ナチュラルボーンライター

職業:書き手、特技:企画考案…そんな私、夏目幸明がゆるく更新。mixi:ナチヲ twitter:natsumedayo 

ソニーを生んだもの

2009-05-25 13:01:53 | 文章と取材の技術
ちょうど今、ソニーの原稿を書いている。
この会社を作ったのは盛田昭夫さんだ。
ボクは経営者の話が好きで、松下幸之助さん、
本田宗一郎さん、盛田昭夫さんらの言葉を読むと、普通に、泣けてくる。
ボクは無宗教だけど、多分“働き教”みたいなのを信じていて、

「良いアイデアを持つ人は世の中にたくさんいるが、良いと思ったアイデアを実行する勇気のある人は少ない。我々はそれをがむしゃらにやるだけである」

みたいな言葉をきくと、
ありがたや、ありがたや、とか思う。

でもってこの人、実は兵士として戦争にとられている。
が、いつやられてもおかしくない激戦地に行くのでなく、
すんでの所で、海軍の技術屋になった。

どうも、上の人がすんでのところで止めたらしい。
“オマエみたいな優秀な技術屋が
ただの一兵卒として戦地に送られるのは
それが規則とは言え、しのびない。
だからおれがなんとか技術屋になれるようにしてやる”みたいな。

で、盛田さんは生きて帰った。しかも、
井深さんと出会ったのはこの海軍時代という。
(すんません、ここまでうろおぼえ&人に聞いた話です)
(間違ってたら、やさしく指摘してくださいね)

で、のちに彼は、ご存じの通り。
我々の豊かさの一部を作り上げた。

そんなわけで、今日のテーマは“歴史に残る仕事”で
注目したいのは、盛田さん本人ではなく、その上官だ。

名経営者列伝を読むと……いや、
大好きな仕事に日々、心を燃やしていると、
誰もが、思うんじゃないだろうか。
「歴史に何かを残したい」。

が。刻まれるべき名は少なく、
用意されている席は、願う人の数より圧倒的に少ない。
が……。

「彼」。名も知らぬ彼。盛田さんの上官は、
間違いなく、歴史に残る仕事をした。
そして、盛田さんになれる人は少ないが、
自分だって、そういうことなら、
歴史に何か貢献できるかもしれない。

いかに生きるか。

もちろん酒も飲みます、おいしいものも食べます、
でも“その人”が目の前に現れる前から、
日々、人を見る目を養い、
ええ、資料のつもりで雑誌を読み始めて、
気付けば水着のグラビアを見てたりします。
が、心のどこかに「世界」を思い、
「規則」より強い「信念」を持つなど、準備を怠らないこと。
だって、歴史は変わる。盛田さんの手だけでなく、
名もなき上官のような、小さな存在も必要としながら。

と、ソニーの原稿を書きながら、そんなことを考えました。
6月第3火曜日のDIMEで発売です。
デジタルフォトフレームを通して
日本を変えようとした人たちのお話ですよ。

※関係ないけど、ソニーの井深さんは、亡くなる寸前に「何がしたい?」ときかれ、普通「キュウリの漬けもんが食べたい」とか言いそうなものなのに、「小さい会社を作っていろいろチャレンジしたいね」と答えたらしい。シビレんな。

無題

2009-05-08 01:40:18 | 文章と取材の技術
今朝8時半にカメラマンさんと馬場で待ち合わせをした。
世界で初めてデジタルフォトフレームを作った人を訪ね、
ソニーへ取材に向かうためだ。

デジタルフォトフレームは「ハイテク」の商品じゃない。
ヘタをすればパソコンのデスクトップの壁紙で充分だ。
でも、そのローテクがなぜこれほど一気に浸透しつつあるのか?

実は、泣ける話ですよ。少なくとも自分は、話を聞いて泣いた。
DIMEの『ヒット商品開発秘話 UN・DON・COM.』、
6月くらいかな? ぜひ読んでくださいね。

いずれにせよ、今朝、馬場でカメラマンさんを待っていると、
みんな、というか9割9分の人が「タリー」って顔をしてた。

こんな日があるんだな、と思った次第。

取材が長引いて、そのままメシも食わずに
ぐっさんの取材に行った。山口智充さんです。

取材が終わったあと、新宿三丁目の駅まで歩いていると、
明治通りにでっかい「のどごし<生>」の看板があった。
この人と自分が話をしていたんだな、という現実が
不思議と、リアリティがまったくない。

そのあと、ゲラを見て、
日中にたまっていたメールに
片っ端から返事を書きまくって、
書類の発送とか、事務的な作業を済ませ
電話で打ち合わせしながら日付が変わって、
やっと「とりあえずお疲れ」。
冷蔵庫のビールをプシュッとあけました。

で、リアルタイムで酔っぱらってまいりましたよ。
この調子なら明日もがんばれるぞ。
みんな、おやすみ。
二度と会えない昨日の自分も、
おやすみなさい。