ほろ酔い日記

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読み直し近代短歌史11 カタカナ語の採用(明治・大正期の新しさ) 北原白秋

2016年06月29日 | 評論
 現代短歌にはカタカナ語がたくさん出てきます。はなはだしい例では、「ギョーム・アポリネール・ド・コストロウツスキー蝉火の秋の方に遁れつ」(塚本邦雄『森曜集』)のように、31拍の半分ほどがカタカナの短歌もあります。
 また、カタカナのタイトルをつけた歌集もたくさんあります。香川ヒサさんのように『テクネー』『マテシス』『ファブリカ』『モウド』といったカタカナ語をタイトルにした歌集を次々に刊行している人もいます。
 
 このようなカタカナ語が頻出する短歌界の現状のルーツは、いつごろの誰の歌集と見るべきなのか。近代短歌史上、カタカナ語を多く採用した最初の歌人は誰だったのでしょう。
 私見では、1913年(大2)1月に刊行された北原白秋の第一歌集『桐の花』が、カタカナ語がたくさん出てくる最初の歌集とみていい、そう思います。

 もちろん近代短歌史上では、『桐の花』以前に出た歌集にもカタカナ語は登場しています。具体例をあげておきましょう。
 「シカゴ」(与謝野鉄幹『東西南北』)、「チチアン(十六世紀のイタリアの画家の名前)」(与謝野晶子『みだれ髪』)、「ガラス」「ビードロ」「テーブル」など(正岡子規『竹の里歌』)等々があります。
 しかし、まとまった数が出てくるのは『桐の花』ですし、西欧の地名、人名、事物等々を、意識的に短歌に登場させた最初は、若き日の北原白秋だったと見てまちがいないでしょう。

 白秋は歌集『桐の花』刊行の前、まだ二十代半ばに『邪宗門』という詩集を刊行しています。「邪宗門」とは、邪教視されていた時代のキリスト教の呼称ですが、ここでは、新時代にふさわしい新しい詩人の比喩的な呼称として使っています。『邪宗門』の序に「我ら近代邪宗門の徒」とみずからを名のっていることでわかります。

 白秋は詩集『邪宗門』で、近代ヨーロッパへのあこがれと好奇心を全開にしています。わざと漢字をつかって「波爾杜瓦爾(ポルトガル)」「天鵞絨(ビロード)」などと表記したり、「ちやるめら」「あまりりす」などのようにカタカナではなく平仮名表記にしたりもしていますが、相当数のカタカナ語が『邪宗門』に出てきています。
 これにはどういう背景があったのか。なぜ、この時代だったのか。なぜ北原白秋だったのでしょうか。 

 当時、ヨーロッパの詩歌をつぎつぎに日本に紹介していた森鴎外、上田敏らの仕事を、じかに、リアルタイムで若い心にしみ入るように受け入れた世代が、白秋の世代だったのです。
 とくに上田敏『海潮音』は、白秋が早稲田大学の学生時代に刊行されており、当時の学生たちは熱心にこれを読んだようです。ボードレールやベルレーヌ、マラルメ、そして引用歌に出てくるクリスチナ・ロセチなどの名前とは、みな、上田敏訳の『海潮音』で出あうのです。

 白秋には、特に、西欧の文化にあこがれを抱く素地がありました。子供ころの思い出を書いた「わが生ひたち」の中にそんなエピソードが出て来ます。柳川では子供たちが「びいどろ瓶に薄荷や肉桂水を入れて吸つて歩いた」、そんな子供時代の思い出が出てきたりします。
 明治二十年代の話です。びいどろ瓶とかニッキ水を子供が持っている風景は、他の地域では見られなかったと思います。柳川独特の南蛮趣味的風景だったようなのです。

 また、熊本英学校を出た母方の叔父が、子供だった白秋に、催眠術をかけようとしたり、アラビアンナイトや西洋の魔法使いの話などを聞かせてくれ、黒い表紙の讃美歌集を貸してくれたりもしました。
 そういう背景があって、南蛮へのあこがれと好奇心が育っていったのでしょう。そんな素地があって、新しい西洋の翻訳詩集『海潮音』にであった。心になじむ素地があったわけですね。

そぞろあるき煙草くゆらすつかのまも哀しからずやわかきランボウ  桐の花

にほやかにトロムボーンの音は鳴りぬ君と歩みしあとの思ひ出

サラダとり白きソースをかけてましさみしき春の思ひ出のため

フラスコに青きリキュールさしよせて寝(ぬ)ればよしなや月さしにけり

クリスチナ・ロセチが頭巾かぶせまし秋のはじめの母の横顔
 
 「ランボウ」はご存じのように十九世紀末のフランス象徴派の詩人です。パイプをくわえ、両手をポケット入れて歩くランボウを描いたヴェルレーヌの有名なデッサンがあります。一首目はそれをベースにしているようです。
 2首目、『桐の花』には楽器、音楽用語がよく出てきます。クラリネット、ハモニカ、ワルツ……、カタカナ語ではありませんが三味線まで出てきます。
 3首目の「……かけてまし」は白きソースをかけようよ、の意味です。4首目の「フラスコ」はガラスの水差し。青いリキュール入りの水差しを近くに置いて寝ると、いいぐあいに月光が射してきたというのです。白秋らしい耽美的な作ですね。5首目の「クリスチナ・ロセチ」は十九世紀のイギリスの女流詩人で、『海潮音』にも出てきます。
 『桐の花』にはこのほか、ローンテニス、ヒステリー、バリカン、ペンキ、ウイスキー、キャベツ、クロロホルム等、「えっ!」と思うような多彩なカタカナ語が登場します。

 さて、『桐の花』以後はどうなるのでしょう。その後の展開についてはまだ詳しい検証をしてませんが、時代が飛んで、昭和前期のモダニズム系の歌集に、カタカナ語が多く見られるようになってゆくようです。
 前川佐美雄『植物祭』(1930年刊)、土岐善麿『新歌集作品Ⅰ』(1933年刊)、加藤克美『螺旋階段』などにも、それなりにカタカナ語がでてきますが、文学史的に注目するほどではありません。
 注目していい歌集となると、はじめてカタカナ語をタイトルにした石川信夫歌集『シネマ』(1936年刊)、そして斎藤史の第一歌集『魚歌』(1940年刊)でしょうか。

 作品を引用しておきましょう。『シネマ』は、歌数の少ない歌集ですが(121首)、ほとんど1首おきぐらいにカタカナ語が出てきます。カタカナ語は、当時の時代的な面での新しさを反映する名詞だったのだろうと推測されます。「シネマ」、「エクレア」、「アブサン」、「コオン・ビイフ」……、実物はもちろん、言葉のひびき自体が新鮮だったのでしょうね。

剥製のカナリヤを鳴かせきき入れるシネマの女ふと思ひだす  石川信夫『シネマ』

ああまたもエクレアかお茶かアブサンかもう旅に出る気さへ起こらぬ  同

ガルボオがコオン・ビイフが好きなので赤黒の缶また買ひに出す  同

 斎藤史『魚歌』のカタカナ語の数は多くありません。しかし、『シネマ』のようにただ単に新しい時代の空気を感じさせるだけではなく、それぞれが独特のイメージをもって一首の方向性を決めています。

てのひらをかんざしのやうにかざす時マダムバタフライの歌がきこえる  斎藤史『魚歌』

指先にセント・エルモの火をともし霧ふかき日を人と交れり  同

定住の家をもたねば朝に夜にシシリイの薔薇マジヨルカの花  同

 こうした流れが昭和前期にあって、戦後、カタカナ語は短歌の重要な語になってくるのです。現在では、カタカナ語が一つも出てこない歌集はほとんどないほどになりました。
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