今回は、久々の団地シリーズです。
今回の団地は、埼玉県草加市松原にある
草加松原団地
です。
草加松原団地、かつては東洋一のマンモス団地と呼ばれたほどの大規模団地で、団地内に商店街をはじめ診療所、小学校、中学校、汚水処理場などがあり、1つの街を形成しています。
ちなみに、団地には東武伊勢崎線の駅があります。
その名前は、そのまんま「松原団地駅」。
以前、このブログで紹介した「高根公団」に続く、団地名が電車の駅名となった団地です
草加松原団地は、昭和37年12月~昭和38年12月に入居開始となった公団団地で、総戸数5926戸、賃貸型の団地です。
この団地も、今まで紹介してきた昭和30年代築の公団団地と同じ運命、すなわち「建替え」の対象になっています。
かつては「東洋一の大規模団地」と呼ばれたこの団地も、既に建て替えが始まっており、その姿を巡礼できる日々も、残り僅かとなりました
国道4号線を車で走っていると、突然、国道沿いに恐ろしい数の中層フラット棟の公団団地が見えてきます
団地の案内板です。
この団地はA~Dの4つの地区に分けられています。
AとDは中層フラットで構成されていて、Bは中層フラット+ボックス(ポイントハウス)、Cは主にテラスハウスで構成されています。
「松原団地駅」の近くにあるA地区の1号棟。
おなじみの「公団仕様の街灯」も健在です
庇のあるタイプの中層フラット棟です。
この団地の「A-1」、はじめて見たとき、でれすけはかなり驚きました
写真の右側が北、左側が南なのですが、この団地、公団ではめずらしく「北側にベランダがある」のです
北側にベランダがある上、ダストシュートが撤去されていないのもあって、階段室が異常に狭くて、本当に驚きました…
このタイプの中層フラット棟、神奈川県で似たようなものを見たことがありましたが、そのほかの場所で見た事はありません…
A-1号棟を南側から見た写真です
ほとんどの居住者の退去が済んでいます
でれすけが住んでいた団地に雰囲気がとてもよく似ていて、涙が出そうになりました…
ベランダの仕切りが、1階~4階の各階でカラーが異なるのがちょっとだけオシャレです
ここからは「B地区、D地区」の中層フラット棟です。
B地区はかなり退去がすすんでいました…
「分け入っても、分け入っても、団地。」
右の写真は、本当にでれすけが住んでいた団地の雰囲気そのもので、懐かしさで胸がいっぱいになりました…
この写真を撮っている時、どこからかシャンプーの香りが漂ってきました…
よく、団地定番の香りは、「カレーの匂い」と言われますが、「シャンプーの香り」も団地定番の香りの1つだと思います…
どうでもいい話ですが
これなんて、でれすけの原風景そのものです
そして、またまた閉校です
以前、紹介した「公団赤羽台団地」でも遭遇した小学校の閉校。
草加松原団地内にある「北谷小学校」、この小学校は平成21年4月に草加市立花栗小学校と統廃合し、新たに草加市立松原小学校として生まれ変わるそうです…
平成23年3月までは花栗小学校の校舎を松原小学校の校舎として使い、その間、北谷小学校の校舎を取り壊して新校舎を建て、平成23年4月から、現在の北谷小学校の場所に建てた新校舎に、松原小学校が戻ってくるそうです。
時代とはいえ、なんとも寂しい気がします…。
ちなみに余談ですが。
今まで、幼稚園から大学院まで、統廃合や閉校とは全く無縁だったでれすけの母校でしたが、ついに、母校の大学院の専攻が来年度で廃止になることが決まりました…
全く違う専攻に吸収されてしまうことになり、研究科名も専攻名もなくなってしまうそうなので、物凄く寂しい気持ちでいっぱいです
とりあえず、「草加松原団地」でした
次回は、団地のテラスハウスについて書く予定です
それでは、また
今回の団地は、埼玉県草加市松原にある
草加松原団地
です。
草加松原団地、かつては東洋一のマンモス団地と呼ばれたほどの大規模団地で、団地内に商店街をはじめ診療所、小学校、中学校、汚水処理場などがあり、1つの街を形成しています。
ちなみに、団地には東武伊勢崎線の駅があります。
その名前は、そのまんま「松原団地駅」。
以前、このブログで紹介した「高根公団」に続く、団地名が電車の駅名となった団地です
草加松原団地は、昭和37年12月~昭和38年12月に入居開始となった公団団地で、総戸数5926戸、賃貸型の団地です。
この団地も、今まで紹介してきた昭和30年代築の公団団地と同じ運命、すなわち「建替え」の対象になっています。
かつては「東洋一の大規模団地」と呼ばれたこの団地も、既に建て替えが始まっており、その姿を巡礼できる日々も、残り僅かとなりました
国道4号線を車で走っていると、突然、国道沿いに恐ろしい数の中層フラット棟の公団団地が見えてきます
団地の案内板です。
この団地はA~Dの4つの地区に分けられています。
AとDは中層フラットで構成されていて、Bは中層フラット+ボックス(ポイントハウス)、Cは主にテラスハウスで構成されています。
「松原団地駅」の近くにあるA地区の1号棟。
おなじみの「公団仕様の街灯」も健在です
庇のあるタイプの中層フラット棟です。
この団地の「A-1」、はじめて見たとき、でれすけはかなり驚きました
写真の右側が北、左側が南なのですが、この団地、公団ではめずらしく「北側にベランダがある」のです
北側にベランダがある上、ダストシュートが撤去されていないのもあって、階段室が異常に狭くて、本当に驚きました…
このタイプの中層フラット棟、神奈川県で似たようなものを見たことがありましたが、そのほかの場所で見た事はありません…
A-1号棟を南側から見た写真です
ほとんどの居住者の退去が済んでいます
でれすけが住んでいた団地に雰囲気がとてもよく似ていて、涙が出そうになりました…
ベランダの仕切りが、1階~4階の各階でカラーが異なるのがちょっとだけオシャレです
ここからは「B地区、D地区」の中層フラット棟です。
B地区はかなり退去がすすんでいました…
「分け入っても、分け入っても、団地。」
右の写真は、本当にでれすけが住んでいた団地の雰囲気そのもので、懐かしさで胸がいっぱいになりました…
この写真を撮っている時、どこからかシャンプーの香りが漂ってきました…
よく、団地定番の香りは、「カレーの匂い」と言われますが、「シャンプーの香り」も団地定番の香りの1つだと思います…
どうでもいい話ですが
これなんて、でれすけの原風景そのものです
そして、またまた閉校です
以前、紹介した「公団赤羽台団地」でも遭遇した小学校の閉校。
草加松原団地内にある「北谷小学校」、この小学校は平成21年4月に草加市立花栗小学校と統廃合し、新たに草加市立松原小学校として生まれ変わるそうです…
平成23年3月までは花栗小学校の校舎を松原小学校の校舎として使い、その間、北谷小学校の校舎を取り壊して新校舎を建て、平成23年4月から、現在の北谷小学校の場所に建てた新校舎に、松原小学校が戻ってくるそうです。
時代とはいえ、なんとも寂しい気がします…。
ちなみに余談ですが。
今まで、幼稚園から大学院まで、統廃合や閉校とは全く無縁だったでれすけの母校でしたが、ついに、母校の大学院の専攻が来年度で廃止になることが決まりました…
全く違う専攻に吸収されてしまうことになり、研究科名も専攻名もなくなってしまうそうなので、物凄く寂しい気持ちでいっぱいです
とりあえず、「草加松原団地」でした
次回は、団地のテラスハウスについて書く予定です
それでは、また
小中学校と商店街まで揃っていて、駅名にもなってるんですね。
この団地にも☆型棟や給水塔も在るのでしょうか?
北側のバルコニーは当時の公団の新しい試みの一つだったのでしょうか?
公団芦花団地や公社芦花公園前住宅の建て替えが進んでいますが、一時期生徒数が激減していた芦花小中学校の今後は、いったいどうなるのでしょうね?
気になります。
ここの団地には「給水塔」や「スターハウス」は残念ながらありません。
しかし、中層フラット棟のみの単調な団地…と言う訳ではなく、中層フラット棟、テラスハウス、ボックス型のポイントハウスがバランスよく配置されています。
昭和30年代後半建設の団地は、30年代前半~中期にかけて建設された団地のような住棟間のゆとりが減り、コストと建設の手間のかかるスターハウスなどが建設されることが少なくなり、日本住宅公団が「夢と理想」を追い求める余裕がなくなり、「住宅供給」に手一杯になっていく様子が手に取るようにわかります(笑)
昭和40年代築の団地なんて言ったら、もう、「ゆとり」などと言っていられなくなって、物凄い密度で同じような中層フラット棟がズラ~!!っと並ぶ姿(例えば、多摩ニュータウンなど)になっていくので、同じ「団地」と言えども「昭和30年代築」と「昭和40年代築」の団地は別物として「鑑賞」した方が面白いと思います。
芦花小・中学校の校区の児童・生徒数は、団地住人の高齢化に伴ってずいぶんと激減したようですね
あの地域も、随分と「中学受験組」が増えて(うちの実家の近所の子どもも、日能研のバッグを背負って、忙しく過ごしているみたいなので…)、ますます公立に通う子どもは減ってしまうのでしょうね
その一方、青山学院理工学部の跡地にテラスが出来て以来、塚戸小学校と千歳台小学校は子どもの数が増えすぎて、逆に困っているそうです…
ちなみに、千歳中は世田谷区立の公立中学校の中では成績が良い方なので(坂本龍一の母校なだけあります(笑))船橋、希望が丘などの評判がちょっと…という中学校が校区の子どもが、わざわざ住所を移してまで越境入学しているそうです
今後の芦花小・中学校の動向が気になりますね…。
芦花中は僕が在学中は緑中、烏中と並んで世田谷三馬鹿と言われていました。
烏中は三谷幸喜(僕と同い年です)を輩出しましたが、芦花中の卒業生には今のところたいした有名人は居ませんね。(笑い)
うちの子供たちは2人とも芦花中に通いましたが、娘の小学校のクラスメイトは殆んど私立中に進みました。
何故かはよく分かりませんが、小・中校が同じ敷地内に在ることも、敬遠される理由だと聞いた事があります。
行動経済成長期+第2次ベビーブームを迎え、第1次ベビーブーマー達が次々と独立し始めたため、住宅の需要が増加した…ということも影響していると思います。
昭和30年代築の公団団地マニアもいれば、昭和40年代以降に建てられた高層団地専門のマニアもいます(笑)
でれすけ世代になると、芦花中、緑中、烏山中よりも、船中、松中あたりがバカボンと言われておりました…。物凄くこの辺の学校が荒れていた時代で、窓ガラスがなくてダンボールで応急処置をしていたような時代でした(笑)
当時通っていた塾(烏山の6番街にありました…)の先生が「カミソシは頭がいいのに、ちょっと校区が違うだけでこうまで偏差値ってこうまで違うモンかね~!」…と、よくイヤミを言っていたことを思い出します。
三谷幸喜、烏中出身なんですか?!
知りませんでした!ビックリです
こんな有名人が烏山住人だったなんて、なんだかちょっぴり嬉しくなります
小・中が同じ敷地で敬遠される…って、なんだか不思議な話ですね
でれすけは、小学校からずっと国公立出身者(もっと言うと、幼稚園も世田谷区立の2年保育ですし…)なので「お受験」と聞くと、「高校からで十分じゃない?」と思ってしまうのですが、やはり、時代は中学受験が当たり前になってきているのですね
つい数年前、世田谷区の公立中学校の統廃合があった
ことからも、この先、公立小中学校の統廃合はどんどん進んでいくのでしょう。
時代とはいえ、なんだかとても寂しいですね…