☆☆ゆきのおと Yuki's Note ♪☆☆

☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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維新のふるさと鹿児島ウォーク in 2008(2)

2017-09-19 14:37:33 | 維新のふるさと鹿児島ウォークin2008

☆トップの写真はこのイベントの際に頂いた「篤姫ウォークマップ」

☆☆☆ 前回「維新のふるさと鹿児島ウォーク in 2008(1)」より続き ☆☆☆
画像は断りのない限り、2008年11月15日当時のものです

さて、松方正義像をあとにして、武之橋を渡った右手には、乃木希典夫人の乃木静子像のあった公園があります。
乃木静子誕生地です。

小さい画像はクリックすると拡大表示されます。  静子夫人、生い立ちから殉死までの年表
お守り札のエピソード、など 

辞世の句「出でまして かへります日の なしときく 今日の御幸に あふぞ悲しき」

☆おや?とお思いの方もあるでしょうが、現在は今年7月「乃木静子夫人銅像、再び」にも書いたとおり
去年11月27日(夫人の誕生日)に新しい乃木静子像が建立されています。《乃木静子夫人奉賛会のHP》

 (以前のものがリンク切れだったので、新たに検索して貼り直しました!  ↑ 2020. 7. 21)

☆ご覧の通り、以前の案内板には現在の像の基になったと思われる写真が映っていました。

 現在の様子
              


乃木静子夫人の誕生地をあとにして武之橋方向へ戻り、今度は甲突川左岸を上流へ辿ります。

そこには牛島満大将生い立ちの碑があります。

沖縄軍司令官 牛島満大将 生い立ちの碑(石碑裏側) 苔むした台座 金丸三郎 元鹿児島県知事による碑文

☆2017年現在まで、ほとんど詳しい事は知らずにいたので改めて調べてみました。
Wikiによると、牛島満は1887(明治20)年7月生まれ。父母ともに薩摩藩出身だが、満の出生地は東京で、
生まれてすぐに父親が急逝したため、母親の郷里である鹿児島に兄弟とともに帰郷。
1897(明治30)年に熊本陸軍地方幼年学校に入校。1906年に陸軍士官学校に入校。
但し、第一鹿児島中学(現・県立鶴丸高校の前身)が母校とある。

    建立期成会委員の御歴々

(ここでは敢えて沖縄戦時下の出来事に関する事は書きません。Wikiなどを参考にして下さい。)
なぜここに碑が立てられたのか経緯は分かりませんが、この辺りに暮らしていたのかもしれませんね。

☆牛島満中将(没後大将)について2008年当時は全く聞いた事がなく、ここを訪れた時に父が親から聞いた話を私に語ったのです。
父の話によると祖父から「もしかしたら(大龍小学校で)同級生の牛島かなぁ」というのを聞いていたようですが、今回調べてみると生まれた年が違いました。
祖父は明治14年5月生まれなので牛島氏は6歳若い。
もしかすると牛島氏の兄弟が同級だったのかも?などと思ってみたり、同名でも全く別人か?とも。今となってはわかりませんが。

「篤姫ウォークマップ」見ながら歩いていたところ、牛島満生い立ちの碑はコースから外れていたので
次の安藤照誕生地を目指して市立病院の裏手を歩いていると……
そこに唐突に現れたのが「田代安定誕生之地」と書かれた石碑と説明板だったのです!

☆mixiフォトアルバムを見ると作成当時の写真説明コメントのところに
「八重山や南方諸島の研究者であった方だとか。左源太さんとも重なるじゃないですか!興味がわきました。」と書いてありました(笑)

☆関連記事→「田代安定について考える【追記あり】」


☆☆☆ もう暫く続きますがまた次回へ↓ ☆☆☆

維新のふるさと鹿児島ウォーク in 2008(3)


アルバムも作ってみました。
枚数が多いので2部に分けました。
「維新のふるさと鹿児島ウォーク2008ー①」

2冊目の
「維新のふるさと鹿児島ウォーク2008ー②」も出来ました♪('17. 9/20完成!)


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