御殿場にYMCA東山荘という施設があります。
ここで、キリスト教学校教育同盟の夏期研究集会が開かれていました。
全国の97のミッションスクールから成る組織で、
そこに加盟している小中高大学の先生方の研修だそうです。
100年の歴史がある組織で、その成り立ちは、
昔、日本で宗教教育が禁じられた時代にまで遡ります。
宣教師たちの建学の精神を消してはいけない!と
学校の存続を掛けて協力して来た、という歴史を持つ組織でした。
さて、この研究集会の二日目の夜にWingsの高奈美香さんと二人で
コンサートをさせて頂きました。
5月の青山学院大学と言い、今年はミッションスクールと繋がりを感じる年。
今年新卒の非常にフレッシュな先生から、大先輩の先生まで、実に層も幅広く、
キリスト教の信仰を持つ先生も、そうではない先生もいらっしゃいます。
色々な背景を持つ先生方が、一堂に会し、
ミッションスクールのユニークさ、
ミッションスクールだからこそ、生徒たちに伝えられるものは何なのかが
真剣に話し合われていました。
私には、牧師さんのお話の中で聞いた「天の窓」という言葉がとても印象的でした。
自分自身を知る、人と繋がる、このような事はとても大切だし、
普遍的にどのような学校でも言われているだろう、
しかし、ミッションスクールにはもう一つ「天の窓」がある、と言うのです。
自分の居場所すら分からないような、八方ふさがりに感じる時に、
天を仰ぐとそこに私たちを愛し、導く神がおられる…。
これこそが、ミッションスクールが伝えられる事ではないか…。
私は東京学芸大学という教員養成大学を卒業しました。
小学校の教員免許を実は持っているのです。
本当なら中学と高校の音楽教員の免許も取れるはずだったのですが、
何をどう間違ったか、ある必修授業の出席日数が1日足りず、
中高の免許は取れませんでした。
母には泣かれました…。
…まぁ、それが私の大学時代を如実に物語っています。
音楽を勉強してみたくて、大学に進んでみたけれど、
将来の明確な目標を見つける事が出来ず、
もがくうちに時間ばかり経ち、エネルギーも湧いて来ない。
音楽が勉強したかったんで、別に先生になりたい訳じゃない、
と言うのが、私の言い分でした。
けれど、もしもあの頃の私に、ある意味パラダイムシフトが起こり、
すべてに主体的に取り組んでいたら、
もしかしたら、私は心から望んで教師を目指したかもしれません。
教えると言う事、人を育てると言う仕事の素晴らしさは、
この年齢になった今だからこそ、はっきりと分かるのです。
私が歩んだかもしれない、もう一つの人生。
そんな場所に思いがけず、触れた昨日。
コンサートは好評のうちに終わりました。
役目を終えて、美香さんと二人でホッと一息。
コンサート前はあまりハメをはずして食べられないもので、
終わってから売店へ。
カップら~めん~~~
本番後のジャンクフードは実に美味い(笑)
そう。
私は後悔してはいません。
今、自分の前に伸びている(であろう)道をひたすら走るだけです。
百合がたくさん咲いていました。
富士山もちょこっと顔を見せてくれて…
ほんの少しの静けさの後は、
さぁ、また日常です
日常こそが、醍醐味なのです。
ここで、キリスト教学校教育同盟の夏期研究集会が開かれていました。
全国の97のミッションスクールから成る組織で、
そこに加盟している小中高大学の先生方の研修だそうです。
100年の歴史がある組織で、その成り立ちは、
昔、日本で宗教教育が禁じられた時代にまで遡ります。
宣教師たちの建学の精神を消してはいけない!と
学校の存続を掛けて協力して来た、という歴史を持つ組織でした。
さて、この研究集会の二日目の夜にWingsの高奈美香さんと二人で
コンサートをさせて頂きました。
5月の青山学院大学と言い、今年はミッションスクールと繋がりを感じる年。
今年新卒の非常にフレッシュな先生から、大先輩の先生まで、実に層も幅広く、
キリスト教の信仰を持つ先生も、そうではない先生もいらっしゃいます。
色々な背景を持つ先生方が、一堂に会し、
ミッションスクールのユニークさ、
ミッションスクールだからこそ、生徒たちに伝えられるものは何なのかが
真剣に話し合われていました。
私には、牧師さんのお話の中で聞いた「天の窓」という言葉がとても印象的でした。
自分自身を知る、人と繋がる、このような事はとても大切だし、
普遍的にどのような学校でも言われているだろう、
しかし、ミッションスクールにはもう一つ「天の窓」がある、と言うのです。
自分の居場所すら分からないような、八方ふさがりに感じる時に、
天を仰ぐとそこに私たちを愛し、導く神がおられる…。
これこそが、ミッションスクールが伝えられる事ではないか…。
私は東京学芸大学という教員養成大学を卒業しました。
小学校の教員免許を実は持っているのです。
本当なら中学と高校の音楽教員の免許も取れるはずだったのですが、
何をどう間違ったか、ある必修授業の出席日数が1日足りず、
中高の免許は取れませんでした。
母には泣かれました…。
…まぁ、それが私の大学時代を如実に物語っています。
音楽を勉強してみたくて、大学に進んでみたけれど、
将来の明確な目標を見つける事が出来ず、
もがくうちに時間ばかり経ち、エネルギーも湧いて来ない。
音楽が勉強したかったんで、別に先生になりたい訳じゃない、
と言うのが、私の言い分でした。
けれど、もしもあの頃の私に、ある意味パラダイムシフトが起こり、
すべてに主体的に取り組んでいたら、
もしかしたら、私は心から望んで教師を目指したかもしれません。
教えると言う事、人を育てると言う仕事の素晴らしさは、
この年齢になった今だからこそ、はっきりと分かるのです。
私が歩んだかもしれない、もう一つの人生。
そんな場所に思いがけず、触れた昨日。
コンサートは好評のうちに終わりました。
役目を終えて、美香さんと二人でホッと一息。
コンサート前はあまりハメをはずして食べられないもので、
終わってから売店へ。
カップら~めん~~~
本番後のジャンクフードは実に美味い(笑)
そう。
私は後悔してはいません。
今、自分の前に伸びている(であろう)道をひたすら走るだけです。
百合がたくさん咲いていました。
富士山もちょこっと顔を見せてくれて…
ほんの少しの静けさの後は、
さぁ、また日常です
日常こそが、醍醐味なのです。