蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

木漏れ日の下で

2012年05月28日 | つれづれに

 乳白色にほんのり青みがかったお湯が、吐口からふんだんに注がれる。湯舟に身体を投げ出し、浴槽の縁の岩に頭を載せて5月の青空を見上げた。なだらかで女性的な稜線を横たえる涌蓋山(わいたざん1,500m)の山腹は眩しいほどの新緑に覆われ、吹きすぎる緑の風が心地よかった。休日明けの露天風呂に人の姿はなく、独り占めの贅沢を小一時間ほしいままにして、高原ドライブの余韻を湯に溶かしていった。

 週間天気予報にお天気マークが少なくなり、雨期の近づきを感じさせる。朝の眩しい日差しに誘われて、ふと一人ドライブと高原散策を思い立った。
 濃い小麦色に染め上げられた麦秋の平野を走り抜ける。一羽の白鷺が穂並をかすめて飛んだ。筑後小郡ICから高速大分道に乗るいつもの道である。途中寄ったコンビニのお握り2個と漬物とおかず一品……これもいつものお弁当。
 玖珠ICで降りて、四季彩ロードから飯田(はんだ)高原・長者原に駆け上がるのも、1ヶ月前に走った馴染みのコースだった。野焼きの後の黒ずんだ山肌に、一面の絨毯を敷き詰めていたキスミレ。野焼きをすることで咲き揃うキスミレにとっては、その真っ黒な山肌こそが最高のキャンバスなのだ。湯坪温泉を右にかわして、泉水山(1,447m)の裾を巻くように長者原に向かう道沿いの山肌に既に黒ずみはなく、一面の緑を蘇らせていた。やがて泉水の山裾の左から、三俣山(みまたやま 1,745m)の三峰がせりあがってくる。いつもながら心躍る一瞬である。長者原まで太宰府の我が家から107キロ、1時間40分の走り慣れたドライブコースである。

 長者原の駐車場に車を停め、ストックを伸ばし、ザックとカメラを担いで、日差しの中を「たで原湿原」の木道に立った。三俣山の右に白煙を上げる硫黄山(1,580m)、その右に一段と重く高く聳えるのが星生山(ほっしょざん1,762m)である。何度も登った山々も、今日は懐かしく見上げるだけで、小一時間の湿原周回の散策を楽しむことにしよう。

 今は山野草の乏しい季節である。散策路の入り口の山藤も盛りを過ぎて侘しい。湿原に咲く花も、ベニバナツメクサの紅、ウマノアシガタ(キンポウゲ)とサワオグルマの黄色、咲き遅れたリンドウの淡い青紫にとどまる。
 湿原を抜ければ人影もなく、木漏れ日の下を自然探求路に歩み入った。土の道と木道を連ねた雑木林の中は爽やかに風が吹き抜け、ウグイス、シジュウカラ、カッコウの声が風に乗ってくる。時折ハルゼミが鳴く。その可愛い姿からはおよそ想像もつかないガラガラ声が、むしろ煩わしく聞こえるほど木立の静寂は深い。
 木立を見上げ、木漏れ日に染まり、風に汗を払わせながら、人の気配のない小道を辿った。自然探求路の終わり近く、硫黄を含んだ水が川床を錆び色に染め、決して清流ではないが、せせらぎの音を聴くには絶好のスポットに、時折お弁当を開く石のベンチがある。今日はここでお握りを食べようとザックをおろした時、丁度正午の時報代わりの音楽が風に乗ってきた。
 何と嬉しいことに「坊ヶつる賛歌」だった。すがもり峠を越え、北千里の砂原を抜けて急峻な山道を下った所にある山間のキャンプ場・坊ヶつる。学生時代に幾たびか久住山(1,787m)や大船山(1,786m)に登るベースとして坊ヶつるの山小屋に泊まった。懐かしいメロディーを聴いて、胸の奥が少し暖かくなる。

 牧の戸峠を越えて、瀬の本から黒川温泉に下り、いつもの「ファームロードWAITA」に乗った。長者原から1時間、くちくなったおなかとドライブと散策の心地よい疲れが睡魔を呼び、ともすれば瞼を引きおろそうとする頃合である。少しわき道にそれて、立ち寄り温泉「豊礼の湯」の露天風呂でひと休みすることにした。こんな時に備え、車にはいつもバスタオルとフェースタオルが積んである。
 入湯料500円。湯に包まれながら、ここ数日の心のわだかまりまでが柔らかに溶けていくようだった。湯上りに食べたジャージー牛乳アイスクリームの美味だったこと!ドライブの締めくくりの至福、これに勝るものはない。
            (2012年5月:写真:木漏れ日の自然探求路)

拗ねる八朔

2012年05月25日 | つれづれに

 美しい緑が映える五月晴れを殆ど見ないままに、もう5月も下旬。昨日の夏日と打って変わって、肌寒い梅雨の走りの小雨が降る一日となった。(尤も、辞書によれば「五月(さつき)晴れ」とは、6月(陰暦の5月)の梅雨時に見られる晴れ間のことだという。だから、ここでは「五月(ごがつ)晴れ」と言っておこう。)

 「太宰府脱出・横浜移住」を聞いてつむじを曲げたわけではないだろうが、今年の八朔の花つきが異常に少ない。例年、雪が降るように花びらを散らし、やがて自然摘果の小さな実が数百も落ちて、朝方の掃き掃除を哀しくさせるほどなのに、お礼肥の油粕と骨粉をたっぷりと施したにもかかわらず、今年は数えるほどの花を咲かせただけで、蜂の羽音を聴くこともなく呆気なく花時を終えた。昨年190個を超える実を着け過ぎたから、今年は樹の休養年なのだろうが、何となく拗ねているように感じるのは、私自身の深層心理・潜在意識の反映なのだろうか。
 代わりに、今年は異常なまでに樹木の成長が猛々しい。八朔は2階の窓に届くほどになり、キッチンの窓を覆い、道路標識を隠すほどに繁り被さっている。まるでヤケ伸びである。風のない日に、思い切って枝落としをしなければならないだろう。

 最近、就寝前の読書が進まなくなった。それには訳がある。夜半近いある民放のFMラジオ番組に面白いキャラを持つDJを知った。どうやら同郷・太宰府の女性で、家内のおぼろげな記憶では下の娘の同級生かも、という曰く付きのパーソナリティーなのだが、舌ったらずのようなたどたどしい地方語を交えながらの語り口が、妙に魅力的なのだ。その語り口でしゃべる虫の話が無類に造詣深くて、実に面白い。堅苦しい学者的知識ではなく、心底「虫が好きで好きでたまらない!虫キチ」でしか語れない不思議な博学の世界なのだ。類は類を呼ぶのか、番組に寄せられるメールが、これまた素敵な虫キチの面々。そのふれあいトークが面白く、ついつい耳を傾け、笑ってしまって本が読めない。

 その彼女のトークのひとつ……アゲハチョウの卵に卵を産む、微細な寄生蜂・キイロタマゴバチの話……勿論、ミリ以下のマクロの世界で生きる不思議な蜂である。雌は無性生殖もするが、それで生まれるのは雄ばかり。だから、雌を生むためには何としても雄と交尾して、有精卵にしなければならない。羽も退化しかかった雄は、アゲハチョウの卵の中で雌より数時間早く羽化し、雌の羽化を待つ。生まれたばかりの雌を捕まえて慌しく5秒ほどの交尾をして、そのまま1日で命を終える。雌は受精卵を抱えて飛び立ち、アゲハチョウの卵を探して産卵し、1週間ほどでその命を終える。
 こんな一生を、どう捉えればいいのだろう?子孫を残す為だけに生きる束の間の命、あまりにも儚く短い雄の一生は、もう健気でもあり哀れでもあって、論評のしようがない。年中発情しながら、喜怒哀楽に翻弄され、清濁入り乱れた一生を送る人間が素晴らしいのか、それとも薄汚く惨めなのか……少なくとも、マクロの世界に生きるキイロタマゴバチは、環境を破壊し、無数のほかの生き物を絶滅させて、自らも絶滅への「滅びの笛」を吹くことはない。聴きながら、何だか素敵な生き様を見たような気がした。
 因みに、この番組はLove FMの「月下虫音(げっかちゅうね)」。DJは「太田こぞう」さんという。一見ならぬ一聴に値する。(月~木:22:00-23:30、日:22:00-23:00)

 家内は横浜の娘の家に助っ人に飛び、3週間の独り暮らしが始まった。自称「独身貴族」と嘯いても、所詮人は「独居老人」と嗤う。(呵呵)
 アメリカの娘は、今朝早くオレンジカウンティーの空港から、シカゴ・ロンドン経由ギリシャへ向かった。癒しの一人旅である。1週間後、娘婿の家族と合流し、豪華なスペイン旅行を楽しむ。

 小雨の中、千切れた一片の紙切れのように、モンシロチョウが屋根から舞い降りる庭の片隅に、姫緋扇(ヒメヒオウギ)がひっそりと可憐な花を咲かせていた。
 翌早朝、今年初めてユウマダラエダシャクを見た。この蛾が舞い始めると、梅雨の訪れが近い。こころなし、空気がしっとりと重く感じられる朝だった。
                (2012年5月:写真:ヒメヒオウギ)