ナチュラルボーンライター

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雑感

2017-03-20 13:45:37 | まったくもって個人的な話
毎年、3月20日になると、実家のかーちゃん、ねーちゃん、とーちゃんに電話をする。子どもの頃、誕生日は「お祝いしてもらう日」だった。だけどさすがにこの年になれば「有り難がる日」であって、だからこそまずは、産まれてくるときに散々なご苦労をかけたかーちゃん様に電話をする。ただし残念ながら、NTTを使っても光回線を使っても、いまはまだ、あの世への通話は不可能だ。ゆえに今年はかーちゃんとねーちゃんにだけ電話をした。

「産んでくれてありがとね」と言うと、かーちゃんは「この世はどうだん?」と言う。この言葉の選び方が、本当に親子だと思う。すぐ生きるの死ぬの、話が重くなるのだ。私は「悪くないね」と言い、オヤジのことを思い出した。

彼は死ぬ数年前、こう言っていた。

「おらぁ、昔、占い師に見てもらったことがあるだよ。ハタチ過ぎぐらいだったわ。そんときに『わしゃあいつまでいきるだん?』ってきいてみたら、90近くっていうだよ」

ヤツは87歳で死んだ。ようするに“その時”が迫っていた、というわけだ。

「言われた当時は『まだそんなに生きにゃあかんだか』と思ったよ。でも本当に90近くになると、わしゃあ死ぬのがおそがくてしょうがない。もう死なにゃあいかんだか、って思うとおそがいよ……」

年齢を経て、変わるものはある。例えば少しずつだけど腹が立たなくなってくる。とくに最近そうなのだが「まあしょーがない」「自分のせいだで」「怒ってもなんもかわらーせん」とか思うようになった。いや、やっと思えるようになった。あと、知識は増える。自分が「そんなの当たり前だら?」と思っとることをしゃべっても、自分より年下の人んとーが「なるほどお!」と肯首してくれる。

一方で、私は正直、戸惑う。年齢を経ても、あまりに変わり映えしないことが圧倒的に多いのだ。

何か話せば重くなり、それを言葉にしてひねり出す作業が趣味で、こらえ性がないからものが続かず、忘れっぽいから人に迷惑をかける。悪習は絶てず、よい習慣は続かない。恥ずかしながら人に嫌われるのが怖くて、誉められると調子に乗る。かっこいいと思われたくて、でもカッコ悪くて、現実に気付くと“なんとかならないか”と思うあたりも大変に見苦しい。

やらねばならぬことは放置し、やらなくてもいいことは楽しい。概して体に悪いものはうまく、体にいいものはそうでもない。歯医者さんに行けば痛いからやめてくれと言いたくなり、買い物に行けば、いるかいらんかわからん絶妙な線を買うのがまた何とも楽しい。

せっかく年下が増えたのだから、少しどや顔で言わせていただこう。

おっさんになっても(たぶんおばさんも同様だろうが)、あんまり変わりません。皆さん、残念でした。いくつになっても煩悩はくっついてきます。多少は枯れ葉舞う秋の趣きも出せるようになったかと思いますが、それは周囲に求められての演技です。ごめんなさい。変わると言えば、上記の通りで、無理に自分の我を通すのでなく、うまいこと自分の我を通そうとするようになった、くらいなものでしょうか。残念でした。ああ残念でした。

次に、生命への執着も変わりありません。周囲に認められたく、おいしいものが食べたく、まったくもって一切死にたくありません。大変に残念ですが、私の父を見るに、人間死ぬ寸前までそうなようです。残念でした。ああ何とも残念でした。

そういえば、こんな私のために、様々な方がプレゼントをくださいました。そのひとつは、写真をアップするのも情けなくなり中断した、「下」に使用すべき品で、これ私、捨てるわけにも行かず大変に困っています。放っておいてください。漏らしません。20代の学生の皆さん、40代って大人に見えるでしょ? 残念、こんなものを贈りあって喜んでいる程度です。勉強になりますね。

ただし、感謝はできるようになったと思います。感謝。ありきたりきわまりないのだけれど、やっぱり生命には宗教的な魅惑があり、それを享受していることに対し、感謝の念が湧いてきます。

春夏秋冬は厳かで、毎日の食事は、人が自然から離れられぬことを教えてくれ、よそさまはいつも私の師であり、私の鏡。自分の小ささを思い知らされたら、落ち込んだり、「そんなことない!」と思うのでなく、「ああ私は小さいのだ」と思わなければ前に進めない。情けない思いをしたときこそ、笑っていなければ次に進めない。そんな「人の道」のようなものをひとつひとつ知っていこうとして、それでも大した人になれない、その過程は、いろいろあるけど大変に魅惑的なのです。

だから僕は、かーちゃんに「ありがとね」と言った。するとこうかえってきた。

「3月19日は日曜日でね、ちょうど大河ドラマみとったころにおなかが痛くなってきてねぇ。あんたが産まれてきたのは3月20日になってすぐだったやあ。いつまで腹が痛いだやあとおもっとっただけど、夜中の12時過ぎくらいには産まれてきてくれてねぇ……」

じみじみ「ディテールまで覚えていてくれてかーちゃんありがとう」と思った。

“生ある間は死なし。死至れば、既に我なし。又、何をかおそれん”。そう、生きてる間は死んでなくて、死んだらもう我はいない。今年も悪いけど、イメージ通りの大人になどならず、フォーフォーとハイテンションに生きていくつもりです。皆さん、そんな恥ずかしく情けない45歳を生暖かく見守っていただければ幸いです。
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