最近は、2月・3月のコンサートにバロック音楽のプログラムが多い関係で、
すっかり頭がバロック時代にトリップしています
通常コンサートなどの演奏機会をきっかけに、その曲をもう一度よく見直し、
それと共にその作曲家の人生や時代背景なども新たに勉強を加えるのですが、
ベートーヴェンも、モーツァルトも、ブラームスも、ショパンも、シューマンも・・
いつも勉強するごとに思うのは、彼らも、一人の人間であったということ。
・・って当然なのですが・・
もう少し掘り下げて言えば、天才作曲家だった彼らも当然、
人間が普通に日常もつ様々な心の機微がある、
(そしてそれはもしかして現代の私たち以上に、波乱万丈だったのかもしれない)
クラシック音楽って眠いし難しいし・・という言葉をやっぱり時々耳にしますし、
自分も正直懺悔!?で、コンサートでこっくり寝てしまうときもありました。
けど、クラシックってやっぱりそうじゃないのです!
音楽とは、人生の縮図のようなもの。
なのでその作曲家の人生に触れたりして、少し知識がはいるだけでも、
その彼らの人生の縮図がその作曲した音楽にたくさん隠されているようで・・
私たちは、その知らない遠い昔の世界を、資料と想像力でもって思いを馳せ、
音符という暗号?の謎解きをするのです。
つくづく、一生かけて探求できる、奥の深い芸術だと思います。
昔学生時代は、バッハとかバロックはどう解釈していいかわからず、
何だか難しい~とだけ考えてしまい、敬遠がちだったものですが・・・
実際ドイツでバッハ一家の縁の町に住み、またその周辺の彼らの足どりを
辿ったり・・と、その空気を吸ううちに、おのずと親近感を感じ、興味が湧き、
私の場合はそれがきっかけとなり、どんどん勉強するようになりました。
今回も2月11日のバロックの宮廷音楽のコンサートのために、今また
色々勉強し直してみているのですが、これがまたなかなか面白い!
今度のコンサートのテーマは、「ドイツバロックの宮廷音楽」
平たく言えば、当時のプロイセン王国という一国の主(大王)が、
もちろん一国を政治的指導者として最前線で指揮をとりながらも、
フルートの名手であった・・・。
そして、そのハードな仕事の最中にも、自分の別荘(宮殿)に有能な音楽家を雇い集め、
日々音楽会を催していた。
その、有能な音楽家の中に、
バッハの次男であるカール・フィリップ・エマニュエル バッハや(以下C.P.E.バッハ)、
現代にも伝えられている有名なフルート試論書の著者、クヴァンツなどがいて、
(他にも現代に名が残る有名な作曲家多数)
しかし今回勉強を深めて一番の驚きは、この大王さま。フリードリヒ2世。
彼は、このクヴァンツなどの優秀な音楽家の教えを受けながら、
フルート演奏のみならず、自分でもフルート曲を作曲しました。その数、120曲以上!
そして、これ↓がその楽譜の一部。(2/11に演奏します!)
・・王さま
音楽家が本業でなく、一国の主なのですよね!?なんでしょう、この難しさは
でも王さま自らがこれを作曲したということは・・これが吹けるくらいの、
本当に相当な実力をお持ちだったという・・ことであって
自分は吹くだけでもこれだけ人生かけてアップアップなのに
いや・・脱帽です。人間ってすごい、もっと自分も精進せねば・・(汗)
まぁ、、とはいえ、王さまはやっぱり王サマで、
あまりのその演奏の自己中心・自由奔放っぷりに(リズムなどが)
王様のフルート演奏のチェンバロ伴奏担当だったC.P.E.バッハは、
かなり舌を捲いた(=困ってた)らしいですが・・(笑)
↑C.P.E.バッハ
さて他にも面白いのは、
そのC.P.E.バッハのパパである有名なJ.S.バッハも、
息子の仕え先のフリードリヒ大王の宮殿には当然のごとく訪ねており、
その場でフリードリヒ大王にポイッと(かどうかはわかりませんが・・)与えられた
ごく単純なテーマ↓
大王に、このテーマを使ってこの場で何か即興で作曲してみよ、というのから
生まれたすばらしい作品が、かの有名なバッハの「音楽の捧げ物」シリーズ(?)で、
その同じテーマを用いて、バッハは実にたくさんのすばらしい作品を生み出しました。
(その同じテーマを用いた数多の作品の中から、
2/11はバッハが3声部で作曲した曲をピッコロ・フルート・アルトフルートで、
3/3には、ヴァイオリンとフルートとバス(ピアノ)に作曲した曲に取り組みます!)
この、フリードリヒ大王とその取り巻き?音楽家たちから発生した派を
「ベルリン楽派」と名づけられておりますが、
以前、フルートにとって有名なC.P.E.バッハの無伴奏フルートソナタに取り組んだ時、
パパであるJ.S.バッハにはそこまでf(フォルテ)やp(ピアノ)の突如的な音量の差は
楽譜にそう多く記載はないのに、なぜこの息子バッハには(バッハ長男も)
こんなに突発的な音量の記載が指示されているのだろうと・・・
学生時代は思っていたものでした。
しかし、人生を重ねるごとに強くわかってきたことは、
このフォルテ・ピアノは人生の感情そのもの。
このベルリン楽派とは、
「Sturm und Drang」といって、日本語だと「疾風怒涛」の多感様式、が特徴。
ようするに、人間誰もがもつ、その人間らしい感情、怒り、悲しみ、喜び、嘆き・・
そんな人生を音楽にあらわす、そんな時代だったのです。
だからこのいきなりのフォルテやピアノの音量は、あってしかるべき、
音楽は人生の縮図。それをばっちりテーマにしていたのですね。
とはいえもちろん、人間の感情をイメージするだけでは足りなく、
それに、和声や歴史など音楽の「知識」と、楽器の「技術」ももちろん必要で、
それが三つ巴にあいまって、本当に充実した音楽が生まれるのでしょうが・・
ここにたどり着くべく探求し続けることが、一生飽くなき課題
・・・それにしても、この曲たちのこの感情のうつろい方、この激情、
昔の宮廷時代はそんなに激しい時代だったのでしょうか・・。
前回、宮廷音楽なので優雅なドレスを~なんて言ってたけど、
とんでもないのですけど~
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通常コンサートなどの演奏機会をきっかけに、その曲をもう一度よく見直し、
それと共にその作曲家の人生や時代背景なども新たに勉強を加えるのですが、
ベートーヴェンも、モーツァルトも、ブラームスも、ショパンも、シューマンも・・
いつも勉強するごとに思うのは、彼らも、一人の人間であったということ。
・・って当然なのですが・・
もう少し掘り下げて言えば、天才作曲家だった彼らも当然、
人間が普通に日常もつ様々な心の機微がある、
(そしてそれはもしかして現代の私たち以上に、波乱万丈だったのかもしれない)
クラシック音楽って眠いし難しいし・・という言葉をやっぱり時々耳にしますし、
自分も正直懺悔!?で、コンサートでこっくり寝てしまうときもありました。
けど、クラシックってやっぱりそうじゃないのです!
音楽とは、人生の縮図のようなもの。
なのでその作曲家の人生に触れたりして、少し知識がはいるだけでも、
その彼らの人生の縮図がその作曲した音楽にたくさん隠されているようで・・
私たちは、その知らない遠い昔の世界を、資料と想像力でもって思いを馳せ、
音符という暗号?の謎解きをするのです。
つくづく、一生かけて探求できる、奥の深い芸術だと思います。
昔学生時代は、バッハとかバロックはどう解釈していいかわからず、
何だか難しい~とだけ考えてしまい、敬遠がちだったものですが・・・
実際ドイツでバッハ一家の縁の町に住み、またその周辺の彼らの足どりを
辿ったり・・と、その空気を吸ううちに、おのずと親近感を感じ、興味が湧き、
私の場合はそれがきっかけとなり、どんどん勉強するようになりました。
今回も2月11日のバロックの宮廷音楽のコンサートのために、今また
色々勉強し直してみているのですが、これがまたなかなか面白い!
今度のコンサートのテーマは、「ドイツバロックの宮廷音楽」
平たく言えば、当時のプロイセン王国という一国の主(大王)が、
もちろん一国を政治的指導者として最前線で指揮をとりながらも、
フルートの名手であった・・・。
そして、そのハードな仕事の最中にも、自分の別荘(宮殿)に有能な音楽家を雇い集め、
日々音楽会を催していた。
その、有能な音楽家の中に、
バッハの次男であるカール・フィリップ・エマニュエル バッハや(以下C.P.E.バッハ)、
現代にも伝えられている有名なフルート試論書の著者、クヴァンツなどがいて、
(他にも現代に名が残る有名な作曲家多数)
しかし今回勉強を深めて一番の驚きは、この大王さま。フリードリヒ2世。
彼は、このクヴァンツなどの優秀な音楽家の教えを受けながら、
フルート演奏のみならず、自分でもフルート曲を作曲しました。その数、120曲以上!
そして、これ↓がその楽譜の一部。(2/11に演奏します!)
・・王さま
音楽家が本業でなく、一国の主なのですよね!?なんでしょう、この難しさは
でも王さま自らがこれを作曲したということは・・これが吹けるくらいの、
本当に相当な実力をお持ちだったという・・ことであって
自分は吹くだけでもこれだけ人生かけてアップアップなのに
いや・・脱帽です。人間ってすごい、もっと自分も精進せねば・・(汗)
まぁ、、とはいえ、王さまはやっぱり王サマで、
あまりのその演奏の自己中心・自由奔放っぷりに(リズムなどが)
王様のフルート演奏のチェンバロ伴奏担当だったC.P.E.バッハは、
かなり舌を捲いた(=困ってた)らしいですが・・(笑)
↑C.P.E.バッハ
さて他にも面白いのは、
そのC.P.E.バッハのパパである有名なJ.S.バッハも、
息子の仕え先のフリードリヒ大王の宮殿には当然のごとく訪ねており、
その場でフリードリヒ大王にポイッと(かどうかはわかりませんが・・)与えられた
ごく単純なテーマ↓
大王に、このテーマを使ってこの場で何か即興で作曲してみよ、というのから
生まれたすばらしい作品が、かの有名なバッハの「音楽の捧げ物」シリーズ(?)で、
その同じテーマを用いて、バッハは実にたくさんのすばらしい作品を生み出しました。
(その同じテーマを用いた数多の作品の中から、
2/11はバッハが3声部で作曲した曲をピッコロ・フルート・アルトフルートで、
3/3には、ヴァイオリンとフルートとバス(ピアノ)に作曲した曲に取り組みます!)
この、フリードリヒ大王とその取り巻き?音楽家たちから発生した派を
「ベルリン楽派」と名づけられておりますが、
以前、フルートにとって有名なC.P.E.バッハの無伴奏フルートソナタに取り組んだ時、
パパであるJ.S.バッハにはそこまでf(フォルテ)やp(ピアノ)の突如的な音量の差は
楽譜にそう多く記載はないのに、なぜこの息子バッハには(バッハ長男も)
こんなに突発的な音量の記載が指示されているのだろうと・・・
学生時代は思っていたものでした。
しかし、人生を重ねるごとに強くわかってきたことは、
このフォルテ・ピアノは人生の感情そのもの。
このベルリン楽派とは、
「Sturm und Drang」といって、日本語だと「疾風怒涛」の多感様式、が特徴。
ようするに、人間誰もがもつ、その人間らしい感情、怒り、悲しみ、喜び、嘆き・・
そんな人生を音楽にあらわす、そんな時代だったのです。
だからこのいきなりのフォルテやピアノの音量は、あってしかるべき、
音楽は人生の縮図。それをばっちりテーマにしていたのですね。
とはいえもちろん、人間の感情をイメージするだけでは足りなく、
それに、和声や歴史など音楽の「知識」と、楽器の「技術」ももちろん必要で、
それが三つ巴にあいまって、本当に充実した音楽が生まれるのでしょうが・・
ここにたどり着くべく探求し続けることが、一生飽くなき課題
・・・それにしても、この曲たちのこの感情のうつろい方、この激情、
昔の宮廷時代はそんなに激しい時代だったのでしょうか・・。
前回、宮廷音楽なので優雅なドレスを~なんて言ってたけど、
とんでもないのですけど~
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