ほろ酔い日記

 佐佐木幸綱のブログです

B 母・菊枝さんの物語

2016年06月23日 | 評論

 連合赤軍事件の坂口弘の歌集『常しへの道』が刊行されて、今ほっとしているところである。私が著者の歌を見るようになってから、かれこれ五年が経った。
 本人からの手紙に、装幀が素晴らしい、印刷もきれいだ、とあった。著者は歌集のできにほぼ満足しているらしい。そして、だれよりもほっとしているのは母・坂口菊枝さんだろうと思う。歌集刊行に漕ぎつけるまでに、一番気を使い一番体力を使ったのは、今年もう九十四歳になられた坂口菊枝さんなのである。

 東京駅近くのホテルの喫茶室で、角川書店の杉岡、山口両氏と坂口菊枝さんを引き合わせたことがあった。歌集への具体的な第一歩だった。遠く千葉県の富津から来られた菊枝さんは、年齢よりもずっと若々しい。息子のためを思ってだろう、気さくに、よくしゃべって下さった。弘さんの歌に対する情熱の激しさ、面会時のこと、少年時代のこと等々。

 角川書店の側も、著者の希望を具体的に知りたいむねを話した。弘さんが考える歌集のイメージを聞いてきて欲しい。歌数はしぼって五百首前後にするのがいいだろう……。面会時に弘さんに伝えるべきこと、訊ねるべきことを、菊枝さんはいちいちノートにメモを取っておられた。「さっそく、あした小菅に行ってきます」。別れぎわにそう言って、ていねいにおじぎをされた。

 この歌集のことで、いくつかのメディアが私のところに取材にきた。そんな折、私は「お母さんの物語を書いてください」と答えてきた。
 歌集『常しへ道』は、さまざまな切り口で読むことができる。凄惨な総括・リンチの場面をうたった作がある。死刑囚から見た死刑の問題がうたわれている。近くに見ざるをえない死を見つめる歌がある。深い孤独感をうたった歌がある。かいま見るように見た蒲公英の花や落蝉や月光、かすかに聞こえる雨だれの音、そんな自然がうたわれてもいる。これらはみなそれぞれにこの歌集の注目点と言っていい。

 そんな数多くの読み方の可能性の一つに、獄中で短歌を詠む息子を支えつづけた母の物語として、『常しへの道』を読む読み方もあってもいい。



 犠牲者十七人を出した連合赤軍事件は、一九七一年・七二年のことであった。それから数えるともう三十年以上。死刑確定が九三年だから、それからでも十年以上の歳月が経っている。坂口弘さんは現在六十一歳。長い歳月を、菊枝さんはほとんど息子のために生きて来られた。
 死刑囚は、詳しいことは知らないが、外部との連絡は禁止される。肉親か夫婦関係にあるものとしか面会・交信が許されないらしい(〇七年六月に明治四十一年以来の監獄法が廃止され、新法が施行されたらしいが)。

 歌集の冒頭部に死刑囚として確定告知を受けた折の歌がある。九三年の歌だ。

  確定し
  外部交通遮断されぬ
  静まれる房の不気味なること

 この時から、郵便・面会等が遮断され、坂口さんの場合は、外部との交信はすべて、母・菊枝さんを通してしか行えなくなったようだ。「静まれる房の不気味なること」とは、社会から孤絶した空間の不気味さ、の意味である。
 東京都葛飾区にいながら、千二百余万人もいる都民のだれとも交流・通信できない不気味な空間。その空間の静けさである。

 その空間は、当然ながら厳重に監視されている。

  雨の日は
  笠の中をし恋ふるなり
  寸時たりとも監視ゆるまず

 傘の中が、安らぎの空間であることを忘れている私たちの心には、深くしみる歌だ。

 さて、歌稿である。死刑が確定すると歌稿を外部へ送るのも大変だ。私の自宅へ、三百首から四百首ぐらいの歌稿の束が、坂口菊枝さんから速達で送られてくる。菊枝さんが面会に行って預かってきた歌稿である。
 私は手元に来た歌稿を、一ヶ月か二ヶ月かかって見て送り返す。受け取った菊枝さんはふたたび歌稿を持って面会に行って坂口に渡す。こういう経緯を何度くりかえしただろう。十回以上くり返したはずである。
 
小菅まで近ければいいが、千葉県の富津からだ。高齢の菊枝さんには、丸一日がかりの往復だっただろうと想像する。
 私がすぐ返送する場合はそれでいい。しかし、しばしば遅れた。歌稿がいつ来るか予定が立たないから時間を空けて待っているわけにはゆかないし、忙しかったりもする。
 さらに、気力がないと人の歌稿は見られない。心を込めて作った歌を消したり手を入れたりするには、充実した気力がいる。

 一方、作者は当然のこと早く返してほしい。私の返送が遅れると、坂口弘さんからせっつかれるのだろう、菊枝さんから私に「歌稿は届いているでしょうか?」といった遠慮がちな催促の郵便がくる。間に立たされての気苦労がずいぶんあったにちがいない。

汝(な)が原稿
  届かざるといふ
  面会の母の惑へる言に絶句す

 母へ送ったはずの原稿が未着だというのだ。こういうトラブルが何度かあったらしい。房内ではコピーが使えずすべて手書きだから、紛失は大事件だ。「母の惑える言」に、言い出しにくいことを言う母と母の心を思いやる息子の気持ちが表現されている。



 『常しへの道』には母をうたった作がこのほかに数首ある。数はそれほど多くないが、また地味な歌が大方で目立つことはないが、歌集の中で重要な作と見ていい。

  これが最後
  これが最後と思ひつつ
  面会の母は八十五になる

 すでに言ったように、菊枝さんは年齢よりずっと若々しい方だが、それでも弱って見えることもあったのだろう。もし面会に来られなくなったら、外部との連絡は途絶してしまう。口には出さないが、母も息子もそのことが痛いほど分かっている。

  わが在りたる須坂の牢に
  母は来て
  世話してあげると言ひ給ひしも
 
  奥深く拒まれ
  いまも実家にて吾の名禁句と
  母は嘆けり

 前者。「須坂」は長野県の須坂だろう。詳しいことは分からないが、逮捕されて間もない時期に須坂に拘留されており、そこに母が来てくれたのだろう。菊枝さんの通いはこの時期から今日まで三十余年つづいているのだ。
 「世話してあげる」という直接話法の引用、この歌集ではめずらしい「言ひ給ふ」という尊敬をあらわす表現が、息子の側の心情を的確に表現している。
 
 後者。一般社会における死刑囚の厳しい位置をあえてうたった辛い歌だ。「奥深く拒まれ」は見事な表現と思う。家族や親戚の人たちには、それぞれの生活の場があり、それぞれの人間関係がある。単なる個人ではない。生きている者一人一人の奥行きの部分に抵触するからこそ拒むのである。
 母も息子も、充分にそのことを理解しつつ、やはり嘆かないではいられないのだ。「母は嘆けり」が重くひびく。
 
 こうした歌に見られるように、母以外の家族は絶対に面会に来ないわけだから、すべては菊枝さん一人の肩にかかっているのだ。
 
  女知らず躓(つまづ)ける吾に
  男ばかり産みしからにと
  済まな気に言ふ
 
  汝(な)が人生を狂はせし彼と
  いふ母よ
  吾もあまたを狂はせたるぞ

  出火して
  逃げ出さむとき持つ物に
  吾を戒むる母からの手紙

 面会時における母と息子の対話の内容がうたわれている。母の息子に対する愛の深さ。母が言った「男ばかりを産みしからに」「汝が人生を狂はせし彼」とは、「お前だけが悪いんじゃないよ」「一人で罪を背負い込まなくてもいいんだよ」の意味だろう。
 母は、息子が自分を責めて孤立しようとするのを、身をもって庇おうとしている。「済まな気に言ふ」が読者の心に深くしみる。

  いつか母に
  ずつと黙りて居りしがとて
  聴かさるることあらむと思ふ

 この歌は読む者をぎくっとさせる。母がまだ言わない何かとは何なのか。事件関係者のことだろうか。家族のことだろうか、あるいは母自身のことかもしれない。息子のためを思って言わない何かなのだろうか。
 そうではないだろう。息子の側でもうすうすそのことに気づいているにちがいない。隠しているのではない。言えないのだ。息子への深い愛を、直接息子に向かって言うことはできないのだ。

 九十余年を生きてきた菊枝さんの一生の物語。その中で、息子のことだけを思って生きた三十余年の物語の中心をなす思いである。なかなか言葉にはならないのであろう




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