歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「敵討天下茶屋聚」 かたきうち てんがぢゃやむら

2011年05月02日 | 歌舞伎
「敵討ち狂言」というのは歌舞伎の重要なジャンルのひとつで、これはその典型的な作品のひとつです。
「敵討ち狂言」についてひと項目立てました。=こちら=です。お時間がある時読んでいただけるとお芝居の方向性が分かりやすくなるかなと思います。

現行上演、大阪、天王寺の門前から始まります。
なのでまず、ここまでの流れをざっと書きます。

・主人公の「早瀬兄弟」の父親、「早瀬 玄藩(はやせ げんば)」は、とある藩の剣術師範でしたが、
弟子の「東間 三郎右衛門(とうま さぶろうえもん)」に、騙し打ちによって殺されました。
お家騒動をめぐるトラブルが発端なのですが、そのへんは今出ないので割愛です。

・同時期に、早瀬家の家宝である、「紀貫之の書いた色紙」がなくなってしまいました。
「紀貫之(きの つらゆき)」は平安時代前半期の有名な歌人で、書家でもあります。たいへんなお宝です。
管理責任を問われて、当主が死んだこともあって、早瀬家はお取りつぶしになってしまいます。

・「早瀬伊織(はやせ いおり)」、「源次郎(げんじろう)」の兄弟は、色紙を探し出し、同時に父の敵を討つ旅に出ることにします。
今の状態ですと二人は浪人ものです。しかし、色紙を探し出せば家を再興できるので、正式に敵討ちの許可が取れます。
敵を討ってしまってから色紙を見つけても、事後承諾で「敵討ちであった」という承認をもらうことはできます。
とにかく旅に出て、「色紙」「敵」ふたつのミッションをクリアする以外に身を立てる方法がない、切羽詰った状況です。

・出発にあたって、許婚(いいなずけ)であった「染の井(そめのい)」「葉末(はずえ)」姉妹と祝言をあげます。

・家来の「安達元右衛門(あだち もとえもん)」と「弥助(やすけ)」の兄弟が、お供に付きます。

・そして、兄弟のそれぞれ妻となったの「染の井(そめのい)」、「葉末(はずえ)姉妹」もまた、旅を続ける早瀬兄弟に会おうと、旅に出ます。

さて、このお芝居を見るのに覚えておいたほうがいい単語が、「中間(ちゅうげん)」です。「ちゅうかん」ではありません。「ちゅうげん」。
「奴(やっこ)さん」と同じものです。正式な武士ではないのですが、一応刀を差しており、武士のお供に付いて身の回りの世話をする家来です。
武士と一般市民の中間の身分なので「中間(ちゅうげん)」と呼ばれます。

このお芝居は、主人公の兄弟の家来、中間である、「安達元右衛門(あだち もとえもん)」が非常に重要な役回りなので、この言葉を覚えておいたほうが見やすいと思います。

じゃあお芝居の説明に入ります。

・天王寺門前の場

今日も参拝客でにぎわっています。人の多いこういう場所は、登場人物全員が「偶然出会う」のに都合がいいです。

キレイなお姉さんが二人出ます。早瀬兄弟の妻、「染の井」さんと「葉末」ちゃんです。
はやく夫に会いたいものだ、などと話して参詣のために門の中に入っていきます。

これを見ていたのが、これも中間の「腕助(うですけ)」です。腕助は悪役の「東間三郎右衛門」の家来です。
姉妹を見て、早瀬兄弟も近くにいるかも知れないと思った腕助は、主人の三郎右衛門に報告するために立ち去ります。
つまり敵の三郎右衛門は、すぐそばにいるわけです。

次に現れるのは主人公の早瀬兄弟です。家来の弥助を連れています。

ここで、網傘をかぶったお侍が通りかかります。その背格好が東間三郎右衛門に似ていたので誤解した早瀬兄弟は
その男を取り囲んで網傘をはぎ取りますが、男は別人でした。
このかたはマトモなお侍で、「坂田庄三郎(さかた しょうざぶろう)」というのですが、特にストーリーには関係ない人でこの幕以外出ません。
あまり意味のないかたです。名前覚えなくて大丈夫です。

誤解が解けて、お侍は天王寺の境内へと退場します。

元右衛門は遅れて来るのですが、ヨソの、酔っぱらった中間に絡まれながらやって来ます。酔っぱらいはやだなあという場面です。
じつは元右衛門は非常に酒癖が悪いのです。どうしても敵討ちのお供がしたく、酒をやめる約束をしてお供を許されました。
兄を心配していた弟の弥助は本当に喜んだものなのでした。酔っぱらい嫌だねえ。お酒やめてよかったね兄さん。
この設定がお芝居の後半で非常に大切になります。

ここで、元右衛門が遅れた理由の用事についてセリフがあります。
例の、盗まれたと思われる「紀貫之(きのつらゆき)の色紙」に関することです。
この色紙をめぐる諸事情はすでに現行上演では出てこず、「家宝の色紙を探している」という設定だけが残っています。
歌舞伎の定番設定なので、そんなもんだと思って見てください。
セリフだと「紛失(ふんじつ)したお家(おいえ)の重宝(ちょうほう)の色紙」とか言っています。

早瀬兄弟も弥助と供に参拝に向かいます。
いろいろ走り回って疲れた元右衛門は、門前の茶屋で休んで待つことにします。

そこにやってきたのが、さっきの腕助(うですけ)です。
元右衛門は腕助に気付いて捕まえて、敵の東間三郎右衛門の居所を問い詰めるのですが、
腕助は、さっきの酔っぱらいの中間が落とした鑑札(かんさつ、お屋敷に入るための身分証明書ですよ)を拾っていたので、「俺は今は東間の家来じゃない」と言い逃れます。
関係ないけど「元右衛門」と「三郎右衛門」、なにげに似ているので慣れないと混乱するかもです。がんばです。

一応仲直りして、茶店でひと休みするふたり。
ふたりは昔は飲み仲間だったのですが、元右衛門は禁酒しているので勧められても酒は飲みません。
でも目の前で飲まれるとつらいので、ついつい態度に出てしまいます。このへんのお芝居は非常にリアルなのである意味イタく、ある意味楽しいです。

そうこうするうちに腕助は、東間からあずかった手紙を落とします。
お家のっとりをたくらむ一味への密書なのですが、この宛先の人物は、お家乗っ取りの首謀者のはずですが、現行上演どこにも出て来ません。
「腕助が東間の悪巧みがわかる密書を落とした。まだ東間の家来やってる事もバレた」。以上がわかればいいです。

密書を拾う元右衛門ですが、一部始終をいつのまにか、東間が隠れて見ています。そして物陰から元右衛門に当て身を食わせて、気絶させます。
このへんの動きは急なのでわかりにくいかもですが、そういうかんじです。
悪役の親玉、東間が中間ふぜいを殴ると安っぽいので、この動きを東間の弟分みたいなひとがやることもあります。

気を失った元右衛門の口に、ムリクリ酒を流し込む腕助と東間。
元右衛門は自分の意思ではないのに酔っぱらってしまいます。消える悪役たち。

目を覚ました元右衛門ですが、正気に返ることはなく、そのまま酒を飲み続けます。
そこに戻ってきた早瀬兄弟と弥助、
事情を知らない3人には、元右衛門が自分から酒を飲んで酔っぱらったようにしか見えません。
怒った早瀬兄弟は元右衛門を勘当します。つまりクビです。ぎゃああ。
弥助も悲しみますが、約束を破って酒を飲んだ元右衛門への怒りのほうが大きいです。ここで甘やかしたら兄貴は一生酒で失敗し続ける。

酔いつぶれた元右衛門を置いて三人は去っていきます。

そこに腕助と東間がまたがやってきます。
何を思ったのか、元右衛門を駕篭に乗せて連れ去ります。

この幕終わりです。
依存症怖いです…。


・東寺貸座敷(とうじ かしざしき)の場

ちょっと月日がたちます。その間のできごとは、今は上演しません。
早瀬兄弟は今は京都の東寺(とうじ)のそばの貸座敷に住んでいます。
説明すると、東寺というのは都の一番南側、下京区の一番下のほうにあります。都の入り口にあたる羅生門のそばです。
ですのでスラムっぽい場所です。そして「貸座敷」というのは、今で言うウィークリーマンションみたいなものです。江戸にはなかったのですが上方には多かったのです。
当時も賃貸契約はけっこううるさく、安い裏長屋であっても、ちゃんと家を借りるには一応身元保証や身分証明書が必要だったのですが、
貸座敷はその点気軽に借りられたようです。
身分の不安定さと経済的困窮が、「東寺貸座敷」という場面設定だけで伝わってくるのです。

というわけで今の早瀬兄弟の状態です。
奥さん姉妹のうち、姉の「染の井」さんとは巡り合いました。一緒に暮らしています。
妹の「葉末」ちゃんはいろいろあって行方不明です。
現行上演ですと、以降出番がないかもです。あまり女性が活躍しないお芝居です。

兄弟の弟の「源次郎」は、苦労がたたって病気になってしまいました。あと栄養不良のせいか、今、目が見えません。
兄の「伊織」は元気です。東間も探さなくてはならないのですが、今は主に家宝の色紙を探しているかんじです。
中間の弥助は相変わらず忠義なかんじで3人を支えています。

病気の源次郎を弥助と染の井が慰めているところに、「井筒屋 伊三(いづつや いぞう)」というヒトがやってきます。
この伊三さんについてはお芝居中、細かい説明がありません。
若隠居の小金持ちでいいひと、兄弟の苦境を知って何かと協力してくれている、みたいな設定で間違いないかと思います。
伊三さんは、探している色紙を持っている道具屋を見つけたので知らせに来てくれたのです。
おねだんが二百両。1200万円くらいです。高。ていうかお芝居設定としてもかなり高いです。
兄の伊織がいないので、残った3人ではちょっと返答ができません。とりあえず伊三さんは詳細を確認しに一度帰っていきます。

そこに、按摩さんがやってきます。目が見えません。あまりにみすぼらしいので同情して按摩を頼む弥助。
これが、よくよく見たら、兄の元右衛門ではありませんか。

酔いつぶれて3人に捨てられたあと、バチがあたって目がつぶれ、流れ流れてこのザマだと泣く元右衛門です。
酒はもちろんきっぱりやめたと言います。
そいうことであれば、なんとか主人である兄弟にお願いして家来に戻れるようにしてやるからと弥助は言い、元右衛門を戸棚に隠します。

井筒屋伊三さんが戻ってきます。
やはり色紙は二百両です。高。
話を聞いていた染の井さんが、歌を一首書いて弥助に渡します。

 山川の 流れに沈む栃(とち)からも
 身を捨ててこそ 浮かむ瀬もあれ

下の句はわりと有名かと思います。栃からは、栃の実の殻です。
沈んでも水に浮きますが、一度覚悟を決めて身を捨てて初めて、浅瀬に浮かぶこともできるのだ、みたいな意味です。

ここでは、染の井が「身を捨てる」=遊郭に身を売る、という決心を表現しています。
染の井が身を捨てても、それで兄弟が浮かび上がり、最後自分も救い出してくれるならそれでいい(最悪自分は救われなくても諦める)、ということです。

伊三さんの身内に遊女茶屋をやっている人がいます。セリフで「子供商売」と言っているのがそれです。
ちょうどいいので伊三さんが染の井を斡旋することにし、持ち合わせた百両を置いて、染の井を連れて帰って生きます。

このへんでの伊三さんの細かい心遣いに、このひとの気持ちの優しさが見えて、
つらい事の多いこの場面のなかで、ほっとさせてくれます。

ところで、「子供商売」という言い方ですが、遊女や芸者を「子供」と表現するのは上方に多い表現です。
これは低年齢の子供に売春をさせていたという意味ではなく、店で抱えている遊女や芸者を「抱え子」→「うちの子(たち)」→「子ども」と表現しただけです。
抱えているのは大人です。誤解されそうなので書いておきます。

兄の伊織さんが帰ってきたら事情を話すことにして、源次郎は休みます。
戸棚に隠していた元右衛門を外に出し、一度帰って、改めてお詫びに来るように言った弥助は、なけなしのお金や服を元右衛門に与えます。
泣きながらお礼を言って帰る元右衛門。

もう夜です。
疲れてしまった弥助は一度灯りを消して休みます。

ここからお芝居がクライマックスに向かいます。
もともとはこの場面が山場ではなかった作品ですが、この部分の演出がすばらしすぎるのでこのお芝居は今まで残っています。
現行上演、この部分が山場になるようにお芝居も構成されています。

目が見えなかったはずの元右衛門が、花道でカッっと目を見開き、杖を投げ捨てます。ニセめくらだったのです。
弥助がくれた衣類も捨てると、屋根から部屋に忍び込みます。
戸棚の中でさっきの話を聞いていたのです。あの家にはいま百両ある。

元右衛門は弟の弥助を何のためらいもなく殺し、百両を盗み取ります。
さらに寝ている源次郎も殺そうとするのですが、そこに伊織が帰ってきます。
あわてて逃げようとした元右衛門は伊織に切りつけ、伊織は足を斬られます。

花道を逃げる元右衛門、すでに良心は失っているのですが、根は小心者なので恐怖心はあります。
半狂乱で逃げる様子も見せ場のひとつです。
2階3階からは見えないと思いますが、雰囲気を楽しんでください。

この部分は初回上演にはない演出で、後になって三代目大谷友右衛門という役者さんが工夫してふくらませたものです。
歌舞伎が、役者さんとともに生き物のように成長してきた様子を感じ取れるという意味でも名場面だと思います。

この場面終わります。


・福島天神森(ふくしま てんじんもり)の場

これも、当時の人なら地名を聞いただけで状況が一発でわかったであろう地名です。
(変換しない…)小屋が並ぶあたりです。

葉末(はずえ)ちゃんは行方不明のままです。
染の井さんは前の場で遊女になって、そのままです。
源次郎はなんとか元気になり、目も見えるようになりました。このへん説明ないのですが、元気です。
兄の伊織は、元右衛門に斬られた足の傷のせいで破傷風になりました。足も動かないままです。
弥助も死んでしまって世話をしてくれる人もいません。
伊織は箱車に乗り、弟の源次郎がそれを引いて、ふたりで物乞いをして歩いています。

とはいえ、親切な人もいます。の集落の頭の伝吉さんが、ふたりに小屋(むしろのだけど)を貸してくれて、いろいろ面倒をみてくれます。伝吉さんに身の上話をするふたり。

ここに「河太郎(かわたろう」の見せ物」という芸をする男がやってきます。「河太郎」は河童です。
人間が河童のフリをして見世物に出るインチキ大道芸です。
これが、じつは、最初の幕で出た、悪人の中間の腕助です。早瀬兄弟を探すためにのフリをして紛れ込んでいるのです。
腕助(河童)は一度退場します。

そうとは知らないふたり。大阪の町でウワサを聞いた道場主がどうも敵の東間っぽいという話をし、源次郎が様子を見に行くことになります。
もう暗いのですが、調べるのは早いほうがいいだろうと、心配する伊織を置いて源次郎はでかけて行きます。

の頭の伝吉さんが、下駄を貸してくれました。伊織がいる小屋の前の道は数メートル(メートル言うな)ですが、ひどくぬかるんでいるのです。
森の中の集落ですから道は細く、左右は木や藪です。
ここを通る人に足が汚れないように下駄を貸して、お礼にいくらかもらえばいいとアドバイスをくれます。
「合力(ごうりき)を受ければいい」とセリフでは言っています。
お金を出す側の好意で、困った人に協力する行為が「合力」です。

数メートル歩くのに下駄を貸してお金もらうのも妙な話ですが、何もせずにお金を施してもらうよりは、ちょっとでも人の役にたてばというかんじです。
困っている人も多かったのでしょうが、全体に優しく、穏やかな世の中だったのだろうなと思います。

万才師の二人組が通ります。「万才師」は、今の漫才のコンビとは違います。
滑稽なやりとりもしますが、キホンはおめでたい舞を舞って歌う芸能者です。
歩けない伊織に同情して、歩けるように伊織の前で舞を舞って、その日の稼ぎを伊織にくれます。
前の幕の伊三さんもそうなのですが、早瀬兄弟の境遇は悲惨ですが、常に周囲に優しい人たちがいます。
彼らの存在が我々をあたたかい気持ちにしてくれる、それもまたこのお芝居の見どころのひとつです。

源次郎を待ちながら眠る伊織、

そこにやってくるのが、さっきの腕助と、元右衛門です。
弟の弥助を殺して百両奪った元右衛門は、すっかり悪人になっています。
今は敵役の東間三郎右衛門の家来なのですが、もといた家来の腕助よりもえらくなっていて腕助をアゴで使っています。

伊織を殺そうとやってきたふたり、小屋の壁はムシロですから、左右から刀を突っ込みます。
このときのふたりの言葉遣いの汚さといったらありません。にーくーらーしーいー。
しかし伊織は、足が動かないとはいえ剣術師範の父親を持つ、自身も剣術の達人ですよ。そんな不意打ちは食いません。
立ち回りになります。

手傷を負った伊織、敵のひとりが、元は家来であった元右衛門であることに気付いて驚きます。
驚く伊織に、元右衛門は弥助を殺したのも百両奪ったのも、伊織の足を斬ったのも自分であることを告げますよ。
この場面の、むしろ得意げに「まだあるまだある」と自分の悪行を語る憎憎しい様子も、このお芝居の見せ場のひとつです。
人間ヒトとして堕ちて行くと、このように心底ねじまがってしまうのだなあという状況がリアルで怖いです。
一方で、伊織が斬られた部分の描写は息の合った二人の掛け合いのセリフでテンポよく語られます。
様式美をうまく使って臨場感を盛り上げる、あざとい手法です。

さらにラスボスの東間も出て来ます。
動けないながらも剣の腕はたしかな伊織、執念で反撃しますがかなわず、最後は斬り殺されてしまいます。

源次郎はいないのですが、の仲間をすでに抱きこんであるから取り囲んで殺すてはずだという腕助、
長居は無用とばかりに腕助を残して2人は去っていきます。
夜、暗い森の中、みすぼらしい小屋の前での惨殺劇です。恐ろしい場面です。

戻ってきた源次郎は、兄が死んでいるのに気付いて驚きます。
悲しむ間もなく、腕助とたちに取り囲まれる源次郎は袋叩きにされて後ろの川に投げ込まれてしまいます。

この場面終わりです。

明け方です。
川の下流、
なんとか死なずに浮き上がった源次郎は絶望して死のうとするのですが、
これを助けたのが京屋万助(きょうや まんすけ)という商人です。
この人は昔、源次郎の父親の「早瀬玄藩」に世話になったことあり、源次郎のことも見知っていたのです。
万助さんは源次郎を助けて自分の家につれていきます。
彼が源次郎に協力して、敵討ちが成就するのだろうなと予感させます。

ここで、次の幕で出る人形屋幸右衛門(にんぎょうや こうえもん)がセリフなしでチラっと出るのですが、今はこの部分は出さないかもしれません。


このあとの場面は、
・「京屋万助」は源次郎を助けた。じつは祇園で遊女をしていた染の井も見つけ、事情を知って身請けして、お妾に見せかけて保護してある。
・「人形屋幸右衛門」はもと武士である。この人も早瀬一家の味方。行方知れずだった葉末ちゃんを見つけて保護している。
・ふたりはご近所だけど、お互いが関係者をかくまっている事を知らない。
・幸右衛門さんはついに色紙を見つけた。やっぱり二百両。そんなお金ない、どうしよう。

という設定のもとで、幸右衛門さんが自分の子供を犠牲にして万助さんからお金を都合しようとする、泣かせる幕があります。
最後に源次郎、染の井葉末の姉妹、色紙が全部そろい、さらにウロウロしていた腕助を捕まえて東間の居所を吐かせます。みんなで敵討ちに出立です。

というかんじなのですが、
長いのと、「子供殺してまで」というのが今は受けないのとで、まず出ません。文楽作品としては名作だと思います。

その後、タイトル通り大阪の天下茶屋聚(てんがぢゃやむら)での、敵討ちの場面になります。ここは出るかもしれません。

たまたま行き会った、お殿様のお側役の石上求女(いしがみ もとめ)さん、あ、男です、が立ち会う中、見事敵を討ちます。
元右衛門も殺されます。
お殿様の信頼も厚い石上殿が立会人として証人になるので、お家への帰参、早瀬家の再興は間違いありません。
犠牲は大きかったですが、結果オーライでめでたしめでたし。

以上で全部終わりです。


「敵討ち狂言について」でも書きましたが、
この種のお芝居の見どころは、むしろ「敵を討つまでの艱難辛苦」です。主人公がひどい目に合えばあうほど受けるのです。
そういう目で見ていただくと、楽しむ方向性がわかりやすいかなと思います。
あとは、とにかく元右衛門というキャラクターのぞっとするようなリアリティーに尽きます。
チラっとしか出ませんが、ラスボスにあたる東間三郎右衛門の憎憎しいかっこよさも楽しんでください。

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1 コメント

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感謝! (punk1978)
2012-01-23 19:21:02
昨日、浅草で初めて歌舞伎を観たのですが、それがこの「敵討天下茶屋聚」でした。
後半からはどういう話かわかったのですが、前半がよくわからず…

それでこのページにたどり着きました。

読みやすく楽しい解説、ありがとうございます!
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