ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

富士通とレノボのパソコン事業統合に思う

2016-10-12 10:09:51 | 経済

富士通が中国レノボとパソコン事業を統合することで合意した。このニュースを聞いて私はある感慨を持った。もっとも考えたのは富士通のパソコン事業の将来ではなく、5年前に同じようにレノボと事業統合したNECのパソコン事業についてである。今回の富士通の判断を考えると、2011年のNECの判断は好判断だったと思えるのである。

今後は富士通ブランドで事業を継続するのだろうがNECブランドと富士通ブランドのパソコンは競合するので、いずれ富士通ブランドはNECブランドに吸収されていくのではないかと思う。この5年間のNECと富士通のパソコン関係者でもNECのほうが気持ちよく仕事ができたと思う。

思い起こせはNECのパソコン事業は大成功だった。私が入社した1970年代中ごろにTK80というキットから始めてパソコン事業を立ち上げて日本国内で圧倒的なシェアを取った。1990年代半ばには私は研究所から開発研究所に異動になり、パソコンや家電を扱う部門の一部に入った。このグループに当時売れ始めていた携帯電話端末事業が入っていたのである。私は無線の研究者だったので通信部門の技術者とは付き合いは深かったが、この時に当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったパソコン事業の人たちと交流ができた。

通信事業関係者は技術至上主義が強く、NECのパソコン事業はたいした技術を持っていないなどと言っていたが、中に入ってみて、パソコングループはマーケティングが非常にしっかりしていた点が印象的だった。通信グループはNTTが最大顧客であり、NTTの要求を聴くことがマーケティングだったが、パソコンのマーケティングは最終消費者の求めるものを調査する本格的なマーケティングだと感じたことを記憶している。当時、ハードウェアのアーキテクチャとして国内を牛耳っていたNECアーキテクチャを捨てて世界標準になっているIBMアーキテクチャにどう移行するか、とかMS-DOSからWindowsへの移行にどう対応するか、とかいった議論にも民需の厳しさを感じていた。

90年代後半以降は、ハードもIBM互換でOSはWindowsといういわゆるMocrosoftとIntelに事業が握られてNECのPC事業も苦境を迎える。このような時期に私も無線技術者の一人としてマイクロソフト本社を訪問したりしていたのだが、NECのパソコン事業は利益率を下げながらもしぶとく国内トップを維持していた。そんな時期に無線事業のトップであった横山副社長がパソコン関係を見るようになった。通信事業一本で育ってきた横山氏が民需系であるパソコン事業の問題点を的確に把握し、指示を出す姿を見て私は「この人こそ次の社長にふさわしい」と思ったものだったが、それはかなわなかった。

話をレノボとの事業統合に戻すと、あの時期にレノボとの事業統合を実現させた経営判断は慧眼であったと思っている。事業は始めるときよりも引くときのほうが難しい。私は2007年にNECを退社していたので、誰が事業統合を進めていたのかは知らないのだが、おそらくパソコン系の事業で育ってきた役員が判断したのだと思っている。私は退社前にNECの今後にはパソコン事業のような民需経験の深い人が必要だと思っていた。それは事業の変動が激しく、それだけ様々な苦境を経験していて判断力が身についていると感じていたからである。

実際のところ、NECは顧客がどう判断するかが不透明で経営判断の難しい分野を次々と手放し、安定顧客の見込める分野に注力してきた。これで果たして経営者が育つのかを危惧している。私が退社してほぼ10年になり、今の幹部は私の良く知らない人が大部分である。今、世界のICT事業は大きく転換しようとしている。経営者の資質が一層重要になってきているので、きちんとした事業判断をできる人に舵取りをしてもらいたいと感じている。