Counting Blessings

シンガーソングライター Yumiko Beckの
活動やあれこれ。

旅日記その17(カナ)

2016年04月12日 | イスラエルツアー2016
ナザレを後にした私たちは、カナへ向かう。

現在はアラブ人の町だそうだが、カナと言えばイエスが最初の奇跡を行われた場所として有名だ。

イエスは弟子たちと共にカナで結婚式に出ておられた。イエスの母マリアは婚礼の宴のお手伝いをしていた。
すると、ぶどう酒がなくなってしまった。当時、宴は何日も続いたが、その途中でぶどう酒を切らすと言うのは、花婿の恥となる事だったそう。マリアは心配して、イエスに何とかしてほしいと持ちかけた。
イエスは一旦は
「私の時はまだ来ていない。」
と言って応じなかったが、結局、水をぶどう酒にすると言う奇跡を行われた。

イエスは召使いに、六つの水瓶いっぱいに水を満たして、宴の世話人の所へ持って行くように言われた。召使いが言われたままにすると、なんと、水は極上のワインに変わっていたと言う。

水を汲んだ召使いは、このワインの出どころを知っていたが、世話人は知らなかったので、こんな上質のワインを宴の後半まで取っておくなんて素晴らしいと花婿を讃えた、と聖書に書いてある。

私などはこのストーリーの後日談が気になる。宴の舞台裏では実はワインがなくなり危機一髪だったんだとか、イエスが助けてくれて信じがたい出来事が!!とか、そんな経緯を新郎新婦は知らされてイエスにそれはそれは感謝したのかしら?云々・・・

しかし、聖書にはそういう人間的な興味を満たすような事は書いてない。
ただ、イエスのこの最初の奇跡を間近で目撃した弟子たちが、この出来事によってイエスを信じた、と書いてある。

まぁ、もちろん後にはこのように福音書として新約聖書に収められているのだから、それは周知の事実となったのであろうが。

そんな訳で、この町の通りで見かけたモノ。

ワインの入った水瓶、うーん、でも四つしかないなぁなどと思いながら歩いていると。

バーン

いきなりの存在感。

ワインのお店の看板・・・
この看板の写真を撮ったのはツアーの一行の中で私だけでしょう、きっと。

ダニエル。
家で犬と留守番してる夫です。
アハハ、ゴメンねぇ、私ばっかりこんないい思いしちゃって・・・

ところで、カナでのメインはワイン選び・・・ではなく、ここ、婚礼教会。

前述の奇跡が行われた場所として建てられた、カトリック、フランシスコ修道会の教会(ギリシャ正教会の教会堂もすぐ近くにある)。

中ではちょうどミサが行われていた。


ここではちょっと素敵なサプライズが用意されていたが、今後訪れる方々のために書かないでおこう。


・・・さて、盛りだくさんな一日の行程が終わった。
朝、テルアビブのホテルを出発して、カイザリヤ→カルメル山→ナザレ→カナと見て来た。

この後は、ガリラヤ湖畔のキブツ系ホテルへ行き、晩ご飯
そしてベッドに倒れ込むだけだ。

旅日記その16(ナザレ8)

2016年04月11日 | イスラエルツアー2016
受胎告知教会があまりに規模が大きかったせいか、隣りの聖ヨセフ教会はちょっと地味な印象。

イエスの一家が住んでいたという場所、マリアの夫ヨセフ(マリアは聖霊によりイエスを身ごもったと聖書に書いてある。従って、あえてこう記す。)の仕事場でもあり、イエスが家業である大工仕事の手ほどきを受けたと言われる場所だ。

しかし、ここでまた写真を前に「え~~っと。これなんでしたっけ?」現象が・・・

それで、ネットに上がっている色んな写真やら説明やらで答え合わせをした結果、どうやらこれはヨセフの仕事場跡らしいと判明。


それからこっちは、ブドウ酒とかの貯蔵庫らしい。


でもって、これが受胎告知教会と聖ヨセフ教会の間に発掘されたというヨセフの穴蔵・・・つまりお家。下部分がそれだ。

一般の貧しい人々はこんな質素な洞窟に住んでいた。

これらはすべて地下にある。要は石造りなので、前の時代の建物を完全に取り払うのでなく、瓦礫の上に建てる事になるので次第にカサが上がって行く。

それにしても肝心の礼拝堂の写真が一枚もないではないか。
・・・こうして見ると、何を撮ったのか、何を覚えているのか(忘れたのか)を振り返る事によって、自分の関心が一体どこにあったかを知る事ができる。脳っていうものは無意識のうちに取捨選択してるもんなんだ。

結局私は、聖書の時代が実際はどんな風であったのかを知り、そこからメッセージを受け取りたかったんだという事が見えて来た。
だから、イエスが住んでいたのが本当にこの洞窟だったのかどうかは、私にとってはそんなに大きな問題でない。
何しろ私たちは行かなかったが、聖ガブリエル教会というのもあって、ギリシャ正教によればそっちの方が受胎告知の場所だとされてるそうだし。

イエスは貧しさを知っておられたという事、故に私たちの悩み、苦しみを遠くから眺めておられる神ではなく、共に痛み、共に泣き、とりなしていて下さる方であるという事。
それが、私が受け取ったメッセージだ。

新約聖書の言葉が思い出される。
「この大祭司(イエス)は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。
だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。(ヘブライ人への手紙4章15~16節 新共同訳)」

さて、ドライバーのアリさんが待つツアーバスへ戻る途中、ザクロを絞った生ジュースを飲んだ。

大きい方のカップで3ドルくらいだったか。とっても美味しかった♪
トイレを借りる目的も含まれていた。水が貴重な国なので、トイレが有料の場合がある。

ナザレはかつてはクリスチャンの割合が高かった。私の記憶違いでなければ、アラブ人のアラさんもミッションスクールで教育を受けたそうな・・・
現在はイスラム教、キリスト教、ユダヤ教が混在、全体としてはイスラム・・・というネット情報。

ナザレはゆっくり回れば丸一日使っても充分なくらい、まだまだ見所はある。
イエスが30歳で宣教活動を始めた後、故郷へ戻って聖書の巻物を朗読したシナゴーク(会堂)とか、故郷の人々には受け入れられず突き落とされそうになった崖とか、メギドの丘(ハルマゲドン)などなど。
どこを見て、どこを諦めるか。それらのチョイスはツアーの企画側に委ねられている訳だ。だって我々ツーリストは何にも分からないのだから!
つまり、企画側の意図により、ツアーはそれぞれ全く違ったドラマになるという事。

しかし、私は今回のB.F.P.ジャパンのツアーに心から満足している。後から振り返っても、偏りのない内容だったと思う。イスラエルは初めてと言う我々のため、出来るだけ多くのものを紹介しようとして下さる反面、限りある体力気力の事までよく気遣って、バランスを取るのが大変だったのではないかな・・・

私たちはこの辺でナザレを後にして、次へ向かうとしよう。
(つづく)

旅日記その15(ナザレ7)

2016年04月10日 | イスラエルツアー2016
さて、ナザレのランドマーク的な建物、それが受胎告知教会だ。

処女マリアが天使ガブリエルから受胎告知を受けた洞窟跡と言われている。

教会の正面玄関。

現在のこの教会堂は、1969年完成のイタリアのアーティストの設計だそう。

最初にこの場所に教会が建てられたのが、356年でコンスタンティヌス帝の母エレナによる。
その後、現在の姿になるまでに、ビザンチン帝国時代、十字軍時代、オスマントルコ時代と再建、再々建を重ねている。

これがその、受胎告知の洞窟跡。教会の一階部分に当たる。

カメラを引くとこんな風。

二階の礼拝堂には各国から寄せられた母子像や絵が飾られている。それぞれお国柄が出ていて面白い。
日本からのものは細川ガラシャ夫人がモデルになっていて、袖の部分だったかな?には真珠が埋め込まれているそうだ。


その他のアート。

床も美しい。

天井のドームを見上げて。


このような「ある特定の場所」を記念したような教会にはカトリック系が多い。
大体どこの教会も、写真撮影はOK。但し男性は「帽子をかぶって」中に入るようにと言う注意があったのが興味深かった。

アートの美しさに息を飲みつつも、既に一世紀の素朴な面影はないと、前回の投稿に書いた意味がお分かり頂けるかと思う。

この後は受胎告知教会の隣りにある聖ヨセフ教会へ移動する。
(つづく)

旅日記その14(ナザレ6)

2016年04月09日 | イスラエルツアー2016
ナザレ村の他の見所。

羊飼いと羊たち。

聖書の世界と羊は切り離せない。しばしば人間は羊に、イエスは良き羊飼いにたとえられる。

こういうところで脈絡もなく我が家の飼い犬ガンボを思い出したりして・・・
元気かなぁ~~(笑)。


それから当時の暮らしの様子も。
羊の毛から糸を紡ぐやり方や、

キリを使う実演など。イエスの家業は大工だが、当時のユダヤで大工と言えば則ち石工。家は石造りだ。

段々畑や・・・

当時の墓。

丸い石を転がして蓋をした。イエスが収められた墓もちょうどこのようであった。

そして、一世紀を再現したというシナゴーグ(会堂)で、私たちは礼拝を捧げた。


ナザレ村は言ってみれば、イスラエル版江戸村。しかし、実際にイエスの足跡を辿った場所などには、後世になって教会が建ち、もはや一世紀の面影はない。もちろんそれらの建造物はそれ自体が素晴らしく、歴史的にも意義のあるものだ。

だが、イエスの時代を再現したこのナザレ村の存在は際立って、訪れる人に霊的な洞察を与えてくれる。

お土産に配られたランプ。

ガイドのダニエルさんは言った。
「このランプの灯りを見て、私たちの働きを覚え、祈って下さい。」

ナザレ村、忘れられない。


さて、ナザレ村はこれでおしまいだが、ここからがいわゆるナザレの観光名所。
というわけで、ナザレ、まだまだ続く・・・
旅日記は二日目のまま。

旅日記その13(ナザレ5)

2016年04月08日 | イスラエルツアー2016
ナザレ村の中で一番強く印象に残ったのは、「オリーブ絞り」だった。
一世紀のオリーブ絞りの様子は、十字架に向かう苦難のしもべイエスの姿とあまりにも見事にリンクする。

石臼の中にオリーブの実を入れて、ロバが木の棒に繋がれてグルグル回ると、実が砕かれてペースト状に。

茶色い汚れのように見えるが、これは実際に挽いた後のオリーブの実だ。

このペースト状のものを、真ん中に穴の空いた輪状の籠に詰める。
その籠を幾つも幾つも積み上げると、それ自体の重量が重りとなり、オリーブオイルが絞れる。そのオイルは籠から滲み出て下に溜まる。

これが一番絞り、エキストラバージンオイルだ。

純度の高い高価なオイルで、エルサレムの神殿の燭台(メノラー)や、祭司や王を任命する際に頭に注ぎかけるための油として使われた。

次にエキストラバージンオイルを絞り終わった後の籠を、このような石の重りで再びプレスする。

まずは一つの石でプレス。

すると二番絞りのオイルが取れる。
この二番絞りには不純物が混じるがまだ充分に質が良い。人間のために、料理や香油、薬用に使う。

三回目には全ての石で重さをかけて絞る。
このオイルには、砕けた種が入って汚れてしまい質が悪い。そこでランプ用のオイルや石鹸となる。

絞り終わったオリーブのカスは冬に暖を取るために使われる。オリーブの実には無駄になる部分が全くない。


・・・さて、ヘブル語で「オリーブを絞る」事を「ガッシュマニム」と言うそうだ。
そして、クリスチャンには耳馴染んだ「ゲッセマネ」をヘブル語で読むと「ガッシュマニム」。
つまりゲッセマネとは「オリーブ絞りの場所」という意味なのだそうだ。

ゲッセマネの園は、イエスが十字架にかかる前の晩、その時がまさに来ようとしている事を知り、苦しみ抜いて祈った場所である。

聖書にはイエスが三度祈られた事、そして、
「イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。(ルカによる福音書22章44節 新共同訳)」と書いてある。

オリーブが三度絞られること、三度目にはすべての種が砕けること・・・

あまりの符号ではないだろうか。
イエスは全身全霊をかけて我ら人間の罪の代価を支払うために十字架へ向かわれたのだ・・・

それにしても当時の人々のごく当たり前の営みが、人が神をより深く理解するための標べとなるとは、神のお計らいの緻密さに驚嘆するばかりである。
イスラエルにはこのような標べが、ゴロゴロしている。
(つづく)


※古代のオリーブ絞りの方法は言葉ではイメージしにくいかと思う。"Olive Press"でYouTubeを検索するといくつもビデオが出て来るのでご興味のある方はご覧になって頂きたい。

このビデオは前半が前回投稿した若枝(ナツァール)の話、後半がオリーブ絞りの話だ。
Olive Press-Teaching at the Nazareth Jesus Knew Series


こちらはナザレ村の公式ビデオのようだ。
The Olive Press


モロッコでも同じような手法らしい。オイルが籠から染み出す所など、リアルで分かりやすい。
Olive press traditional berber method - Morocco - part 2