昨年の後半は相変わらずバタバタしたが、なんとか無事に過ぎ、いつのまにか新年。年をとるごとに、人間的に成長するように思っていたが、それは自分には当てはまらないようです。
振り返ってみると、年をとるごとに、かえって、人間的には後退しているような気がします。年をとるたびに、自分の考え(見方)を固定化し、自分を縛ってしまう。
なぜか・・・・・・・・・・・・・?
年をとってくると、多くの経験をすることで、心の柔軟性が失われ、頑固になり、我がままな発想が多くなり、そのため、価値観も固定化し、人や物事を一面的に見てしまいがちです。
“いつまでそんな考えに縛られているんだ、捨ててしまえ!!”
と自分に言いたくなるときもあるけれど、なかなか、固い頭では、抜け出せないですね。
ちなみに、固い頭の自分の行動を振り返ると・・・・・
(1) 相手への先入観や行動から、こんな人だと決め付けてしまう
人は多くの面を持っているのに・・・
とかく嫌な面を強調してみてしまい、見方が偏る
(2) 自分の考えに合わないと、アレコレとすぐに批判してしまう
自分の考えが常に正しいとは限らないのに・・・
自分の考えを相手に押し付け、違う意見を排除しようとする
(3) せっかちになり、相手の行動を待てず、注意・催促・非難する
人それぞれ行動のペースが違うのに・・・
自分の行動パターン・ペースで考え、相手のことを考えない
(コレは年ごとに強くなる)
(4) 人からの意見をすぐに自分への非難と受け取り気分が悪くなる
人からの意見を素直に聴いて参考にすればよいのに・・・
人の話を良く聴かず、自分と違う意見があると、すぐに非難する
(5) 相手に期待し、それがチョットでも外れると、相手を信用しなくなる
相手だって人間、いつも100%自分の期待にそうことはできないのに・・・
何故か相手には完璧を期待する
実は、これらの行動は、「貪(むさぼり)・瞋(いかり)・痴(おろかさ)」の心で、仏教では、人間の心をいちばん苦しめる毒薬という意味で「三毒」とよばれています。
この「毒」という表現は、なかなか的を得ていますね。つまり、このような心は、毒になり心を傷つけてしまいます。
これらは、「執着する心」、「怒りの心」、「身勝手な(愚かな)心」から生じるもので、これらの行動の後は、気分が悪くなり、後味が悪いものです。
私は、年をとるごとに、これらの「貪(むさぼり)・瞋(いかり)・痴(おろかさ)」が強くなるようです。
なお、「心の毒」の解毒剤として、有効な本を、最近見つけました。それが、ベストセラー『求めない』で有名になった加島祥造さんの次の本です。
『LIFE』 (加島 祥造 著 出版社: パルコ)
■ 「心の毒」の解毒剤
■
■ 『LIFE』(加島 祥造 著)
■
この本は、あるがままに生きることの尊さが述べられており、加島祥造さんが筆をとった「書」にみずからの解説を添えて、“心にしみる言葉48点”が収録されています。
以下、私が感銘を受けた言葉を紹介します。『 』は『LIFE』からの引用です。
■『濁った水は そのまゝ静かにしておくと いつしか澄んでいる』
『私たちは誰でも、しじゅう困ったり悩んだりする。そんなとき、そこから無理に逃れようとせず、静かに待っているのだ。不安が抑えられなければ不安なままでいい。「これからもっと悪くなる」と考えたっていい。ただ、いま水は濁っていても、いつかは澄んでくる』
■『弧は淋しい 独はひとりで満ちている』
『ひとが淋しいと思うのは、ひとを求めるのにひとから無視されるときだ。そして孤立した自分を感じる。それが弧だ。(中略)「独り」は、それだけで満ち足りているという実感だ。自分はひとにつながっているばかりでなく、もっと大きなものにつながっていると知ることだ---すると、淋しさは消える。』
■『ひとりひそかに歓喜する これはひとにとって とても大切なことなのです』
『これは、イギリスの詩人、イェーツが、悲しみに沈んだひとりの夫人に伝えた言葉だ。ひとりでの「歓喜」は、自分の命が大きなものにつながっている自覚からくる。いまこうやって生かされることを喜ぶことだ。それは、自分で自分の存在をお祝いすること-他人に寄りかからない喜びなのだ。』
■
■ 「貪瞋痴(とんじんち)」について
■
■ 貪(むさぼり)瞋(いかり)痴(おろかさ)
■
「貪瞋痴(とんじんち)」というのは仏教の言葉で、簡単にいうと、「執着する心」、「怒りの心」、「愚かな心」です。
仏教では、数ある煩悩の中で「貪(むさぼ)りの心」「瞋り(怒り)の心」「愚痴の心」の三つを、人間をいちばん苦しめる毒薬という意味で「三毒」とよんでいます。
(注)仏教では「怒り」を「瞋り」の字で書きあらわします
一般的には次のように言われています。
「貪(むさぼ)りの心」・・・人や物事に対してむさぼり、執着する心
「瞋り(怒り)の心」・・・人や物事に腹を立て、怒る心
「愚痴(ぐち)の心」・・・愚かで真理道理に暗く、無知な心
(注)愚痴の心は「無明」とも呼ばれ、迷いの心の根源とされます。愚痴の心から貪りの心がおこり、貪りの心あるところには必ず怒りの心がある、というように三毒が出そろい、さらに様々な煩悩に枝分かれしていくと言われています。
振り返ってみると、年をとるごとに、かえって、人間的には後退しているような気がします。年をとるたびに、自分の考え(見方)を固定化し、自分を縛ってしまう。
なぜか・・・・・・・・・・・・・?
年をとってくると、多くの経験をすることで、心の柔軟性が失われ、頑固になり、我がままな発想が多くなり、そのため、価値観も固定化し、人や物事を一面的に見てしまいがちです。
“いつまでそんな考えに縛られているんだ、捨ててしまえ!!”
と自分に言いたくなるときもあるけれど、なかなか、固い頭では、抜け出せないですね。
ちなみに、固い頭の自分の行動を振り返ると・・・・・
(1) 相手への先入観や行動から、こんな人だと決め付けてしまう
人は多くの面を持っているのに・・・
とかく嫌な面を強調してみてしまい、見方が偏る
(2) 自分の考えに合わないと、アレコレとすぐに批判してしまう
自分の考えが常に正しいとは限らないのに・・・
自分の考えを相手に押し付け、違う意見を排除しようとする
(3) せっかちになり、相手の行動を待てず、注意・催促・非難する
人それぞれ行動のペースが違うのに・・・
自分の行動パターン・ペースで考え、相手のことを考えない
(コレは年ごとに強くなる)
(4) 人からの意見をすぐに自分への非難と受け取り気分が悪くなる
人からの意見を素直に聴いて参考にすればよいのに・・・
人の話を良く聴かず、自分と違う意見があると、すぐに非難する
(5) 相手に期待し、それがチョットでも外れると、相手を信用しなくなる
相手だって人間、いつも100%自分の期待にそうことはできないのに・・・
何故か相手には完璧を期待する
実は、これらの行動は、「貪(むさぼり)・瞋(いかり)・痴(おろかさ)」の心で、仏教では、人間の心をいちばん苦しめる毒薬という意味で「三毒」とよばれています。
この「毒」という表現は、なかなか的を得ていますね。つまり、このような心は、毒になり心を傷つけてしまいます。
これらは、「執着する心」、「怒りの心」、「身勝手な(愚かな)心」から生じるもので、これらの行動の後は、気分が悪くなり、後味が悪いものです。
私は、年をとるごとに、これらの「貪(むさぼり)・瞋(いかり)・痴(おろかさ)」が強くなるようです。
なお、「心の毒」の解毒剤として、有効な本を、最近見つけました。それが、ベストセラー『求めない』で有名になった加島祥造さんの次の本です。
『LIFE』 (加島 祥造 著 出版社: パルコ)
■ 「心の毒」の解毒剤
■
■ 『LIFE』(加島 祥造 著)
■
この本は、あるがままに生きることの尊さが述べられており、加島祥造さんが筆をとった「書」にみずからの解説を添えて、“心にしみる言葉48点”が収録されています。
以下、私が感銘を受けた言葉を紹介します。『 』は『LIFE』からの引用です。
■『濁った水は そのまゝ静かにしておくと いつしか澄んでいる』
『私たちは誰でも、しじゅう困ったり悩んだりする。そんなとき、そこから無理に逃れようとせず、静かに待っているのだ。不安が抑えられなければ不安なままでいい。「これからもっと悪くなる」と考えたっていい。ただ、いま水は濁っていても、いつかは澄んでくる』
■『弧は淋しい 独はひとりで満ちている』
『ひとが淋しいと思うのは、ひとを求めるのにひとから無視されるときだ。そして孤立した自分を感じる。それが弧だ。(中略)「独り」は、それだけで満ち足りているという実感だ。自分はひとにつながっているばかりでなく、もっと大きなものにつながっていると知ることだ---すると、淋しさは消える。』
■『ひとりひそかに歓喜する これはひとにとって とても大切なことなのです』
『これは、イギリスの詩人、イェーツが、悲しみに沈んだひとりの夫人に伝えた言葉だ。ひとりでの「歓喜」は、自分の命が大きなものにつながっている自覚からくる。いまこうやって生かされることを喜ぶことだ。それは、自分で自分の存在をお祝いすること-他人に寄りかからない喜びなのだ。』
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■ 「貪瞋痴(とんじんち)」について
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■ 貪(むさぼり)瞋(いかり)痴(おろかさ)
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「貪瞋痴(とんじんち)」というのは仏教の言葉で、簡単にいうと、「執着する心」、「怒りの心」、「愚かな心」です。
仏教では、数ある煩悩の中で「貪(むさぼ)りの心」「瞋り(怒り)の心」「愚痴の心」の三つを、人間をいちばん苦しめる毒薬という意味で「三毒」とよんでいます。
(注)仏教では「怒り」を「瞋り」の字で書きあらわします
一般的には次のように言われています。
「貪(むさぼ)りの心」・・・人や物事に対してむさぼり、執着する心
「瞋り(怒り)の心」・・・人や物事に腹を立て、怒る心
「愚痴(ぐち)の心」・・・愚かで真理道理に暗く、無知な心
(注)愚痴の心は「無明」とも呼ばれ、迷いの心の根源とされます。愚痴の心から貪りの心がおこり、貪りの心あるところには必ず怒りの心がある、というように三毒が出そろい、さらに様々な煩悩に枝分かれしていくと言われています。
詳しくはわかりませんが、固定観念はよくないと体験したことはあります。
納得しました。
人間の愚かさだと私は思います。
108の煩悩が書かれた本をよんだことあります。名前は忘れちゃいました…すみません。
私が読むくらいなので簡単に理解できたのを覚えています。読んでいると不思議と安らぎました (^o^)
私だけでしょうね。
変わり者だから…
段々寒くなるでしょうから、お互い体調管理には気をつけましょうね☆
シンシアKと申します。
『心の三毒』を調べたくて貴殿のブログにhitした次第です。
まったくそのとおりとうなずきながら読んでしまいました。
温かいお言葉の数々・・・とても染み入ります。
また遊びに来させてください。
せんえつですが、気が向いて、もしよかったら私のブログにも遊びにいらしてください。『癒しのエッセンス』ともうします。
http://sincerek.blog19.fc2.com/