が一番相応しい! ― おふでさき(正冊)は創刊の第一号からこの十号までの全ては秀司さんが受取り、秀司さんの手元で保管されている ― だからおふでさきをまとめるのにこれ以上に相応しい人はいないはず。
いずれは作らねばならない「こふき」ですが、何故この時期、秀司さんを「神の社」に復帰させたいというこの時期を選んだのか、ということを次の歌が示している。
このみちを上ゑぬけたる事ならば ぢうよぢざいのはたらきをする 十 100
この道を上へ抜けたる事ならば 自由自在の働きをする
ここまで来たら、もう十分に月日の思いは分かったはずだ。オマエをを利用しているあの取り巻きと今こそ決別することはもちろんだが、どうだ反対に彼らをこちら(にほん)へ呑み込んでみる勇気はないか? 本気でやってみようと言うなら、神が自由自在の働きをして、貴方のその真実に応えるよ! 、
101「月日よりこの働きをしかけたら、いかな剛敵たると言うても」と、秀司さんに加勢と安心を保証するのです。
みき様(月日)はここで秀司さんを取り巻きから引き離した方がいい。この旬をのがしたら、取り巻きから決別することはまず不可能だろう。取り巻き連はこれまで以上に強固な組織を画策していて、それは「この道」とは真っ向から立ち向かう道で、月日にはしっかり見えていること。この画策とて、秀司さんがいてこそ成果あることは、誰の目にも明らです。全ては、秀司さんの決断にかかっているのです。
みかぐらうた九下り目
「無理にでようと言うでない、心定めのつくまでは」
「なかなかこの度いちれつに、しっかり思案をせにゃならん」
思案して、どの道を行くのかを選ぶのは本人です。
月日は、教理をまとめる意味で、ここらで一度「こふき」作らせてみようという思惑があったのでしょう。神にすがる生き方から脱して、自分が神を目指す生き方、「神の社」になりなさいと声をかける。その手始めに「取り次ぎ」に指名して「かんろうだい」の建設と、この「こふき」作成を促したのです。
結果としては、秀司さんは「上へ抜けたること」ができず、それどころか「上」の道を選び、「上」にしっかり染まって、非常に過酷な人生に飲み込まれていくこととなる。
現状から生まれる創造は カタチにならない
真っさらから生まれる創造は カタチとなる……
k-zerostyle
中山みき様を尋ねて 陽気ゆさん磐田講
87~93の「こふき」の話しの間に挿入された歌
このはなしなんとをもふてみなのもの にほんのものハみなわが事や 十 89
この話し何と思うてみなの者 日本のものはみな我が事や
それしらずなんとをもふて上たるハ むねがわからん月日さんねん 十 90
それ知らず何と思うて上たるは 胸が分からん月日残念
この歌(直接には)誰に言っているのかと言えば、もちろん秀司さん ― 「にほん」と言うと、決まってオレ(秀司さん)は「上」だ、オレには関係ないと聞く耳を持たないが、今語っているこの(こふきの)話しこそ、オマエ(秀司)に伝えたい事だ! これまでに伝えてきた事も、これから話す事もみんなオマエの事だ! よく聞きなさい!
それゆへにとりつきよりにしいかりと たのみをくからしよちしていよ 十 95
それ故に取り次ぎよりにしっかりと 頼みおくから承知していよ
にちへにとりつぎの人しいかりと 心しづめてはやくかゝれよ 十 97
日々に取り次ぎの人しっかりと 心鎮めて早くかかれよ
「心鎮めて早くかかれ!」、「取り次ぎ」のつとめとして、「こふき」作りに取り組みなさい、と秀司さんに向ける ― 「こふき」は、これまでに月日が教え導いてきた事の全てと、書き記したことを「どのようにでも」いいからまとめて書きとめるなら、それが宝となって(91)、これから国々所々でおつとめをして「この道」を広めようと待ち構えている「にんそく」のための貴重な教科書となる(92)。
「こふき」作るその「人」は貴方(秀司さん)が一番相応しい! ― おふでさき(正冊)は創刊の第一号からこの十号までの全ては秀司さんが受取り、秀司さんの手元で保管されている ― だからおふでさきをまとめるのにこれ以上に相応しい人はいないはず。
いずれは作らねばならない「こふき」ですが、何故この時期、秀司さんを「神の社」に復帰させたいというこの時期を選んだのか、ということを次の歌が示している。
このみちを上ゑぬけたる事ならば ぢうよぢざいのはたらきをする 十 100
この道を上へ抜けたる事ならば 自由自在の働きをする
ここまで来たら、もう十分に月日の思いは分かったはずだ。オマエをを利用しているあの取り巻きと今こそ決別することはもちろんだが、どうだ反対に彼らをこちら(にほん)へ呑み込んでみる勇気はないか? 本気でやってみようと言うなら、神が自由自在の働きをして、貴方のその真実に応えるよ! 、
101「月日よりこの働きをしかけたら、いかな剛敵たると言うても」と、秀司さんに加勢と安心を保証するのです。
みき様(月日)はここで秀司さんを取り巻きから引き離した方がいい。この旬をのがしたら、取り巻きから決別することはまず不可能だろう。取り巻き連はこれまで以上に強固な組織を画策していて、それは「この道」とは真っ向から立ち向かう道で、月日にはしっかり見えていること。この画策とて、秀司さんがいてこそ成果あることは、誰の目にも明らです。全ては、秀司さんの決断にかかっているのです。
みかぐらうた九下り目
「無理にでようと言うでない、心定めのつくまでは」
「なかなかこの度いちれつに、しっかり思案をせにゃならん」
思案して、どの道を行くのかを選ぶのは本人です。
月日は、教理をまとめる意味で、ここらで一度「こふき」作らせてみようという思惑があったのでしょう。神にすがる生き方から脱して、自分が神を目指す生き方、「神の社」になりなさいと声をかける。その手始めに「取り次ぎ」に指名して「かんろうだい」の建設と、この「こふき」作成を促したのです。
結果としては、秀司さんは「上へ抜けたること」ができず、それどころか「上」の道を選び、「上」にしっかり染まって、非常に過酷な人生に飲み込まれていくこととなる。
現状から生まれる創造は カタチにならない
真っさらから生まれる創造は カタチとなる……
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中山みき様を尋ねて 陽気ゆさん磐田講
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