神に生かされた人生!

日々の生活の中に出来事や、アフリエリトを紹介します。

先日知り合いのお通夜にいってきた。

2018-02-03 13:00:27 | キリスト教

私は、仏教のお通夜で、お焼香をすることはできない。

他の人は数珠をもっていた。

これは、カソリックでロザリオという数珠があるが、それを真似したものらしい。

最初にお坊さんがはいってきて、みんなで手を合わせて祈った。

お坊さんが読経をしながら、もくぎょうをたたいていた。

そのふしが、日本語ではなく、意味が分からないがまるで、唄でもうたっているようなふ

しだった。

ある人が景教の教会にいったとき、まるで、仏教の御寺でお経を読んでいるお坊さんのう

しろ姿をみながら、会衆が

そのお経を聞いているスタイルににていたと言っていた。

空海は仏教をひろめたのではなく、天地を創造された創造主を日本に伝えたそうだ。

今の、真言宗はかたちだけのものになっているらしい。

そんなことをしって、私が横浜の金沢区の地域の御寺はほとんど真言宗だったのを思い出した。

そこで、暮らしている時、とても心が平安でなく、窮屈だったのを思い出す。

日本人のおしえの中に、江戸時代はクリスチャンを見つけるために、4人組制度ができた

が、そして、それぞれの家がどこかの御寺に入っていた。そこから、檀家制度ができたよ

うだ。

空海は800年まえの鎌倉時代の人だったと思う。

真言宗の高野山にいったことのある、熱心な仏教徒の人に福音を伝えたことがある。

私がグループホームに勤めていた時だ。

その人はイエス様を信じた下さった。

その人のおしえの中にキリスト教と同じような困った人を助ける思いがにじみでていた。そんな人だった。

あなたのゆくすべての道に主を覚えよ。そうすれば、あなたの道はまっすぐされる。(聖書)

 


空海はキリスト教を日本に伝えた。

2018-02-03 12:57:44 | キリスト教

空海はキリスト教を日本に伝えた

  空海は中国に留学し、仏教のことを中心に学んだのではありません。その当時、中国では、キリスト教が大流行していました。ですから、表は真言密教の教えとして日本に持ち帰った空海の教えは、実は、裏では日本にキリスト教を伝えたのです。

 キリスト教を日本に伝えた証拠が、真言宗の総本山、高野山の奥の院にあります。キリスト教の洗礼式で使われるペルシャ調の香炉や中国でキリスト教が大流行していという記念の石碑のレプリカが高野山にあります。

 そして、高野山での真言宗の行事を行う前には、必ず十字を切ってからあらゆる行を行う風習があります。日本の寺の卍のマークも、十字架の十字が変化したもので、日本にキリスト教が伝えられた証拠として寺に残されているのです。

 そして、空海は仏教には絶対ない教えである、宇宙万物を創造し、、そして全宇宙の支配者である「創造主」の教えを日本に伝えたのです。

 つまり、空海が教えた「大日如来」とは、創造主のことだったのです。

 「大日如来=創造主」とは、宇宙、生命の根源で、全宇宙を支配していて、その創造主が人間の肉体をもってイエス・キリストとして地上に誕生した方でもあるということです。

 つまり、創造主は、イエス・キリストという人類の救世主となって、人間界に誕生し、罪のないイエスが十字架に死ぬことによって、人類の罪、つまり創造主を離れて勝手に生きている人類の罪をあがなったのです。

 十字架で死なれて、3日目によみがえったイエスを、創造主として受け入れ、信じるならば、罪深い私たち人類も天の御国にはいることが保証され、永遠のいのちを与えられます。

 空海の伝えたキリスト教も現在においては、まことの教えがなくなっていて、形式的、教義的な教えになってしまっています。

  ■information■


空海は洗礼をうけていた

2018-02-03 12:50:00 | キリスト教

高野山に真言密教を創建した空海
803年、空海(弘法大師)は最澄と共に入唐し、景教を身につけ、潅頂(頭に潅ぐの意で、キリスト教の洗礼)を受け、「遍照金剛」という洗礼名を受けました。
「あなたがたの光を人々の前で輝かせ」という、マタイ5:16の漢語聖書からとったものでした。
彼は帰国後、高野山に真言密教を創建します。
空海は新約聖書を持ちかえり、最澄は旧約聖書を持ち帰ったということです。
しかし、二人は喧嘩してしまいます。
最澄は天台宗を創建し、空海は真言宗を作るわけですが、彼の仏教は釈迦が説いた原始仏教とは似ても似つかぬ教えで、「景教と混合した仏教」でした。
空海と景教徒の景浄の出会い
長安で、彼は景教徒の景浄に会います。
彼は「大秦景教流行中国碑」の碑文を書いた僧です。
彼は、61才死に就こうとするとき、「悲しんではいけない。わたしは・・・・弥勒菩薩のそばに仕えるために入定(死ぬ)するが、 56億7000万年ののち、弥勒と共に再び地上に現われるであろう。」と言いました。
弥勒とは、へブル語のメシア、ギリシャ語のキリストであり、原始仏教にはなかった「キリストが再臨するときに復活する」というキリスト教信仰、景教の信仰と同じものです。
真言宗では、法要の最初に胸の前で十字を切るとか、高野山奥の院御廟前の灯篭に十字架がついているとか、景教の影響がみられます。
http://www.ne.jp/asahi/davinci/code/history/japan/index4.html

日本仏教にキリスト教と似た教義がある理由はこれで明らかだ。

いや、むしろ日本仏教は、キリスト教の変形であるとすら言える。

もともと仏教には天国も地獄もない。一種の哲学である。

哲学である仏教が礼拝、冠婚葬祭など宗教の姿を取るには、キリスト教が必要だった。

空海がもし本当に信仰を持つクリスチャンであったならば、四国八十八箇所の霊場が剣山の結界であるという説にも信憑性が出てくる。