イスラエルソング

イスラエルの歌手、作曲家、作詞家の方々の訪問記。

ハシディックソングについて

2011年01月08日 | Weblog
このブログにもよく出てくる「イスラエルの歌」の中の「ハシディックソング」について、ネゲブに住むイスラエル音楽研究家の第1人者、ナフミ・ハル・ツィヨン氏に聞いてみました。ナフミ氏は音楽プロデューサーのハナン・ヨベル氏から紹介してくださった方です。






この日はネゲブに久しぶりに雨が降りました。







ナフミ・ハル・ツィヨン氏の家にはたくさんの楽器があります。




「18世紀半ば、ラビ・バアル・シェム・トヴはハシディズムの提唱者でした。当時ユダヤ人はロシアやポーランドのユダヤ教学院で勉学に励んでいましたが、バアル・シェム・トヴのハシディズムは無学なユダヤ人、荷受人夫や市場などで働いている、読み書きは出来なくても信心のあるユダヤ人のためのものでした。


たとえ読み書きや勉強が出来なくても、踊りや歌、喜びの情動をもって神に対する感謝を表現する事は可能です。そのようにして表された祈り、感謝を神様は聞き届けてくださる。これがバアル・シェム・トヴのハシディズムでした。


しかしながら、これは当時のユダヤ教においては革命に等しく、物議を醸しましたし、果ては内紛まで起こりました。


また他には、そういったロシアやポーランドのユダヤ人が、シナゴーグで歌うときに、ロシアあるいはポーランドのメロディーで歌ったりする事に対してもバアル・シェム・トヴの見解は他のユダヤ教徒とは異なっていました。「例えそれがロシアやポーランドのメロディーでも、心をこめて神に祈り、歌うなら大丈夫」というのが彼の見方でした。


取材中です。


キリスト教の歴史を振り返ってみても同じ事がありました。1516年にマルティン・ルターはラテン語ではなくドイツ語での礼拝や、ドイツ語の歌詞とメロディーで賛美歌を歌いました。これが、ルターが改革者とよばれる所以です。


彼の提唱する新しい礼拝・賛美は大反響を巻き起こし、たくさんの人々が共鳴共感しました。彼の手法は、まず祈祷の言葉をドイツ語に訳してそれをドイツの大衆音楽に合わせるというものでした。ドイツ語の歌詞とドイツのメロディーですから、あっという間にひろまりました。


ナフミ氏にはたくさんの取材ができました。


これと同様のことを200年後に行ったのがバアル・シェム・トヴでした。勉学に重きを置いたユダヤ教ではなく、といいましても聖書の勉強を軽んじるわけではありませんが、無学な大衆でも神様に感謝をささげる事が出来るように改革をもたらしたのです」。