よろみ村くらし暦

奥能登の禅寺での山暮らし。野菜作りと藍染め,柿渋染め,墨染めのくらし暦。来山者への野菜中心のお料理が何よりのおもてなし。

夏の終わりの昆虫たち。

2016-08-25 14:09:27 | 自然の不思議

昨日のことだった。
夕方、蜩が突然鳴き出した。
数匹、しかしその声はしばらくで啼き止んでしまった。

数日前のことだった。
いなくなった筈の燕が数羽この与呂見盆地に飛来し、しばらく旋回してどこかに飛び去った。

夏の終わり、ここへの別れの挨拶をしに来てくれたかもしれない。
そして、それぞれの習慣に則って、それぞれの場に発ったのだろう。

家から藍小屋までの20メートルほどの道の上に輝く物を見つけた。
よく見るとそれはちょうちょうだった。
水たまりで水を呑むためか、道に何かおいしいものがあったのか、道に止まっては舞い上がり、それを何度も繰り返していた。
飛んでいる時に、時々角度によってグリーンとブルーの羽根が光り、それが何とも美しくしばらく蝶と戯れていた。
羽根は広げないとその美しさが見られない。
さて、この蝶って見た事あったかな。それくらいここでも珍しい。
そうこうしていると、車が道を通った。
その後、数日たった今も見ていない。
図鑑を調べ、ネットで見ると、どうやらカラスアゲハらしい。
どうしてあんなに美しい羽根の色なのに烏と名付けたのか、私だったらもう少し気の効いた名前をつけてあげたのに。

美しいものは、ほんの一時だけその時を見せてくれる。
夏の終わりの思い出と言う置き土産。



カラスアゲハ





あまりに、おもしろい後ろ姿。










夏の御馳走

2016-08-22 10:58:58 | グルメ

輪島の三井町の坂田と言う限界集落がある。
ここの龍昌寺が金沢から移り、初めて田んぼを始めたのが坂田である。
その田んぼも来年からしないことになった。
無農薬有機栽培で約30年、とうとう終わりになる。
何か寂しさを感じていたところ、ここにもり+くもというマクロビのレストランが開店した。
若い家族が入って、おいしいとの評判で人里を離れても多くの人がやってきていると言う。
ここの玄米が我が龍昌寺のお米になる。

そのご縁もあって、私の料理を習いたいとのことで、1度食べていただくことにした。
ちょうど夏野菜の豊富なのでお近づきの印の食べていただいた。
ここに出入りしているベジタリアンの人もいて、最近は私自身が野菜料理がおもしろくなってきている。

全部で10品
1、キャラブキ、これは春に作って冷凍していたもの。
2、金時豆のトマト炒め
3、ズッキーニとオクラの豆乳冷製スープ
4、茄子と満願寺の味噌炒め
5、カボチャのトルチーリャ
6、米茄子の蒸し焼き胡桃たれ
7、トマトサラダ
8、玉葱の豆腐チーズ詰め
9、高野豆腐とオクラと茄子と茗荷の煮物
10、ゴーヤと茗荷とキュウリの寒麹漬け

ところが、肝心の玉葱の詰め物にトッピングを忘れ、糠漬けもすっかり忘れてしまった。



これはあとからトッピングをして映したもの。










でも,みんなおいしくお腹いっぱい食べていただき,良かった!

もりくもさん一家と穴水の中川さんと若いエネルギーが何よりの御馳走。
私たちもここに入った頃が懐かしく思い出された。














夏の果物

2016-08-19 20:22:14 | 日記

久し振りに買い物に出掛けた。
夏になると、特に買い物に出掛けることが少なくなる。
野菜は畑にあり、他のものは用事で出掛ける者に頼んでしまうので、事足りる。
夏は染物と畑、そしてトマトソース作りなどで時間が惜しい。

店の店頭には夏の果物が並んでいた。
桃、梨、ぶどう、スイカ、メロン、その上みかんもあったりして。
ここに来てから果物とは縁がなくなってしまった。
やはり果物は野菜のように必要な物でなく、贅沢品に入る。

両親が元気だった頃、勤めの傍ら田舎に桃を作り始め、畑には10種類ほどの果物が実った。
父が下戸で果物が好きだったこともあり、いつも家には果物があった。
その果物は定期便のようにここに送られ、いつも季節の果物をお腹いっぱい食べることができた。
今思うと、何と贅沢だったことか。

それらの値段と見ると、なかなか手が出せない。
思い切って買って来ると、その安さ故かおいしくない。
あの頃の、新鮮でおいしかった果物はもう過去の話になってしまった。
私がトマトのコレクションに走るのも、もしかして果物が作れない反動かもしれないと思った。
味も香りもまったく違うけれど、赤、黄色、オレンジ、緑、紫など、色だけは似ている。



久し振りに散歩をすると、山栗が落ちていた。



田んぼもそろそろ実り始める。

















映像の世紀

2016-08-16 08:58:54 | 日記

13日、NHKで映像の世紀を見た。
科学者たちの罪と勇気がテーマだった。
お盆と終戦,敗戦に合わせたのだろうが、今年はオリンピックに世界中が湧いている。

ここの男たちが出払い、薪を伐るチェエンソーの音も草刈りの音もしない静かな夏になった。
そんなところに「ここに男あり。」と雄鶏が声を挙げた。
2羽以上になると喧嘩をするので1羽なのだが、それも最近は人に向ってかかって来ると言う。



映像の中で科学者と化学者たちの多くが反映と戦争に係っていた。
国家を愛するあまり、自分の研究を探求するあまり全体像や人間としての倫理観が見えなくなって行った。
その中で毒ガスを発見した化学者の妻が夫に中止を訴えたが聞き入れられず、とうとう自殺を遂げた。
それでも彼は突き進み、ようやく晩年になって自分のしてきたことを振り返った。

アインシュタインも原爆推進は平和のための助言だったが、結果的に日本に原爆が投下された。
そのことを彼は深く反省し、終始平和活動を行った。

人間と言う動物の業、雄と言う種の存続の役割、それ故か、それにしてもあまりに惨く、悲しい。

消防隊の雨が2度降り、ようやく暑い夏が鎮火した。
木の上から元気に鳴いていた蝉が影を潜め、草むらの虫たちが声をだんだん声を挙げてきた。
晩夏と言うと少し焦げ臭い匂いがするが、初秋と言うとさわやかな風が吹き抜ける。



お盆前に蒔かれた白菜のポット。



友人から戴いた種を蒔いて、ようやくニゲラの花が咲いた。











独身主婦

2016-08-14 06:49:41 | 日記

独身主婦、何て言う熟語はないだろう。
11日から晴れて独身主婦になった。

何よりも目覚まし時計がいらない目覚めは爽快だ。
そして、1日が時計なしで動ける。
お弁当作りがない、朝課がない。
いつも住職に合わせ、息子に合わせて1日が始まる。
それが人に合わせることのない時間が今。
主婦は常に家族に合わせて動いてきた。しかもそのことがあまりに当たり前過ぎて気付いてもらえない。
それほど主婦と言うのは相手に、その場に合わせるのが普通になっていた。
それが解放されて、晴れて独身主婦になった。
だからと言って何もしていないのではない。
お掃除もお洗濯も染めも畑もしている。
でも、何が違うか、それは私が私の時計で動いていること。
これが一番違って、なによりもうれしい。
つまり、私が時計なのだ。

私が時計と言うのは子育ての真っ最中に気付かされた。
いつも子供中心、常に相手優先、そんな中でふと思った。
それでは私がいない。
そして分った。
この私が時間なのだと。
この気付きは何よりも自分を解放させた。

それでも、やはり主婦は主婦、育児、家事はついてくる。
今はだいぶ楽になったが、それでもこの独身主婦時間は格別だ。
時に自分中心、自分優先、自分だけと言うのも、必要だ。



この春、猪に荒らされ今年は蓮の花が咲かない。もうがっかり。



ズッキーニ、オクラ、キュウリの豆乳冷製スープ。