今年の天気が悪く中々遠出ができませんでしたが、
ようやく4月12日になって大分県中津市の中津城に桜の花見に出掛けました。
中津城は、豊臣秀吉が最も恐れたと言われる黒田官兵衛が縄張り築城した城です。
その後、細川興秋が完成させ、江戸時代の大半を奥平氏が治めました。
簡単に歴史を振り返ると・・・
1587年 黒田勘兵衛が、豊臣秀吉より豊前国6郡12万3000石を与えられ,
1588年領地の中心である山国川河口に中津城の築城を始めた。
1600年黒田家は関ヶ原の戦いで徳川方につき、その時の戦功により筑前52万石に加増、
筑前に転封となり築城が中断されましたが、
1621年細川興秋により中津城が完成。
1717年 奥平昌成が10万石で入封し明治維新まで奥平家の居城となった。
お気に入りの一枚です。
黒田官兵衛を始めとする歴代の藩主が見たであろう桜
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天守閣側から登城門方向を見る。
黒田時(左側)代と細川時代(右側)の石垣の違い
細川時代のほうが積み方が整然としています。
登城門から河口側を見る
右手奥の桜の下では多くの花見客が楽しんでいました。
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堀の中で仲良しの白鳥とカモ
白鳥は前回来たときはいなかったので、北に帰らず新たにここに住み着いたようです。
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登城門から場内に入り天守閣を見る。
城内から少し離れた庭園から
西の黒田官兵衛、東の真田昌幸は戦国の覇者、秀吉、家康が最も恐れた知恵者ですね。
両家とも、江戸時代を見事に生き延びたのは両者の優れたDNAのおかげかなと思ってしまいます。
黒田家は、本来福岡の福岡城が本拠地ですが、黒田官兵衛となるとこの中津城ですね。
この地において、関が原の合戦において、またたく間に九州の西軍側を攻め落とし
家康が西軍に負けても生き残れるように準備していたそうです。
歴史には浪漫がたっぷりありますねぇ。