お気に召すまま

なんでもござれ。思うまま、気の向くまま 書きまくる。

なんで市街地がさびれるか(2)

2011年12月28日 | 足利のいいところ
No7 足利は観光に力を入れて町の活性化を図っている。これはある程度効果を上げた。足利フラワーパーク、鑁阿寺、栗田美術館である。足利フラワーパーク。経営努力は大したものだ。藤の名所だけでなく、観光期間を延ばそうと冬場のイルミネーションは名所になった
No6 残った商店は集客力を上げるのを行政に働きかけて『町の活性化』などと税金による対策を求める。その結果、町の道路がきれいになったものの駐車面積は上がらないため、歩いて買い物に1時間かけていたのに、わずか10分で車が通り抜けてしまう様になっただけである。
No5 進出してきたころは集客に寄与したものであるが、出店数が増えても駐車場が狭くてキャパがいっぱいになり売り場面積と駐車台数が合わなくなり、郊外に作られた大型店に客が奪われてつぶれる。同時に大型店に地元商店が入ることで町の商店がだんだん少なくなる。
No4 それでも家庭に2台3台家族の人数分の車が普及した北関東、足利も例外なく車が普及していた。このころからである。自転車代わりの車が置けない店は淘汰され始めた。最期の花は地方に進出したデパートが盛んなころである。

今日思うこと なんで市街地がさびれるか。(1)

2011年12月28日 | 足利のいいところ
No3 新しいものを柔軟に取り入れることで情報を発信し、東京までは大変である人人への近隣の日帰りで行ける新しい商品、食事 見る 着る 食べるを絶えず更新して発信する町であった.着道楽、食道楽であった。昭和50年ほどは・・・
No2 旧50号通りの商店街がさびれて活性化が叫ばれているが、昔は中核都市であり、その機能は東京に準じる情報速さが中核たる所以である。足利銘仙は秩父銘仙、桐生の銘仙とか張り合い一流処のデザイナーによるポスた、斬新な着物の図柄で名声をあげた。商人の町であった。
No1 『足利文林』という同人誌が終了するそうだ。同人が高齢になったせいである.若者が入らなかったのが原因ではあるが。足利から若者がいなくなるためである。就職口が減ったからであり、さて、商売を始めようにもお客が集まるところがない。困ったものだ。