ゆいもあ亭【非】日常

映画や小説などのフィクション(非・日常)に関するブログ

何もかもが、火星からやってきた(3) ふたつの世界の闘争!

2006-11-05 | 映画
宇宙戦争」(スピルバーグ監督版)

冒頭、顕微鏡下の微細な世界に言及し、それを火星からの彼らの目と重ね合わせつつ、原作及びジョージ・パル版を知るすべての人に、ラストへの示唆を与えている。だから、もちろん原作及びジョージ・パル版そのままの、火星人の弱点は、安易な思いつきなのではないのである。

この意外な弱点というパターンは、古典中の古典「宇宙戦争」を見習い、さまざまな作品に採用される。たとえば、「アンドロメダ…」(ロバート・ワイズ監督)。マイクル・クライトン(「ジュラシック・パーク」「タイムライン」の作家。映画監督でもある。)「アンドロメダ病原体」が原作だが、当時からSF・ホラーの名作を下敷きに作品を書いたとクライトンご本人が公言していたが、「アンドロメダ病原体」の元ネタこそが「宇宙戦争」なのだ。病原体は結局自然の力で無力化されるというオチである!(「アンドロメダ…」に続く小説「ターミナルマン」=映画「電子頭脳人間」は「フランケンシュタイン」が下敷き。残念ながら未DVD化作品だ。)

また、「インディペンデンス・デイ」は現代の「宇宙戦争」として作られた映画だが、久しぶりに見て、レビューしようかな、と思う。そして、「マーズ・アタック」ね。

……ということで、忠実な映画化、見事な「リメイク」であって、それ以上じゃないと言い切りたいが、パル版にはない迫力が、ただ特撮技術の進歩以上に、なぜか備わっている。それは「白人のアメリカ建国」以来「仮想事態」でしかなかった「侵略」が、9.11テロによってアメリカ人に経験されたためなのだ。マイケル・ムーアがブッシュをどう批判しようが、アメリカ本土が攻撃されたという認識は、たぶん、そのとおりなのだろう。

原作「宇宙戦争」(War of the worlds 複数のsをお忘れなく!)は地球と火星の「ふたつの世界worlds」によって闘われる「戦争War」を、一民間人である「わたし」の視点から描いている。ずっと昔は、わたしも勘違いしていたが、決して「世界戦争」ではない。Nation〈国家)同士の戦いじゃなく、World(世界)同士の戦いであるわけだ。(「宇宙戦争」というこのお決まりの訳題は、従って、実に優れているわけだ)。

スピルバーグ版はこの発想を利用し、テロ闘争以上に明確に「侵略されるアメリカ」をトム・クルーズの一人称的視点で描写したものだ。この事態にはダコタ・ファニングのように、泣き叫ぶしかないのだ。

これは、アメリカの見た悪夢だ。しかもアメリカの武力は「ヤツら」を排せず、したがってただ「神(の摂理・自然の配剤)」に恃(たの)むしかないのである。そう、原作どおりに。強いアメリカにもやはり限界はある、そういう認識の下に作られた作品なのである。

*某オンラインDVDレンタルのレビューの、リミッター解除バージョンです!*


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