中年オヤジNY留学!

NYでの就職、永住権取得いずれも不成功、しかし、しかし意味ある自分探しに。

長い道のり、たとえ新型肺炎が一時的終息でも・・・

2020-04-20 16:52:50 | 日記
長い道のり、たとえ新型肺炎が一時的終息でも・・・


 新型肺炎によりTVの報道ではスーパーは買い物客で混んでいる映像も流されています。
今日は食べ物の在庫がなくなり仕方なく、近所のショッピングセンターに行きました、約一週間ぶりです。 外出自粛が出ているので予想はしていましたが、店内のスーパー部門を除き殆どのテナントのフードコートはシャッターを下ろし、広いエリアは全ての椅子が使用されないようテーブル上にひっくり反され、いつもの風景とは異にしていました

(時代が数十年前に戻った?でもなく、なんだろう?・・・)
と言うか、ここのショッピングセンターは工場跡地に十数年前オープン、地元に住む私はこんな静かな街にそんな大規模に新規に投資開発して、当初は”大丈夫?“と見ていました。 ところが意に反して、開店によりどこから人が来るのだろうか?と思うほど人の流れが生まれ、馬鹿にしていた付近の不動産価格も上昇。
そんな私も大きな”箱もの“を作ると、素人には想像もつかない事が起こると、数年前は学習したところでした。
しかし今日4月9日の新型肺炎で、付近の道路は客の動きは大型店らしからず、このショッピングセンターができる以前の街の寂しさを脳裏にふり返させる。 何故か人がどうする事も出来ない力で、作り上げてきた街の賑やかさをも“吹き飛ばされたような”。 
もちろん現在の状況がいつか終息することを祈るが。



(日本が長く作り上げてきた飲食ビジネスどうなる?・・・)
 規模も種種雑多の“めちゃめちゃ感”はロンドンもニューヨークも私が知る限り、東京の足元にも及ばない。 高級店から赤字覚悟のサービス精神で孤軍奮闘する個人飲食店まで、古今東西の料理で、地元のみならず世界中の観光客を引き付ける理由はあった。

 昔、上海のサイゼリアで食事して際、この辺りの欧米の住人が全員食事に来ているのではと思わせるほど混んでいた、中国ではあたかも彼らの“オアシス”。 なんせ上海での中国人経営のイタリアンや洋風レストランは“味になっていない”不味かった。 やはり日本は穴場だったのだ。

 それがこの新型肺炎により、一時的終息はあるかも、だが数か月後、数年~十数年後に類似の感染症の発生を含め覚悟する必要があるのでは。
 今までのように、飲食店での他の客とギスギス接触状態での飲食にはリスクの顕在化が明らかになってしまった。 何か全てあたかも、この世の中に新しい設計図が必要のような・・

(必要、ライフスタイルの変更?・・・)
  この状況が何時まで続くのか? しかし今現在、コージィ(温もりのある)な喫茶店やレストランで時間を友人と共にするより、自分以外の他人と隔絶することが大事になってしまった。 今回の騒ぎで、ややマイナーであった持ち帰りや宅配も生活の一部に。

 仮に私がスーパーや飲食業のオーナーなら、多少投資が必要でも今後数年間に断続的に新型肺炎の隆盛期があると仮定し、店舗のレイアウトや従業員や顧客の安全性を少しでも確保できる新たな環境と投資が必要となるだろう。
 となると今までのようにテナント家賃の効力活用のため、一定のエリアに出来るだけ顧客を詰め込むのは困難となる。
 
 会社にしても、新型肺炎まで通勤勤務していたものをできる限りテレワークにシフトとなれば、個別の従業員の身分や報酬も様変わりとなる恐れもある。 もちろん2021年以降に関しては新入社員の求人減少や選別化も起こる可能性が。

(目先の新型肺炎が一時的に終息しても、終わらない・・・)
 今の株式市場を見ても、一時の高値より若干下げたことはわかる、しかしこの3月期の主要企業の肺炎による不意打ち的な混乱で大幅な減益、および来年以降の減収益、不透明な世界経済をまだまだ織り込んでいない。 
 新型肺炎は個人のライフスタイルも街中のサービス業も会社の事業モデルの変更を強いるだろう。 あたかもかつて大砲を打ちあって戦争をしていたものを飛行機がそれを凌駕し、日本軍の虎の子戦艦”大和“が僅か建造数年で旧式な道具に化したように

 もしかしたら私達が時には長く親しんだ街中での飲食や買い物も、淋しいが部分的に放棄しネットショッピングやテイクアウトに移行するとか。
 企業の多くの従業員が今までのようにスーツを着てネクタイし電車に乗り通勤しないテレワーク勤務が可能となれば、会社の従業員本人も帰属意識も薄くなり、地位も不安定に?。 一方、将来テレワーク職自体が外部委託やフリーランスの下請けとなり、就職の意味が様変わりになる可能性も。
職場での“和気あいあい”の語らいも昔をなつかしむ語り草になるかも。

(ツアーリズムの代償)
 今回の世界的新型肺炎の流行の裏に世界的な旅行などによる人間の大移動も起因している。 今となって見るとツアーリズムによる経済効果よりはるかに“負”の側面の方が勝っていたことになる。
国も企業もインバウンドの恩恵で節度を失ってしまった、“調子に乗っている時こそ危険”という定石を無視してきた。 まさに“過ぎたるは及ばざるが如し”それは日本のみならず、アメリカも欧州も。

“未来の衝撃(A・トフラー/徳山二郎訳1982刊)”は流動性(の)社会”というフレーズを使い昨今の国内の移住者(私は旅行者も含めたい)は地域への忠誠心は弱く責任も薄く短期間で去っていくとしている。 私は旅行者を含め短期移住者は、従来そこに定住する者に出来るだけ”負“を残すべきでないと思う。
今回の騒ぎで、旅行者が安価なツアーがあったから、コストはそれだけで済むのではなく、旅行先で地元住人のリスク負担とし、若干高めのビザ費用や入国税は徴収するも理があるのでは。
少なくとも、自国がロックダウンする前に、日本に逃げ込むのは好ましく無い。




欠点も含め相手の全てを愛せ、もし大事な出会いなら

2020-04-02 11:19:00 | 日記
2019/5/28記

価値あるものとは?)
 ある雑誌に書かれていた、こんな話。
昔、ペルシャの市場で古老がコーラン5巻をセットで売っていました。 たまたま通りかかった男が、それに興味を持ち買いたい衝動、でも値段は?心は行ったり来たり。 ついに男は聞いてみる“そのコーランはいくらだ”。 そこで古老は“(例えとして)5巻セットで10万円”。 値段を聞いた男はためらう、買う決断が中々つかない。
 それに業を煮やした古老はコーラン5巻の内の1巻を、側で焚かれている火だまりに投げ込んで焼いてしまう。 やっと最初から5巻まとめて買えば良かったと思った男は“なんていう事をするんだ買おうと思っていたのに!”。 
そして男は続けて言う“せっかくの1巻を焼いてしまったことだし、残り4巻でいくらになるんだ?”
古老は“(価値あるものは、多少の傷みや欠落があっても)値段は先に言った通り変わらない”との事。
・・・これを読んだ私は我に帰りました、これと似た過ちを当時何年か前に犯していたからです。 重い辛い思い出です。・・・

(彼女と偶然の出会い、池袋にて)
 ニューヨーク、中華街の台湾系の小学校で中国語を習い始めていた経緯もあり、帰国後の関心は中国語へ、時は1996年頃です。 池袋駅東口でたまたま貰った、金曜日夜に付近の中華レストランでのダンスパーティーのリーフレット(いわゆるビラ)が縁でした。 私は一人で出かけました、そこでは既に何組かのカップルが踊り、曲ごとに相手を変えてフリーに踊っています、壁際の椅子にも人達が。
中でも白いワンピースを着た女性、声をかけてくる男性に嫌な顔もせず、代わるがわるパートナーとして楽しそうに踊っています。 
・・・(私も踊ってもらおう)・・・その日は彼女と踊った事以外は憶えていません。
3,4曲一緒に踊りました、その間に会話も。 彼女は3ヵ月前に日本に来たばかりと
そして揃って座って、話を、私はコーラ、彼女はジュースを飲みました。
北京から出張で来たそうです、期間は2年間、話の真意は分かりませんが、見たところ結婚している年齢だし、家族のある女性を海外へ単身で出張させる?
話が本当だとしたら、中国って意外と進んでいるんだな!そして会社に選ばれて出張する彼女は少しエリートなのかな?その他色々、私の頭の中・・・。

そしてパーティーの終わり間際、彼女は私に何か話かけている。
日本語を話せない彼女の話が、中国語が“若葉マーク”の私は“何々、本当?”、“何だか彼女の最寄駅まで一緒に帰ろう?”よく分からないまま、最悪、最寄駅迄送ってくれなのかな?で、私達はパーティー会場を後にしました。

(彼女のマンションへ、これトラップ?男が出てきて半殺し?)
 地下鉄のある駅を下車、駅から2分と言うけど内心“そんなに近い訳ないだろう、それだったら家賃は高いよ!”。
彼女は駅迄で良いので“サヨウナラ”と言うのか?と思いきや、私を建物前に案内、そこは新築の“LIONS XXXX”,オートロックを解除しエレベーターで部屋へ。

そして部屋に入ってから数十分経っても、例の私を半殺しにする男達は来ないので、今日の所は無しかな?と緊張感は解けつつありました。
それでは積極的に私を男として迎い入れるのかな?といえばそうでもなく、彼女は自分のベットで私はその下のフロアにマットのようなものをあつらえてくれて、つぎの日の朝を迎えました。
とりわけ彼女と最後まで行った分けでも無いし、これで会う事も無いと思っていました。 しかし今度、彼女は今から私の家に付いて来ると言いだしました。今でも忘れません彼女の一言、私の1DK(公団)の部屋を見渡し、これといった家具や電化製品も無いところから、やっと話す日本語で“あなたは貧乏です”。
それを聞いて、半分私は笑えました(そう見えるよな!)。
何時でも現在の自分を捨てて外国へ再び行けるように、大型の家具・電気器具は極力買っていませんでした。


中国領事館への六本木交差点と同時に私の人生の分かれ道 ↑

(それからはお互いの部屋を行ったり来たり)
 以前は多少アカヌケしない身なりを、少しでも日本の街に溶け込むように、服は良く買ってあげました。 一緒に出掛ける際も、私が喜ぶような服装で歩いてくれました。 そして彼女が無理していたかどうか?分かりませんが、食事も私の好みに黙って付き合ってくれました“随便!(スイベイェン⁻何でもOK)”。
彼女特有?外国人ゆえ?デートの際は異体験です。
電車の中では、彼女は私の手を握りお見合い状態です
正直、私は日本人ですから少し恥ずかしい、しかし、これも幸せの一つの形として受け入れました。 デートの別れ際、ホームだろうが、路上だろうが同じく彼女は“キス”をするものと、私もそれに応えていました。

その時、私は四十半ば、彼女は30代後半。
人によって個人差はあります、ただ彼女は子供が産める体でした
時折彼女は妊娠することに、不安を示したり、一方子供をもうければ頭の中で善悪を考える余地も無く、日本に居続けられると微妙な所にいたかもしれません。 
本当はひとえに、私の気持ちに懸かっていたのですが
彼女の会社でアメリカの長期出張へ行った女性達が、何人も中国の生活や家族を捨て帰らない話は聞かされていました。 彼女も(中国の家族を捨てても)このまま日本に残りたいと言っているようにも聞こえます。

(自分も幸せになり、彼女も過去を取り戻せたのに・・・)
ある日、彼女のマンションに居た際、写真帳を持ち出してきました。
中国にいる両親・姉妹・そして彼女の娘さん、見たところ小学3,4年生、容姿は彼女(お母さん)より美人でバイオリンを手に持ちポーズ、中国では中流の上と感じました。 同じページのクリア・ファイルには・・・(中国語で次のように)・・・
この地球上で何もほしいものは無い、只要我親愛的MAMA(ただ大好きなお母さんがいれば) 私の頭の中は真っ白になりました

更に私の心には重くのしかかる衝撃な事実・・・
彼女いわく“実は私は後妻(継母)で今の主人のところへ嫁ぎました”涙ぐみながら。
人は時折、何かのはずみで迷い路に入り込んでしまう事があります
何故、彼女がその結婚を選んだか、何があったのか?私は理由を聞いてはいけない、素晴らし彼女を負の部分を重ねてみる必要はありません。その時、彼女がその結婚に誇りを持てないなら、心の傷を少しでも鎮めてあげるべきでした。 強く抱きしめて、一緒に泣いても良かったのに・・・

確か付き合いは10か月程続きました。
人間、自分の目の前に最高な人がいるのに、彼女と一緒になる事からくる幾多の問題なんて腹が座っていれば、きっとどうにかなっていたのに。例え家族が急に増えても。
私は楽な答えに逃げ込み、そして幸せの架け橋をも自ら遠ざけてしまいました。
そしてその後、現在に至る何年、何十年、私の心は”もしも・・・”、”どうして、あの時・・・”とその記憶で冒頭のコーランを買いそびれた男のように、立ち止まっています。

よく人は一生のうちに男女の巡りあいは2、3度あると言うが、それは違うと思う。
その2,3人を並べれば、誰が最高か?最高であったかは歴然としてきます

映画のタイトル“復讐するは我に有り”ならぬ、“復讐するは自分の過ぎたる欲に有り”が自分にふさわしいタイトルの故史です。