神に生かされた人生!

日々の生活の中に出来事や、アフリエリトを紹介します。

お花見

2018-03-25 21:03:55 | キリスト教

桜の花が満開だ。

私の通う教会は横浜市金沢区の野島のすぐ、そばにある。

礼拝の後、いっしょに教会にいった、87歳のお友達と礼拝後、野島のお花見にでかける。

野島公園には、桜がまんかいだった。

白い花、ピンクの花など美しく咲いていた。

野島橋のそばの有名な島寿司のお店で、並み寿司を食べた。

このお寿司屋さんは、金沢区の広報にのる、超有名な行列のできるお店です。

このお寿司屋さんに、私の夫がお酢の会社に勤めていた時、お酢を届けたお店らしい。

最近は多くのお寿司屋さんが倒産したが、このお寿司屋さんはがんばっている。

そのあと、伊藤博文の別荘を見に行く。

拝観料は無料だ。

なかでは、桜の木を半分に切った枝をはっている桜にはたくさんの花が咲いていた。

生け花のようだが、桜の木そのままいけていた。

伊藤博文は、明治維新の時、政府の重要な地位について国の政治を動かしていた人だ。

山口県の萩うまれだ。

伊藤博文は明治憲法の草案をつくった。

金沢八景にはその場所に石碑がたっている。

そして、いよいよ花見をする。

ベンチにすわって、満開の桜を二人で見た。

今日は気候としては春の穏やかな日だった。

友達は認知症だが、30年も点字の奉仕をしてきた人なので、頭を使って、ボランテイアしてきた。

なので、現在でも一人暮らしをしている。

ヘルパーさん、ケアマネージャーさん、任意後見人の人が1月に1回こられる。

今日は素敵な日を送れた。

神のなさることは時にかなって、美しい。(聖書)


静岡にいった。

2018-03-25 02:37:19 | キリスト教

私の故郷の静岡にお墓詣りにいく。

草薙にある、ので、逗子から大船にでて、熱海までいく。

熱海からは新幹線のこだまで静岡にいく。

新幹線の色が真っ白だった。先端が蛇の頭のようだった。

富士山はすその方だけ見えて、頭は雲にかかってた。

静岡におりた。親戚の家に1時にいかなければならないので、お墓参りは後にした。

親戚は日本平の近くの団地にある。

下は日本平動物園がある。

桜の花が少しさいてた。

この親戚は私が赤ちゃんの時から知っている人達だ。

清水に住んでいたとき、この親戚も30分くらいのところにあったので、よく、遊びに行った。

一番上のお姉さんは学校の先生をしていた。

お正月などに行くと、「よく来たね」と迎えてくれた。

この家族は私の母側の従妹にあたる人たちだ。

そこのおじいさんは、昔、浅草の有名な運送会社に勤めていた。

戦後、男の子が生まれた。その子は私より1年上だ。

母の従妹だけれど、私にとっては叔父さんにあたる。

赤ちゃんの時、たぶんいっしょに兄と遊んだのかな。

そこで、お昼にお寿司をごちそうになった。

いつも、渡したお墓詣りで、行くとき、お寿司をとってまっていてくれる。

1時間ばかりおしゃべりしながら、過ごす。

そして、お墓参りにいく。

日蓮宗のお寺で、私の親族でお祖父さん、お祖母さん、おじさん、おばさん、母の兄弟などみんなの名前がお墓の横にほってあった。

花やで買ってきた、花をお供えして、私はクリスチャンなので、お墓の前でイエス様に感謝する。

私が生まれてきたのは、私一人で生まれてきたのではないのです。

ご先祖様が生活していく中で生まれてきたのです。偶然ではなく天地が始まる前から神様のご計画があって、今の時代にこの世の終わりの時代に生まれてきたのです。

清水にいるときは、一つも楽しいことはなかった。

いつも、人をねたんでいた。

18歳の高校卒業してから、私は横浜に来た。

それから、50年がすぎた。

私を世話をしてくださった、多くの家族ももう、お墓の中に入ってしまった。

うらみ、つらみ、ねたみ、などを抱いたいつも不平、不満ばかりのわたしだったが、50年が過ぎて、そのころの思いは感謝にかわった。

神は神を愛するものとともに働いて、すべてを益に変えてくださる。


雪がふった

2018-03-21 13:29:42 | キリスト教

今日の朝から、雪がふってきた。

温かかったり、寒かったりの気候変動で、心臓病の人はできるだけ、外に行かない方

がいい。

心臓病には寒さが一番リスクになるらしい。

病は気からという言葉がある。

心配事やいざこざ、家族の関係がこじれた場合、日常的な事なので、ストレスがたま

る。

そうすると、ストレスで腰がいたくなったりする。病院にいっても、腰の痛みの原因

がわからないようだ。最初にストレスになると、心臓に、そして、胃に、そして腰に

痛みがくるようだ。私も、胃潰瘍になった。

昔は病気でなかったアスペルアー症候群も今では病気になってしまう。

この症状はひとそれぞれである。なので、家族が多い場合は家族が助け合って補い合

える。

しかし、今は各家族なのでそれがむずかしいようだ。

認知症は高齢者になってからの脳の病気だが、アルペルガーとか自閉症は、生まれた

時からの脳の病気なので、神様がその人を神様のご計画があってそのようにおつくり

になったのだと思う。

実際、足のない手のない人が外国にはいる。

日本にも乙武さんがいる。スエーデン人のレーナ・マリアという人はクリスチャン

で、世界中の人に神様のすばらしさを自分の人生に共にいて、助けて下さるイエス様

を伝えている。

体の形状はそとからすぐわかるが脳の障害はすぐはわからない。

聖書の言葉にあなたのなすことを神にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げて下さ

るというみ言葉がある。

私の教会の知り合いに小さいころから発達障害を持った子供さんがいる。

その子供さんは先週の日曜日、中学生の男の子でしたが、洗礼をうけた。

お姉さんは双子でしたが、二人で洗礼をうけた。

絵が上手で総理大臣賞をとって、天皇陛下におあいしたそうだ。

今は、特殊学級にいっている。千葉の教会の子供だが、亡くなったちか伝道師と牧師

が月2回、千葉の教会に奉仕にいっている。

お父さんは養護学校の先生だ。

ご両親、お祖母さん、お祖父さんがみな洗礼をうけて、クリスチャンで、長い信仰生

活を送っている。

そんな家庭の中で大切にその発達障害の子供さんを愛をもって育てられたのだと思い

ます。

赤ちゃんの時にあったきりでしたが、素晴らしい洗礼式の礼拝にでられてよかったで

す。

 

 


主の思いとイエス様を信じるクリスチャンの思いが一つになる。

2018-03-16 10:36:10 | キリスト教

あなたの神、主は、
あなたの手の業をすべて祝福し、
この広大な荒れ野の旅路を守り通された。
申命記2:7

 イエスの言葉:
わたしは世の光である。
私に従う者は暗闇の中を歩かず、
命の光を持つ。
ヨハネ8:12

 ヨハネ16:16~23b
 ヨハネ15:1~8

  (ローズンゲン日々の聖句3/16;金)

 天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
イスラエルの民が、エジプトを出てから、約束の地に入るまでの、
荒野の旅の40年を祝福し、守り、昼は雲の柱、夜は火の柱で導き、
その着物は擦り切れず、足がはれることもないようにされたのだそうです。

私たちのこの世での旅路にも、
イエスが派遣される〔聖である霊〕と呼ばれる方が、
命の光として、私たちの内に来てくださり、
光である、明るい、〔父である神〕の御思いを心に置いてくださり、

私たちが、「神のひとりのようになり、善悪を知る者になって(創世記3:5、22)、
「的外れ」になっている自分の理性の暗闇、
自分の思い、自分の判断の暗闇を歩かなくていいようにしてくださるのだそうです。

 イエスは、しばらくの間、
弟子たちが見ることが出来ないようになられましたが、
しばらくすると、見るようになられました(ヨハネ16:16~22)。

 イエスが、十字架刑での処刑を受け、息を引き取られたのは、
金曜日の午後の3時頃、
そして、日没からは過ぎ越しの祭りの安息日が始まるので、
いそいで、近くにあったアリマタヤのヨセフが自分のために掘っておいた墓に
葬られたのだそうです。

 

そして、日曜日の早朝、
三日目の朝に新しい霊のからだに復活され、
40日に渡って何度も弟子たちに現れ、
ご自分が生きていることを証明し、神の国のことを語った後、
オリーブ山から、弟子たちの守る中、
天の〔父である神〕の右の座に帰られたのだそうです。

 その、イエスが、〔父である神〕の右の座にあって、
受け入れる者に、〔真理の御霊〕、〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださり、
この方の働きによって、ご自分が語ろうとしておられること、
〔父である神〕の御思いを私たちの心の置き、知らせて、
心が一つになっている者にしてくださり、
受け入れる者が、もう、イエスに尋ねなくていいほどに、してくださるるのだそうです(ヨハネ16:13~14、23)。

 

 それで、イエスと受け入れる者との関係は、

ぶどうの木と、その木の枝のような関係。
ぶどうの木の枝が、ぶどうの木につながっており、
つながった場にとどまり続けているなら、
木からの樹液が枝の隅々にまで流れ来て、豊かな実を結ぶように、
受け入れる者にも、〔父である神〕の御思いが心の隅々にまで来て、
〔父である神〕の思われるとおりをしていく者にしていただけるのだそうです。
豊かな実を結ぶ者に。
 
 この世の旅路の中で、光である御思いのとおりを求める者に。
祝福の中を。
今日も。