ほろ酔い日記

 佐佐木幸綱のブログです

頼綱と新宿朝日カルチャーへ

2016年06月30日 | 日記
頼綱と一緒に、1時間半、新宿の朝日カルチャーでしゃべりました。鈴鹿の信綱記念館で、掛け合いでしゃべったことがありました。が、東京では初めて。
 テーマは「相聞歌」。親子ではしゃべりにくいテーマでしたが、60余人の方が聞きにきてくれました。

 『サラダ記念日』刊行から30年。相聞歌は、ここ20年ほどの間に大きく変質しました。
 セクシャルマイノリティーの人たちがなかなかカミングアウトできなかった時代から、比較的楽にカミングアウトできる時代になるにつれて、男っぽい男の歌、女っぽい女の歌は影をひそめました。今は、作者が男でも女でもどちらでも読める、そんな相聞歌が一般的になってきました。
 そんな短歌史の変遷を、一首一首の読みを通して、父親世代(いささかとうがたっていますが)と息子世代の問題としてしゃべったつもりでしたが、どう聞いてもらったのでしょうか。

 1960年代にヘミングウェイとマリリン・モンローが他界します。その時点からユニセックスの時代がはじまり、文学作品の中の男女も変質した。私はずっとそうした文学史を描き、しゃべり、書いてきました。今回も、その線上で話をしたつもりです。
 文学作品は、相聞歌でもなんでも、つまりは時代を表現してしまうもののようです。

 頼綱が選歌した当日のテキストを添付しておきます。35,36,37番以外は頼綱の選です。歌の選も人選も、私とはずいぶんちがうな、そんな感想です。
 なお、まったく偶然ですが、今月号の「短歌」に、佐佐木定綱が「愛の歌ことば」と題して相聞歌論を書いています(「短歌」7月号「歌壇時評」)。
 親子3人でしばらくの間、現代の相聞歌について考えたようでした。




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