ほろ酔い日記

 佐佐木幸綱のブログです

山百合忌

2018年08月01日 | 日記
 2006年7月31日に88歳で他界した鶴見和子さんの思い出を語り、彼女の業績を語り合う「山百合忌」に参席しました。

 この会には、すでに何度か出席されている皇后陛下が、今回もおいでになられました。
 同じテーブルでしたのでお話する機会もあり、「心の花」120周年大会のことをすでにご存じで、その話題も出ました。英詩の会でご一緒している蔵田道子さん情報のようです。
 昭和30年代には皇后ご自身も「心の花」に短歌を出しておられるので、「心の花」のことはよく知っておられます。

 中華料理を食べながらの2時間半ほどの会で、合間に、鶴見さんの短歌を10首あげて話をしました。
 鶴見さんの短歌には、破調それも長いものがかなりあります。7首目は35拍、9首目は49音、10首目はなんと57音もある。鶴見さんらしいな、と思います。
 昔の「心の花」には、定型をあふれてしまう短歌を作る人が何人かいました。中井岳子さん、木尾悦子さんの名前をすぐに思い出します。中井さんはとくにすごく、1首27字詰めで3行なんていうケースも珍しくありませんでした。

 木尾さんは、伸びてきた木が可哀想だと、畳に穴を開け、屋根に穴を開けたりした人でした。また、思いついて、池を床下まで広げ、畳を何枚かはがして強化ガラスを入れ、夜でも池の鯉が見えるようにしたりしました。
 私は何度か木尾さんの家に行ったことがあり、家の中に生えている木や、家の下の池をガラス越しに見たことがあります。

 中井さんは、片付けたり、整理したりしない方針だったそうです。敷地に家を建てる。散らかし放題に散らかして、何年かするとその家を廃墟にし、敷地内にもう一軒新築したのだそうです。
 また、一家の財布は玄関においてあって、家族は好きなだけそこからお金を持って外出する。そんなシステムだったと聞いています。

 鶴見和子さんも、裕福な家で育った方でしたから、無茶な発想を現実化することができる生活だったのでしょうか。思い切った字余り短歌を見て、そんな先輩たちのことを思い出しました。




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