秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

京都にいた絶滅種、「ミナミトミヨ」。

2008年01月11日 13時17分29秒 | Weblog
ワタクシの少年時代、まだ市内(下京区)には僅かながらにセリ田が残っていました。
余り自然に触れることがない環境でしたから、自然観察が出来る唯一のサンクチュアリでしたな。
(観察なんて高尚なもんじゃ無くて、田んぼに裸足で踏み込んで蛙やザリガニを
追い掛け回していただけですけど・・。どこが聖域やねん。)

蛙などを夢中になって追っかけてると、今度はお百姓のオジサンにコッチが追いかけ
れられたり・・。

子供ながらにセリは踏んずけてはならない、って事は知ってますから、気はつけて
いるけど、オジサンにしたら大切に育てたセリだから毎日のように攻防戦が繰り返されてましたナ。

付近に大きな河川があるわけでもないんで、魚類といっても泥鰌くらいでしたが、
ワタクシ達より少し上の世代は「アジサバ」(サバジャコ)といわれる魚を捕獲
しておりました。

兄も捕獲したと言ってましたが、家に持ち帰るとすぐに死んでしまい、飼育できなかった
そうです。

体長5cmにも満たない魚ですから、食用にもならず、子供の遊び相手くらいの
価値しかなかったんですね。

これが彼らを絶滅に向かわす要因の一つにあげられます。

当事のセリ田は井戸水をポンプでくみ上げ、綺麗な水を常時供給してました。
ひ弱で綺麗好きなアジサバの最後の桃源郷だったんでしょう。

残念ながら、爺がセリ田の攻防戦?に参戦する頃には完全に絶滅してました。
兄からその魚の話を聞かされるたび、悔しい思いをしたモンだ・・・。

ところで、正式名を知らず今まできたんですが、どうにも気になって調べてみました。

琵琶湖淡水魚博物館の質問コーナーにメールを出したところ、研究員の桑原氏から
早々にご返事をいただきました。ありがとうございます。

正式名は「ミナミトミヨ」。

桂川水系と兵庫県の加古川水系にのみ生息していましたが、兵庫では1930年頃
絶滅、京都府では1960年時代に絶滅した、というお話です。

トゲウオ目トゲウオ科の「ミナミトミヨ」、種を絶滅させたのは日本では
この「ミナミトミヨ」だけ、と他のページでは紹介されていました。

日本狼や日本川獺(かわうそ)も絶滅種のはず、と、と思ったけど、そのあたりは
別事情なんでしょう。

狼はともかく、川獺は渓流釣り仲間ではそれらしい生物を見たという目撃談は
何度か耳にしてますけどね。

いったい、いつの頃から京都に居たのかも分らない、歴史の霧の彼方に隠れてしまった
幻の魚です。





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2 コメント

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アジサバ (どぼやん)
2008-06-09 14:18:17
わたしが小学生の低学年(S17~S20)の頃、アジサバをよく採りにいきました。戦時中でもありましたから先生も大人も日々の生活がいっぱいいっぱいで希少種なんて認識はありませんでした。七条校の裏門あたりでセリ田のオッサンによく追いかけられましたが田に入るようなことはしなかったし側溝で子供が遊んでいるくらいで、あんなに怒らなくてもよかったのじゃあないか?と今でも不思議におもっています。
そうですよね~。 (you_sai)
2008-06-16 19:59:34
私を追いかけたおっさんはその本人か息子かもしれませんね。セリ田の裏に製材所があって、今でもその木の香りを思い出します。楠の木の下で無邪気に遊んで
いたあの頃が懐かしい・・・・。七条御旅所の祭りも
寂しくなりましたね。

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