厓のぶどう畑

街中に緑のテント!人類と同じアフリカ中部の発生と云う、葡萄栽培や趣味の諸々日記。趣味 磯釣り お絵かき 料理

聖ヨゼフ修道院「門の家」旧住友別邸・接待所跡地

2010年01月31日 | 仕事
これは前記事の白磁等を集めていた祖父・夛久仁輔の設計した建物です。
住友本家に勤務し設計部門の長を任されていたのです。
現・日建設計の前身です。
戦後、財閥解体の実証という事で、この住友別邸はS25年に解体され、カトリック系施設が建った次第です。
1000坪の洋館と700坪の和風建築が建っていました。
實をいうと祖父は子供達を、カトリックの洗礼を受けさせていたので、ちょっと不思議な縁を感じます。

祖父はずっと前のS15年に還暦で胃癌で早世しています。
しかしまさか夢にも、解体されるとは思わなかったことでしょう。

この建物の詳細は下記の二つのサイトを参考に。

☆聖ヨゼフ修道院「門の家1」

☆聖ヨゼフ修道院「門の家2」

祖父の設計した建物は小さな別荘建物だけは、未だ京都や奈良、大阪にも数件は残っている筈だと思います。
現役時代の祖父は京都と天王寺と福岡に長く居を構えていました。
その他の手掛けた住友銀行支店建築は既に建て替えられていますね。


僕がタッチした建物は三月にアップする予定です。




鯉の白磁1

2010年01月31日 | 絵画・音楽・詩歌
これも古い中国の白磁の飾り壷。
何時の時代のものかは判りませんが、宋の時代の白磁と聞いてますが未確認です。

図柄は鯉が6匹描かれて裏は跳ねた鯉も描かれ、季節によって回転させ図柄を変えて楽しめます。
全体的に肩に紅葉をあしらい、水の中で鯉が泳ぐ様子が、
細部まで丁寧に描かれ、高等な絵付け技術です。

撮影はこの角度でないと、壷の肩の細かい紅葉が写らないのです。




青絵の白磁

2010年01月31日 | 絵画・音楽・詩歌
昨夜より終日小雨

このこぬか雨で梅の蕾もまた少し大きくなるだろう。
今日で一月も終わりなんだ・・。
立春は四日、少しは春めいて来そうだ。


今日は雨降りだし、祖父が集めた中国の古い白磁飾り壷を撮影してみたが、
意外と光の当て方が難しく上手くは写らなかった。

これは高さ40センチ位の青い図柄の飾り壷。
単色の青い壷は清楚感が漂う。

この白磁の世界は勉強不足だから、その良し悪しは独断的評価です。
日本の磁器は伊万里焼、陶器は備前焼が好みかな。




落ちて来た紅い椿

2010年01月30日 | 衣・食・住・被爆防御
夕方、コノテガシワとぼつぼつ咲き始めた紅い椿に、絡んでる太いカズラを見付け、
鎌で断ち切り引っ張って取り除いた瞬間、
綺麗に咲いた紅い花だけが、ぽんと弾けるように足元に落ちてきた。

カズラを引っ張って切れた時に、椿の花にカズラの蔓が当たったようだ。

余りに整って満開に咲いているので、金色の耳のコーヒーカップに葉っぱを一枚だけ添えて浮かべ接写撮影。

接写で撮るとカップに近過ぎて、葉っぱと金色の耳が僅かしか入らなかったな。

記事を書いている内に、うっかり寝入ってしまった。笑





苔むす石に

2010年01月30日 | 自然・ダイアリー
晴れ

ツツジ・李のサンタローザと太陽の剪定作業。

独立仕立ての山茶花の脇に苔むした石が有り、岩茸(いわたけ)の仲間が生えていた。
岩茸は信州へ登山に行き始めた頃に初めて食べたな。
独特の香りが有り、山から帰宅し母に玉子綴じにして貰ったが、それほど美味しいものではなかった。

お昼前から買い出しに出掛けたら、小さなスーパーが閉店していた。
大型スーパーゾーンの近くの店だが、小さな店も存続させて措きたいと思い、最近そこでも買い始めたのだが、定休日を書いてない、まさか・・・。

煙草屋はお弁当も作っている店だが、「竃屋」(かまどや)と言う名前のチェーン店らしい。
初めて店員から竃屋と聴いた時に、てっきり通称名かと思ったが店の名前だった。

県道から見上げるとジェット機が通過していた。
最近のジェット機は省エネ技術のせいか、稀にしかあの飛行機雲の軌跡を残さない。
飛行高度のためだけではなさそうだな。






ショパン・昼下がりの外庭

2010年01月29日 | 絵画・音楽・詩歌
曇り後晴れ

今日は玉柘のトリマーだけして切り上げ、休養。
刈り上げた山際の高台から、外庭を3時過ぎに撮影。
植木がちょっと多過ぎるかもね。
東海道新幹線が横浜で架線が切れ、不通になっているそうだ。
株は日経200円下げ、日本のペーパー経済の雲行きは怪しげ。

応援している朝青龍が場所中に酒に酔い、知人の鼻を骨折させる暴行事件発覚。
彼の周りの取り巻きには好いファンがいないらしい。
この頃ショパンの生誕200年でラジオやテレビから、度々ショパンが流れて来ますね。
そこでショパンについて調べてみました。

ショパンのロマン派とは云え悲しげなメロディに、
彼の持つ根元的な孤独感を感じて、いつも聴いているとこちらまで不幸になりそうです。

何故か、こんなに美しい旋律や情熱的な激しさの音楽なのに、自らが落ち込んで聴いてしまっている自分いるのです。

そこでショパンとジョルジュ・サンドの生い立ちと、ショパンの結核と云われる持病を調べてみました。
先ずショパンはポーランド貴族の末裔だが、ユダヤ鼻をしているから、ユダヤ人系だと思いますね。
ジョルジュ・サンドの母親は元娼婦で出来ちゃった婚だったので、
教養のある早世した父(男爵)方の祖母と折り合いが付かず、サンドを捨ててパリ辺りで娼婦をしていたようです。
しかしサンドは祖母の教育とその方針のお陰で傷ついても、
7、8人と多くの恋愛相手の男に対して、優しく面倒見の好い女だったようです。
自ら美味しい食事も作ったようで、いろいろと逞しい女です。

実際の11年間の生活はショパンの、気の利いたお手伝いさん的な女性だったのでしょう。

ショパンの若い頃からの持病は結核ではなかったそうです。
ショパンはかなり有名な人気ピアニストだったので、主治医の証言が多くさん残っています。
実際には二、三人の医師が、それまでに経験した事のない、病気だったと証言しています。
現代医学の医師達が手紙の内容や当時の医師の証言から、その症状から判断して考えられるのは、
先天性α1-アンチトリプシン欠損症が主たる死因で有り、嚢胞性線維症の症状も僅かにあったそうです。
どちらもDNAの不完全な遺伝病で、ヨーロッパ地域に住み着いた、
ユダヤ人系には1/25の確率で発症する病気だそうです。
ショパンの妹の一人もこの病気の症状で14才で亡くなったのです。
ショパンの病について参考はこちらへ。↓
☆ショパンの病

彼は遺言で作曲した楽譜を焼却して破棄するように、
言い残したのも解らぬではないくらい可哀相な男でした。

ショパンの憂鬱さの恐ろしい原因が解り、これからは少しすっきりして楽しめそうです。








山際の伐採

2010年01月28日 | 昆虫・魚・鳥・動物など
曇時々晴

未明に小雨、午後から山際の伐採し大ざっぱには終わり、山際は後一日で完了しそう・・・それと主に果樹の剪定と草刈払機の作業の三日間程度。

山際の切り残した、山桜の小さな木に止まりジョウビタキ♂が、
ずっと一日中僕の作業や一服してる様子を観察しています。
刈り上げた後に小さな昆虫がいるので、その餌が目的で作業の傍で付きっきりです。
♂は腹部は赤煉瓦色です。

トンビに似た鷹の仲間が空をゆったり滑空していたが、春にはこの辺りで営巣をしているのかも。




昨年のN邸

2010年01月27日 | 仕事
こちらのN邸はこの五年前から外部メンテナンス、一昨年は内部の全面的リフォーム、昨年は隣接を買い足していた土地の、造園外構及び照明計画をしました。
花壇とグリーンベルト入り駐車スペース4台を8M道路に面し設けました。

アールとフラットの薔薇のパーゴラ2面は、上手く鉄筋溶接で工作し、設置出来たと思います。