よし坊のあっちこっち

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日本人の美徳と言われているが。。。

2012年03月23日 | アメリカ通信
阪神大震災の時もそうだった。今回の東北の災害の時も同じ様にニュースに載った。それは海外メディアの報道と言う形で現れる。「この混乱の中で、日本人は物取り、略奪に走らない。素晴らしい国民だ」と。災害時と関係なく、ごく一般的な外国人の日本人評価は、「親切な国民」と言うのが定説だ。外から日本(人)を見たとき、そう映るらしい。それはそれで結構な事なのだが。

本当にそうなのだろうか。親切な国民ではない、と言うつもりは無い。しかし、諸外国の人に比べ、格段に「親切な国民」なのかどうか、よく考えてみる必要がある。よその国でも、親切な人はいくらでも居る。火事場泥棒がいない位よく教育されている国民だと言われて、ついその気になりがちだが、本当にそうだろうか。日本にだって、火事場泥棒はおり、ちゃっかり金庫をこじ開けお金を頂いていく。そういった報道があまりないから、何事も無かった様に見えるだけなのではないか。人目がつかぬよう、こっそりやるのかも知れない。その点アメリカは、派手というか、直情的といいうか、商店のガラスを破り、強引に持ち去る。そんな場面がニュースに流れるから、いかにも火事場泥棒が多そうな印象を与える。日本の人口一億二千万人に対し、アメリカは三億人。火事場泥棒が3倍あってもおかしくない計算だ。

今回の震災で、復興の過程で「絆」があっちこっちで強調され、日本人の美徳の継続のような雰囲気を醸しているが、なにやら言葉だけが飛び交っているようで、しっくり来ない。存外、日本人はボトムラインのところでは、他人には無関心であり、それ程親切心も発揮しないのではないかとさえ思えてくる。

日本では昔は町内会があって、コミュニティの維持に努めていたが、遠い昔の話である。アメリカはコミュニティを非常に大切にしており、その核はやはり教会だろう。これなくして、政治も経済もコミュニティも語れない程、生活に深く根ざしている。

アメリカも災害は結構多い。ハリケーンやトルネードで家がやられたりする。そんな時自分の家が壊れたら皆どうするのだろう、と、よそ者としての興味が湧く。大分以前のことではあるが、あるアメリカ人と雑談した時、そんな疑問を投げてみた。

「被災者が真面目に再建しようとして、それでも財政的に困難に直面するならば、その人がアメリカ人であろうと、外国人であろうと、誰かが立ち上がり、手を差し伸べる。それがアメリカ人だ」。

もちろん、全てのケースで、満足なレベルでの支援が出来るわけではないが、謂わば日常のレベルで「弱者を見捨てない」とするVolunteer精神は、はるかに深くアメリカ人の中に根ざしているように感じる。

日本人はどんな国民か、と問われて、「親切な国民」とするのは適切ではないだろう。「おとなしい国民」ではないだろうか。そして「おとなしい」は「音無し」に通じると言うのがよし坊の理解するところだ。

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