中年オヤジNY留学!

NYでの就職、永住権取得いずれも不成功、しかし、しかし意味ある自分探しに。

親切の代償、アメリカ留学にて

2021-01-16 16:26:04 | 海外留学
親切の代償、アメリカ留学にて
 美容師ゆえ髪切り外交と…その先 ―
2021/1/16 記


美容室経営を精算しニューヨーク留学)
80年後半、美容室経営の“壁にぶち当たり”そんな最中87年、参加した欧米美容ツアーで業界視察よりもニューヨークの街に触発されその後、経営を精算、留学を決意しました。
結果、これまでの美容でご飯を食べる路に別れをつげようと

これから先、美容師に象徴される“ハサミとコーム(櫛)”にお世話になることは無いだろう。 とにかく新しい路を歩むために、美容師であった過去に決別するのだから、頑な(かたくな)に美容道具を旅行ケースにパッキングするのには抵抗がありました。

しかししかし、一年前にNYを短期間は訪れているものの、一体いくら生活費がかかるのか?
仮に現地で働きたいと言っても、英語はカタコト、正式に働くには学生ビザでは不法就労で何処も相手にしないだろう。
最後の手段であるとしたら、美容師としてどこかに滑り込むがあたりに落ち着くかもと、やはり意地をはらず、”ハサミ“は持っていこうと。

YMCAにて二人の日本人と・・・)
 NYに来てから、2番目の投宿場所はYMCAです。
旧い建物でしたが規模が大きく人の出入りは多く、私には逆に安心感がありました。
もちろん施設は当時も2013年、再訪時もほぼ変わらぬ旧いままですが。
そこで私と同じ日本人でニューカマー(新参者)男性2人と知り合いになりました。
最初のうちは、お互いの部屋で行ったり来たりで話し込んだり、このNYで頼る人も無く万一の時はお互い力になれるのでは?”と知り合いができ異国で少し肩の力が抜けました。

 一人は30代前半で日本では何をしていた?と聞けば、中学校の地理の教師だったと言う。 
(私)“(先生)辞めて来ちゃったんですか?”本人はそうだと。
(私、心の中で)“もったいないな!”
私は崖っぷちで、失うもの失った故にここNYに居るのに、仮にもし私が学校の先生なら、多少の嫌な事も我慢し安定した職業にしがみ付いているのに。
そしてもう一人は芸人サンドイッチマンの伊達さん似の彼から、私の経歴が美容師であったことから、結局髪の毛を切ってくれと言う話になった。
正直言って“やっぱり”と言う印象だが、この時はこれがNYで初めての“小さな安全地帯”に思え、仕方ない。

YMCAには炊事をする設備は館内にも、自分の個室も寝るだけのベッドがあるだけです。最初のうちは3人で近くのリーズナブルなレストランで食事したり、リンカーンセンター正面の持ち帰りの中華屋で。 またブロードウェイに面したスーパーでの総菜やハムの量り売りやパンを自分の部屋でと。

そうこうしているうちコロンビア大学の英語学校も始まり、新しいクラスメイトとの付き合いも始まり情報も増えました。 自分はYMCAにどれ程居たのだろうか?多分3~4か月?その間に例の伊逹さん似の彼から、“髪の毛を切ってくれない”とせがまれました。
最初は友達ほしさに自分の方から進んでだったが、何故か?“面倒くさい”という感情がよぎりました

おまけにたかが日本人の英語であるが、されど英語である。 つまり自分のように年も行き一昔前の英語環境で育った中年の私と、若く年下の伊達さんでTOFELのような“受験対策英語”に慣れ親しんだ者同士の差は歴然としていました。
こうして次第に、伊達さんの進路や英語への嫉妬で距離を置くようになっていきました


(INTERNATIONAL HOUSEへ引越し、生涯思い出の地・・・)
 きっかけはコロンビア大学英語学校の日本人クラスメイトから、“何でYMCAに住んでいるの?I-HOUSEに引越せば良いのに”という事で引越しました。
ただアメリカはお金を出せば住まわしてくれるという場所ではありません
アプリケーション(申込書)には1)住みたい理由 2)HOUSEの中の行事に進んで参加する意思があるか 3)長く住みたくても2年 など英語力がおぼつか無い私には申込みに苦労でしたが入寮許可が出ました。

 ここでも私は“髪切り外交”を今回は誰でもという事でなく、出来るだけ英会話のたしになるネイティブ・スピーカーの最小限に留めようと思いました。 あのYMCAの二の舞は避けようと思いました。 ただ当時の自分は学校とアルバイトで、暇を持て余している状況ではありません。 アメリカの大学の宿題は概ね難しすぎるというより、教授は“宿題をやってこない生徒には厳しい態度で接します”。

I-HOUSEで住むこと2年半、仲良くなったアメリカ人3人ほど定期的に、髪をカット(もちろん無料)しています。
ご本人達にしたら、これがいつしか当たり前
 また台湾人のネネちゃんは本格的にパーマをかけてくれという“猛者(モサ)まで現れ・・。
またある日は、英語学校で知り合った女性のクラスメイトが、”ハサミ“をもって自分のアパートに来てと。 もちろん恋愛勘定で無く美容室代を浮かせるためです。 当時AROUND90’では通常カット料金は$40前後、アルバイト1日の金額です。
NYに住みついた貧乏学生や、お金をそれ程持たず勢いで来た人々は、最後は節約で足りず、狭い部屋に大人数のタコ部屋暮らしや、使える者は何でもとなります・・・

↑ I-HOUSEの日本文化交流会 こんなに日本人が住んでいることを知る。

私はいつもこのブログで言ってます。 長く住む日本人は、この街NYCを“ニューヨーク村”と呼んでいます。
大都市だからと言って、バイト位すぐに見つかる東京都と勘違いしてはいけない。
しかし結局、日本人がらみのレストランや、小遣いの足し程のアルバイトが関の山。
しかもバイト探しの日本人の不法滞在者も腐るほど。
最後の砦は、日本の田舎暮らしと言えども、一方で年金頼りに似た、NYの日本人は日本の銀行のカードから泣く泣く引き下ろしと言ったところでしょうか。

NYに来て2~3年も経つと、留学当初の同級生も努力や運で希望の大学に入学や、職を見つけたり、私のように鳴かず飛ばずの者もあり、バラバラになって行きます
 髪のカットで私に声をかけたクラスメイトとも、互いに自慢する話も無く、自分自身の舵取りで精一杯の私達はアパート近くのユニオン・スクエアーをぶらっとしただけで別れたのを覚えています。

(それでも“シザー(はさみ)”は、多少なりとも助けに・・・)
 偉そうにもう美容の仕事はしないと突っ張ったもののお金の為、留学1年半後には、トランプタワー近くの日本人経営の美容室で働くことにしました。 時給は$3.50で足らないところは、お客様より“チップ”を貰えという事です。 それでも一週間シフト有りで$80前後になりました、決して十分ではありませんがリリーフ(助け)となりました。
持ち金を、引き出す一方では蓄えは、たちまち枯渇します。

↑ この美容室で働いていました。 2013年、訪れた時は既に閉鎖されていました。

NY(アメリカ)に行くにあたって、(生活―お金は)行けば何とかなるは禁物です。

(また、別の投稿で・・・)