ふしょうなブログ

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藤田嗣治展

2006年04月02日 19時32分09秒 | 日記のようなもの
 生誕120年を記念して全画業を紹介する展覧会としてはじめて開催された本展覧会。あまり観たいとは正直思わなかったのですが、ひょんなことより観ることになりました。でも、観た後の感想としては『観てよかった』の一言に尽きます。

 さて、藤田の画業というか大きく別けて3つの時代に別れます。まず第1次世界大戦後の華やかなパリを舞台としたエコール・ド・パリの時代、日本帰国を含め第2次世界大戦前後、そして戦後再びパリへ戻った後の時代です。

1.エコール・ド・パリ
モディリアニとも親交のあった藤田、いかにも影響を受けたといえる作品が数作展示されています。それよりも、展示室入って直ぐに出会うピカソの影響を受けたといわれている『キュビスム風静物』、まんまピカソです。この辺がWikipediaの資料によると『FouFouお調子者』と呼ばれた所以もありそうです。『器用で変わり身が早い』藤田の予備知識はまったく持ち合わせていなかったのですが、数作を見たところで、そんな印象を持ちました。悪い意味では無くて感化されやすい画家だったのかな?

さて、やがて、絵の中に猫が登場するようになります。猫、藤田の分身なのかなと思ってしまいます。パリで大成功をおさめた藤田、時代の寵児となったようです。どの絵も煌びやかな印象です。それから、受胎告知をはじめ宗教画を何作か描いています。金箔を貼り付けるなど安土桃山時代の屏風絵を思わせます。(やはり器用です)

2.第2次世界大戦前後
日本への帰路に立ち寄った中南米で描かれた作品が何作か展示されていますが、汗の臭いがするような作風、パリ時代の面影が全くありません。線のタッチで藤田と判別出来ますが、デッサン、構図は別物となっています。(やはり器用?)帰国後に描いた絵の数々は中南米での延長線上にあるとも言え、戦前の沖縄の庶民を描いた『客人(糸満)』は正にその典型と言える作品です。

さて、藤田が戦争に協力をしたと戦後、日本美術会などから非難を浴びたと言う作品が数作展示されていますが、いずれも戦意を鼓舞すると言うよりも戦争の悲惨さを描いていて、どちらかというと反戦の意味合いをうちに込めているように思えてなりません。アッツ島玉砕は累々と横たわる日米の兵士の屍が描かれていて、この絵を観て戦争を賛美する者は誰一人いないと断言できます。(戦争、やはり悲惨です。人が人を合法的に殺せるのですから)また、サイパン島同胞臣節を全うすでも、バンザイ岬より身投げする入植した罪も無い庶民の悲劇が圧倒的な力強さで描かれています。

3.戦後再びパリへ
『私が日本を捨てたのではない。日本に捨てられたのだ』と言い残し日本国籍を捨て去りパリへ戻った藤田。生き生きと描かれている子供たちの姿に未来を託したのでしょうか、そんな作品が何作か展示されています。そしてカトリックに帰依したあとの宗教画の数々、3作の黙示録(七つのトランペット、四騎士、新しいエレサレム)、キリスト降誕、そしてキリスト降架など絵画という枠を越えた作品となっていて、戦前に描いた数作の宗教画とも趣きは異なる印象を受けました。個人的には戦前の宗教画のほうが好きです。またキリスト降架は戦前と戦後の2つの時代で描かれていますので、其々を見比べてみると良いかも知れません。

4.まとめ
最後から2番目に展示されている『礼拝』という作品には藤田自身が描かれています。エコール・ド・パリ時代の藤田を藤田として評価し、その後を切り捨てる考えも一理あるかなと言うか、帰りの車中ではそんなことも考えていたのですが、こうやって再度藤田のことを整理すると『器用すぎた面』もありますが、やはり彼の生涯を通して、彼の作品を評価すべきなのかなと再考してしまいました。

殆ど作品を事前に見ておらず余計な先入観が無かっただけに、印象的で収穫の多い一日となりました。

※写真、左からチケットデザイン、タピスリーの裸婦、五人の裸婦(2作ともYockが気に入った作品です)尚、絵葉書を撮影しましたので写りは良くないです。

生誕120年 藤田嗣治展
   2006.3.28~2006.5.21
   東京国立近代美術館
   (北の丸公園・竹橋)


参考資料
Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E7%94%B0%E5%97%A3%E6%B2%BB


東京国立近代美術館
http://www.momat.go.jp









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