Counting Blessings

シンガーソングライター Yumiko Beckの
活動やあれこれ。

旅日記その11(ナザレ3)

2016年03月31日 | イスラエルツアー2016
十字架の展示があった。

キリスト教のシンボルである十字架。
当時十字架刑はローマの極刑として運用されていた。

旧約聖書には
「木にかけられた者は、神に呪われた者だからである。(申命記21章23節 新共同訳)」
と書いてある。

イエスを信じる者たちは、イエスは神であり、救い主であり、来たるべき王であると告白する。
それなのに、神であるイエスが、神の呪いである十字架にかけられる・・・
矛盾を感じるが、聖書は、それは贖罪の死であったと教える。

十字架のむごたらしさは、私たちの罪の深刻さを思わせる。

写真の十字架を見て、非常に小さく感じられたのではないだろうか?
聖画などのイメージで高い木だと思い込んでいた。
しかし、実際の目線はほとんど地に立っている人と同じだったと言われている。

中ほどに打ち付けられている横木は腰掛けである。
磔になった人は両手首と両足に釘を打たれ固定されているが、肺が圧迫され呼吸が苦しくなると、伸び上がってこの腰掛けで休み、また苦しくなるとずり下がり、この動作を繰り返して、長い人は2~3日十字架上で生きながらえたそうである。
苦しみを長引かせるための残酷な刑なのだ・・・

終いにはローマ兵がスネの骨を折る。するともう伸び上がる事が出来ないので、呼吸が出来なくなり、死に至る。

イエスはユダヤの過越祭の期間中、金曜日の午前9時に磔になった。そして午後3時には息絶えた。
死の報告を受けたローマの総督は、異例の早さに驚き、本当に死んだのか確かめるよう命令した。
そこで兵士が槍でイエスの脇腹を突き刺したと、新約聖書に書いてある。

イエスの死が確認出来たので、兵士はイエスのスネを折らなかった。

旧約聖書には
「いけにえの骨を折ってはならない。(民数記9章12節 新共同訳)」
と書いてある。

これはユダヤ人が大切にしている過越祭の際捧げられた、贖罪の子羊についての規定である。

イエスの弟子たちは、自分の同胞であるユダヤ人たちに、実はイエスこそ本物の贖罪の子羊で、過越祭の子羊はそのひな形だったのだと、何とかして伝えたかったんだなぁ~と言う事が、新約聖書を読むと伝わって来る。

当時のユダヤ人たちは、イエスを自分を神とした冒涜者として死刑にし、そして急進的な一派として弟子たちを弾圧した。

現代に至るまで、ユダヤ人にとっての聖書は、私たちにとっての旧約聖書のみ。
イエスは異邦人の神。
そして彼らは今もメシアを待っている。

前回も触れたように、メシアニック・ジューとは新約聖書の証言を信じ、イエスこそメシアだと受け入れたユダヤ人、非常に貴重な存在なのである。
(つづく)


旅日記その10(ナザレ2)

2016年03月30日 | イスラエルツアー2016
さて、ナザレ村を見て回る。
案内役はこの方、ユーモアに溢れたメシアニック・ジューのダニエルさん。

ダニエル・・・うーん、妙に聞き覚えのある名前・・・

あっ。

家で犬と留守番してるダンナ様でしたm(_ _)m

ハハハ


ところでメシアニック・ジューという言葉は聞き慣れないかもしれない。
イエスを、約束された救い主(=メシア)と信じるユダヤ人の事だ。
それならクリスチャンと同じじゃん!と思われる向きもあるかもしれないが、「クリスチャン」という呼び名には、ユダヤ人にとってあまりにも痛みを伴う多くの否定的な情報が貼り付いている。

イエスは当時のユダヤ人の宗教的指導者たちの扇動によって殺されたが、その頃の弟子は全員ユダヤ人だった。
その後少しずつ異邦人(外国人)の信者が増えたが、これが決定的に逆転するきっかけとなったのが、AD70年のローマによるエルサレム陥落である。

この時からユダヤ人は国を失い、約1900年間世界中に離散した。その過程で、異邦人信者の割合が圧倒的に多くなり、それと同時にキリスト教会からユダヤ的な要素が失われて行った。
そして、ユダヤ人はキリスト殺しの民族、という理由の下に迫害を受けるようになる。
それが最高潮に達したのが、今からまだたった70年前の、あのホロコーストである・・・

そんなわけで、ユダヤ人として、イエスが神であり、旧約聖書で約束された王であり救い主であると信じている彼らをわざわざメシアニック・ジューと呼ぶのである。
ユダヤ人の中では非常に少数派だ。
彼らはイエスをヘブル語読みで「イェシュア」と呼んでいる。


さて、現在のナザレはイエス時代のナザレよりずっと範囲が広い。
この「ナザレ村」は昔のナザレとは同じ場所ではないが徒歩圏内であり、少年イエスの活動範囲であった事は充分に考えられる。

ダニエルさんは、こうしてイェシュアの話を人々にし、また毎日イェシュアが歩いたであろう場所を巡るこの仕事が大好きなのだそうだ。
(つづく)

旅日記その9(ナザレ1)

2016年03月29日 | イスラエルツアー2016
ナザレに到着。


イエスが、子供時代から30歳で表舞台に登場するまでの期間過ごした場所である。
現在は人口数万人の街だが、当時は数百人の村。全員の顔を知っていても不思議はないと言うくらいの小さなコミュニティ。

イエスはしばしば「ナザレ人」と、半ば侮辱を込めて呼ばれた。

ここに、1世紀のナザレを再現した「ナザレ村」という施設がある。
スタッフのコスチュームも雰囲気満点。

写真はないが、若くて綺麗なマリアさんもいた。

でもまずは腹ごしらえ、と。

これらのディップをピタパンに塗って食べるのが大体どこへ行ってもイスラエルの定番だったが、ここではピタパンの代わりに昔ながら製法で焼いたというパンが出た。ナンを薄っぺらくした感じ。

写真左から、フムスと呼ばれる、ひよこ豆のディップ。日本でもそこそこお馴染みだけど私はこれが本当に好き。
その右がオリーブ。それから葉っぱを練った感じのディップ。そしてチーズ、中にキュウリがさいの目に切って入ってる。
あとは豆のスープと、それから、サラダやチキンも出たかなぁ。
食べるのが忙しくて、忘れてしまった。
けれどもイスラエルの食事は野菜が豊富でサラダがとっても美味しい。食物自給率は100%以上。つまり自国分をすべてまかなって、尚輸出している、という事だ。

全般的にどこの食事も味付けが私の好みで、日本食が恋しくなる事は一回もなかった。

さて、お腹がいっぱいになった後は、この中を見て回る。
振り返ればここは旅のハイライトのひとつで、洞察に満ちた場所だった。

ゆっくり思い出しながら書いて行こう。
(つづく)

旅日記その8(ドゥルーズ族のネックレス)

2016年03月25日 | イスラエルツアー2016
ここらでちょっと、一休み♪

カルメル山に向かう途中だったと思うが、バスの中でガイドの享子さんから、ドゥルーズ族の話を聞いた。
その付近に住む、イスラエルの少数民族だ。

彼らはイスラエル軍への兵役がある。
復活信仰を持っているそうで、死を恐れない。
だから危険な任務もいとわない。イスラエル軍の重要な戦力となっているそうだ。

そんな話を聞いたからか、何だかドゥルーズ族を応援したい気分になってしまった。

多分カルメル山を離れる直前だったかと思うが、ドゥルーズ族のおじさんが、腕にたくさんネックレスを下げて、ツアーバスに売りに来た。
ツアー客と言うのは格好のカモ、もとい、お客様。

享子さんがおじさんからネックレスを預かって既にバスの中にいたみんなに紹介した。
楕円形の小さな豆粒のようなビーズが数珠つなぎになったネックレス。

「これ、一応本物の石ですから、燃やしても燃えません。」

ふーん、そう。

しかし、次の一言で皆、突然目の色が変わった。

「1ドルです。」

え、何やて~~
ホンマに「ワンダーラー」ですのん

途端に飛ぶように売れ出すネックレス。
マリンブルー、トルコブルー、赤、ペパーミントグリーン・・・

ふと見ると爆買いしてる先生も
(牧師のツアーなので、敬意を込めて先生とお呼びする)

あまりの売れ行きに享子さん、思わず一言。
「ちょっと・・・ここでこれがこんなに売れたの、初めてだわ・・・」

しまいにはキリがないからと、
「あと5本買いたい」と懇願する先生を振り切ってバスはスタート。

そして、享子さん。
「皆さーん、私は公平にご紹介はしますけど、特にお勧めしてるわけではないですからねー!オススメのものはちゃんとオススメっていいますからー。まだこれから幾らでも・・・これがイスラエルのお土産かって言われると、うーん・・・ま、でも一応石ですし、1ドルですから~。

しかし、前線で戦うドゥルーズの人たちの話を聞いたら、もう、買わないわけには行かないではないか。

ブルーが一番人気だったが、私は赤を。


それにしても、日本にいる時は一生懸命モノ減らししてるのに、こんなとこで増やしてどうするの。

でも、ま、これも旅行の楽しさのうち。
このネックレス見るたび、ドゥルーズの人たちを思い出せる。

旅日記その7(カルメル山)

2016年03月24日 | イスラエルツアー2016
カイザリヤを後にしてバスは北上し、カルメル山に向かう。

まるで何十年かぶりに学生に戻って、白地図をやってる気分だ。

前回の投稿で、五感で感じる事を優先し、必死にノートをとる事を諦めたので、後から見ても意味不明の写真ばかり、と書いた。
しかし、それは間違いだった。
なんと頑張ってとった僅かなノートでさえも、後から見たら意味不明であった。

そんなわけで、ここでも色々深い解説があったが、もう再現出来ない。

さて、この山へ来たわけは「預言者エリヤ」である。彼は偶像神に仕える数百人の預言者にたった一人で対決した。

BC900年頃、イスラエル王国は既に南北に分裂し、それぞれに王朝が立っていた。
南の王朝は、この系図から将来メシアが生まれるとイスラエルの神が約束された、正統な王朝だが、北の方は謀反に次ぐ謀反で幾つも王朝が入れ替わっていた。
そして北は、神があれほど嫌った偶像崇拝に陥り堕落していた。
それを憂えて神から命を受け、立ち上がったのがエリヤである。

エリヤは、このカルメル山に偶像神の預言者を集めた。民衆もやって来た。
エリヤは民衆に語りかけた。

いつまで偶像神に心を迷わせるのか。
ここに祭壇を築き、その上にいけにえの雄牛を置き、預言者たちはそれぞれ自分の神に火が降るようにと願う。自分で火を点けてはならない。火を持って答えた方が本物の神だ。

民衆は同意した。

・・・結果は、
偶像神の預言者がいくら自分の崇拝する神に祈っても火は降らなかった。

次はイスラエルの神の番である。エリヤは祭壇をわざわざ水でビショビショに濡らした。にも拘らず、彼が神に願うと、たちまち天から火が下り、いけにえ、祭壇、水が流れ落ちた溝まで火が舐め尽くした。

民衆は、皆ひれ伏し、
「主こそ神です。主こそ神です。」
と、告白した。

そして、偶像神の預言者を捕らえ、全員殺した、と言う話が聖書に書いてある。

その様子が描かれたレリーフ。
偶像神の預言者が必死に祈っている。火は降らない。


エリヤが祈るとたちまち火が降る。


偶像神の預言者たちを殺す。


カルメル山からの風景。


当時のイスラエル12部族の割当地などの説明もあったが、そもそも上の写真の方角が今となっては私にはさっぱり分からない。
・・・ので、何部族の割当地だかも分からない。。。

ここまでが2日目の午前中。
フライトの疲れも残ってるし、時差ボケもあるしで、多分一番注意力散漫になった時だったと思う。

そろそろお腹も空いてきた。
お昼ご飯はナザレで食べるそうだ。
楽しみ。
頭はボーでも、腹は減る。