歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

もう意味わからないとは言わせない。「勧進帳」全訳2

2013年03月02日 | 歌舞伎
=全訳1=の続きです。
作品解説は、=「勧進帳」解説=にあります。

富樫: ちかごろ殊勝の、おん覚悟。
先に、うけたまわり候へば、南都(なんと)東大寺の勧進と、仰せありしが、
勧進帳(かんじんちょう)ご所持なき事は、あらじ。
勧進帳を、遊ばされ候へ。これにて、聴聞(ちょうもん)つかまつらん。


寺院に寄付をする行為、または寄付をつのる行為を「勧進」といいます。
「勧進帳」は、寺院が「勧進」のイベントなどををしたいときに出す、勧進の趣旨を記した書類です。
これを読み上げて「勧進」を募ります


>近頃にしてはじつにりっぱなお覚悟です(これはりっぱなお坊さんなのでしょう)。
先ほど伺ったのですが、南都(奈良)の東大寺の(再建のための)寄付集めをなさっているというお言葉がありましたが、
寄付の口上が書かれたものである「勧進帳」をお持ちでないはずはありますまい。
勧進帳の読み上げをなさってください。わたくしはここで拝聴いたしましょう。

弁慶: 何と、勧進帳を読めと、仰せ候や。
>なんですと。勧進帳を読めをおっしゃるのですか。

富樫: いかにも。
>そのとおりです。

弁慶: 心得て候。
>承知いたしました。

唄: もとより、勧進帳の、あらばこそ。
笈の内より、往来(おうらい)の、巻物一巻取りいだし、勧進帳と名付けつつ、
高らかにこそ、読み上げけれ。

>もとより山伏だというのはウソなのだから、勧進帳があるであろうか。あるはずがない。
しかし弁慶は、笈(荷物の箱)の中から手紙の巻物を一巻取り出して、それを勧進帳だと称しながら
高らかに読み上げたのであったよ。

弁慶: それ、つらつら、惟ん(おもん)見れば。
>さて、つくづくとじっくりこの世や人生について考えてみると、

弁慶: 大恩教主(だいおんきょうしゅ)の、秋の月は、涅槃(ねはん)の雲に隠れ、
生死長夜(しやうじ ちょうや)の長き夢、驚かすべき人もなし。

>大恩教主(釈迦)は、仏法の真理を語って秋の月のように世の中を明るく照らしていたのだが、釈迦が涅槃に入って(死んで)それを説くものがいなくなったために、秋の月が雲に隠れるように今はその真理も隠れてしまっている。
生きて死ぬことも、仏法を知って悟りを開かなければ、生と死という長い夜に長い夢を見ているようなものだが、
今は仏法の心理を説いて、その眠りを覚ますことができるような人もいない。
じつに迷いの多いつらい世の中である。

ここに中頃(なかごろ)、帝(みかど)おはします。
おん名を聖武(しょうぶ)皇帝を申し奉る。最愛の夫人(ぶじん)に別れ、恋慕(れんぼ)の思いやみがたく、涕泣(ていきゅう)眼(まなこ)に荒く、涙(なんだ)玉を貫ねつらね、乾くいとまなし。
故に、上下菩提(じょうげぼだい)のため、廬遮那仏(るしゃなぶつ)を(と)、建立し給う。

>さてここに、少し前であるが、ある帝がいらっしゃった。
お名前を聖武天皇といい申し上げた。帝は最愛であった妻に死に別れてしまい、しかし死んだ妻を恋い思う気持ちをとどめることができなかった。
涙を流して泣いて眼ははれ上がり、涙は玉に穴をあけてつなげたように流れ続けて乾くひまもない。
その悲しみと妻への愛情のために、人民が身分の上下なく死後極楽往生できるように、廬遮那仏(るしゃなぶつ)という仏を本尊とした東大寺を建立なさった。


「瑠遮那仏(るしゃなぶつ)」は、「大日如来(だいにちにょらい)」と同じものです。

※レコード版では、
「日ごろ三宝(さんぼう)を信じ、衆生(しゅじょう)をいつくしみ給う。
たまたま霊夢に感じたもうて、国土安泰、天下安穏(てんが あんのん)のため、廬遮那仏(るしゃなぶつ)を(と)、建立し給う。」

になっています。
こっちのほうが好きです。史実にも近いし。


しかるに、去んじ(いんじ)治承(じしょう)のころ、焼亡(しょうぼう)し、おわんぬ。
>そのようにりっぱなお寺が人々のために作られたにもかかわらず、
去る治承のころ、(平家のせいで)焼けてなくなってしまった。

かかる霊場(れいじょう)絶えなむことを嘆き、
俊乗房重源(しゅんじょうぼう ちょうげん)、勅命をこうむって、
無常の関門に涙を流し、上下の真俗(しんぞく)を勧めて かの霊場を、再建(さいこん)せんと
諸国、勧進す。

>このようなりっぱな聖地が無くなってしまうことを悲しく思って、
(今回の勧進の主催者である)俊乗房重源(しゅんじょうぼう ちょうげん)は、帝にお願いして東大寺再建の勅命を出していただき、その勅命を受けて諸国を勧進して(寄付を募って)歩く。
そして我々もそれに協力して手分けして勧進して歩いている。

「俊乗房重源」は実在したかたで、実際に鎌倉時代に東大寺の再建に尽力したかたです。

一紙半銭、奉財(ほうざい)の輩(ともがら)は
現世(げんぜ)にては無比の楽(むひの らく)に誇り、当来(とうらい)にては、数千蓮華(すせんれんげ)の、上に坐す。

>たとえ紙一枚、お金半銭程度のどんなわずかな財産でも、寄付した賛同者は、
この世においては例えることもできない楽しい人生を周囲に誇りながら送ることができ、
当来(来世)においては極楽に生まれ変わって数千の蓮華の花の上に座ることであろう。

帰命稽首(きみょう けいしゅ)、敬ってもうす。
>仏に身命を捧げ、頭を下げて、敬って以上のことを申しあげる。

唄: 天も響けと、読み上げたり。
>天にも響けとばかりに、大きな声で朗々と勧進帳を読み上げたのである。

ここまでで、タイトルにもなっている有名な「勧進帳の読み上げ」が終わります。
能の「安宅」では、このまますぐ後半につながるのですが、
この後にこれまた有名な「山伏問答」を挿入したのが、歌舞伎の「勧進帳」の特徴です。


富樫: 勧進帳、聴聞(ちょうもん)の上は、疑いは、あるべからず。
さりながら、事のついでに、問い申さん。
世に、仏徒(ぶっと)の姿、さまざまあり。中にも山伏は、いかめしき姿にて、仏門修行は、いぶかしし。
これにも、いわれあるや いかに。

>勧進帳を拝聴し、その存在を確認した上は、あなたがたが本物の山伏であることは疑いはないでありましょう。
とはいいながら、あなたはりっぱな山伏であるようなので、ついでに修験道について質問させていただこうと思います。
仏門で修行する僧は、宗派や立場でその姿は様々だ。
その中でも山伏はとくに恐ろしげな姿で、その姿で争いを好まない仏教の一門で修行しているのは不審なことである。
これにも何か理由があるのかどうなのか。

弁慶: おお、その来由(らいゆ)いと易し(やすし)。
それ、修験(しゅけん)の法と言っぱ、胎蔵(たいぞう)、金剛(こんごう)の両部(りょうぶ)を旨(むね)とし、
険山(けんざん)悪所(あくしょ)を踏み開き、世に害をなす悪獣毒蛇(あくじゅう どくじゃ)を退治して、現世愛民(げんぜ あいみん)の、慈眠(じみん)を垂れ、

>おお、その由来を説明するのはとても簡単だ。
それその、修験道の説く仏法といえば、不動明王(大日如来)の説く中で、慈悲をあらわす「胎蔵界」と智をあらわす「金剛界」の双方を肝要のものとしており、
その修行は、険しい山や難所などを歩いて道を作り、世の中に害をあたえる危険な動物や毒蛇を退治して世の中を安全にして、
この世の大切な民衆が安心して眠れるようにし、

あるいは難行苦行の功(こう)を積み、悪霊亡魂(あくりょう ぼうこん)を、成仏得脱(じょうぶつ とくだつ)させ、
日月星明(じつげつせいめい)天下泰平(てんがたいへい)の祈祷を修す(じゅす)。

>あるいは難行苦行の修行をして仏功をつんで、その功徳で悪霊や亡魂が煩悩を脱して成仏できるようにしたりし、
また、昼も夜も一日中、天下泰平であるための祈祷をするのである。

さるが故に、内には、慈悲の徳を修め、表(おもて)に、降魔(ごうま)の相を顕し、悪鬼外道を、威伏(いぶく)せり。
これ、神仏(しんぶつ)の両部(りょうぶ)にして、百八の数珠に、仏道(ぶっどう)の利益を顕す。

>そのような理由から、山伏は自分の内側には慈悲という徳を持っており、一方で表には魔物が降臨したかのような恐ろしげな外見を顕して、
人に害をなす鬼や仏教を信じない魔物を仏法の威力によって屈伏させるのだ。
これはわが国の神と仏(不動明王)の両方の姿であり、手に持つ百八粒の数珠に仏の道が導く功徳をあらわすのだ。

当時の修験道は、「神仏習合(しんぶつしゅうこう)」の典型的な仏教でした。
修験道の聖地である熊野にあるのも、寺ではなく神社です。
「神仏習合」というのは、
神々の本来の形は仏である。
仏そのものは異世界にいて認識はできない。現世にはいろいろな形を取って現れる。そのひとつの形が、日本の神である。
神も仏ももとは同じものであるから、同じように信仰し、敬っていいのである。
だいたいそのような考え方です。


富樫: してまた、袈裟衣(けさころも)を身にまとい、仏徒の姿にありながら、額にいただく兜巾(ときん)はいかに。
>そしてまた、袈裟(けさ)を付けて仏衣を身にまとって、仏に仕えるものの姿をしていながら、頭にかぶっている「兜巾(ときん)」は(その名の通り兜の一種であろう)、なぜそのようなものをかぶっているのか。

弁慶: すなわち兜巾篠懸(ときん すずかけ)は、武士の甲冑にひとしく、
腰には弥陀(みだ)の利剣(りけん)を帯し(たいし)、手には釈迦(しゃか)の金剛杖(こんごうづえ)にて、大地を突いて踏み開き、高山絶所(こうざん ぜっしょ)を縦横(じゅうおう)せり。

>兜巾と、上着である篠懸(すずかけ:訳の1に説明があります)は、そのまま武士の甲冑と同じものであり、身を守る意味がある。
さらに腰には煩悩を切り払う弥陀の利剣のような剣を帯び、手には釈迦が持っていたという金剛杖を持ち、
我々はその杖で大地を突いて歩き回って道なき道を踏み開き、高い山や難所を縦横に歩くのである。

「弥陀の利剣」は、仏の教えがよく切れる剣のように煩悩を断ち切って人を導く様子を表現する言葉です。実際の剣ではありませんが、ここでは実際に帯びている剣を「弥陀の利剣」になぞらえています。

富樫: 寺僧(じそう)は錫杖(しゃくじょう)をたずさうるに、山伏修験(やまぶし しゅげん)の、金剛杖に五体を固むる謂れ(いわれ)は何と。
>寺にいる普通の僧は錫杖(しゃくじょう)と呼ばれる杖を持っているが、山伏、修験僧は金剛杖で五体、つまり体を守っている、その由来は何であるのか。

弁慶: 聞くもおろかや。金剛杖は、天竺壇特山(てんじく だんとくせん)の、神人(しんじん)、阿羅々(あらら)仙人の持ちたまいし、霊杖(れいじょう)にて、胎蔵、金剛の功徳(くどく)を籠めり。
>それはあたりまえの事すぎて、質問するのも愚かしいくらいのことだなあ。
金剛杖は、もともとは天竺の壇特山(だんとくせん)という山にいた仙人である阿羅々仙人(あららせんにん)がお持ちになっていた霊力のある杖であって、胎蔵界、金剛界の功徳を内包している。

釈尊(しゃくそん)、いまだ、矍曇沙禰(ぐどんしゃみ)と申せしおり、阿羅々仙人に給仕して苦行したまい、やや、功積もり、
仙人、その信力強勢(しんりき ごうせい)を感じ、矍曇沙禰を改め、照普比丘(しょうふ びく)と、名づけたり。

>釈迦様は悟りを開くために出家して壇特山に行ったのだが、その時期、まだ矍曇沙禰(ぐどんしゃみ)と名乗っていらしたころ、阿羅々仙人につき従って苦行をなさい、
だんだん修行の功がつもり、
そのとき、阿羅々仙人は釈迦の信念の力がとても強いのに感心して、矍曇沙禰という名前を改めて照普比丘(しょうふ びく)と名づけた。
このように阿羅々仙人と仏教とは非常に関係が深いのである。

富樫: してまた修験に伝わりしは。
>そしてまた、その杖が修験道に伝わったのはなぜなのか

弁慶: 阿羅々仙より照普比丘へ伝わる金剛杖、かかる霊杖(れいじょう)なれば、わが宗祖(しゅうそ)役の小角(えんのしょうかく)、これを持って山野(さんや)を跋渉(ばっしょう)し、これより世々に、これを伝う(つとう)。
>阿羅々仙人より照普比丘(釈迦)に伝わったこの金剛杖は、このような神聖な力のある杖なので、我々の修験道の宗祖である役の小角(えんのしょうかく)(えんのおづの)がその杖を持って山野の道なき道を歩き回った。そしてそれから代々の修験僧たちにこの杖を伝えているのだ。

富樫: 仏門にありながら帯せし太刀は、ただ、もの脅さん料(りょう)なるや、まことに害せん料なるや
>仏教を修行する身であり、殺生を禁じられているはずなのに腰に帯びているその太刀は、ただ、相手を脅して危険を回避するためのものなのか、それとも本当に相手を傷つけるためのものなのか。

弁慶: これぞ案山子の弓矢(かかしの ゆみや)に似たれど、脅しに佩く(はく)の料ならず。
仏法、王法に害をなす、悪獣毒蛇は言うにおよばず。例わば、人間なればとて、世をさまたげ、仏法、王法に敵する悪徒は、一殺多生(いっせつたしょう)の理によって、ただちに、斬って捨つるべし。

>殺生を禁じられているのだから剣を持っても意味がないはずで、これこそ動けないカカシが弓矢を持っているのに似ているが、この剣は相手を脅して身を守るためのものではない。
仏が作った仏法や、王(帝)の作ったこの社会の法を守らずこの世に害をなすものであれば、害獣や毒蛇は言うまでもなく(この剣で斬り殺すが)、例えばそれが人間であったとしても、世の中の妨げになり、仏法や王法に対立する悪人たちは、一人殺すことで大勢を生かすことができるという道理によって、すぐさま斬って捨てるつもりである。

富樫: 目にさえぎり、形あるものは、斬り給うべきが、もし無形(むぎょう)の陰鬼(いんき)陽魔(ようま)、仏法、王法に障碍(しょうげ)をなさば、
何をもって、斬り給うや。

>視界を遮るような、実体のあるものはお斬りになることができるだろうが、もしも形のない、死者の霊や攻撃的な魔物が仏法や王法を邪魔することがあったら、
それらは何を使ってお斬りになるのだろうか。

「陽魔」は「陰」に対して「陽」出しただけで、「妖魔」の意味でいいとは思うのですが、一応「陽」の「魔」になるように訳しました…。

弁慶: 無形の陰鬼、陽魔、亡霊は、九字真言(くじしんごん)を持って、これを切断(せったん)せんに、
何の難きことや、あらむ。

>形のない陰鬼、陽魔、亡霊は、「九字真言(くじしんごん)」を使ってこれを切って断つとすれば
それは何か難しいことであろうか(簡単なことだ)。

富樫: してまた、山伏の、いでたちは。
>そしてまた、山伏の独特のその装束はどういう意味合いがあるのか。

山伏の装束と持ち物は全て決まっており、「山伏十六道具」などと言われます。ひとつひとつに意味があります。
高尾山のサイトが写真入りでわかりやすいので、リンク貼っておきます。
http://www.takaosan.or.jp/syugen_dougu.html


弁慶: すなわち、その身を 不動明王の尊形(そんぎょう)に象る(かたどる)なり。
>つまりそれは、その姿を不動明王のありがたい姿に似せているのである。

富樫: 額に戴く、兜巾(ときん)は、いかに
>額に載せている帽子である「兜巾」にはどんな意味があるのか。

弁慶: これぞ、五知(ごち)の宝冠にて、十二因縁(じゅうに いんねん)の、ひだを取って、これを戴く。
>これこそ、仏の五つの智(詳細割愛)をあらわすりっぱな冠にも匹敵するもので、人の輪廻のありさまを表現する「十二因縁」を意味するように十二のひだを取ってこの兜巾を作り、頭に載せるのである。

富樫: かけたる、袈裟は。
>肩にかけている袈裟は何を意味するのか。

弁慶: 九会(くえ)曼荼羅(まんだら)の、柿の篠懸(すずかけ)。
>修験道の世界を構成する金剛界、胎蔵界の中で、大日如来の智をあらわす金剛界は9つの世界に分けられる。
その9つの世界を現す「金剛曼荼羅(こんごうまんだら)」、別名、「九会曼荼羅」を象徴する柿色(赤)の篠懸なのだ。

実際に舞台で弁慶が着ているのは黒の篠懸です。初演では太い縞の篠懸でした。セリフでは一般的な山伏の装束の話をしています。

富樫: 足にまといし、はばき は、いかに
>足にまとっているはばき(脚半みたいなもの)はどういうものなのだ。

弁慶: 胎蔵黒色(たいぞう こくしき)の、はばきと、称す。
>大日如来の慈悲をあらわす胎蔵界を象徴する黒い色のはばきと言っている。

富樫: してまた、八つ(やつ)の草鞋(わらんず)は。
>そしてまた、八つ目(結び目が8こある)草鞋は(どうであろうか)。

弁慶: 八葉(はちよう)の蓮華(れんげ)を踏むの心なり。
>極楽にあるという、八枚の葉のある蓮華を踏み、極楽浄土に立っているという心である。

富樫: いで入る、息は。
>吐き出し、吸い込む、息は何であろうか。

弁慶: 阿吽(あうん)の、二字。
>万物の発生と帰着をあらわす、阿吽の二字である。

富樫: そもそも、九字真言とは、いかなる儀にや。
ことのついでに、問い申さん。ささ、何と、何と。

>そもそも修験者がとなえる九字真言とは、どのような意味があるのであろうか。
いろいろ尋ね申し上げた、そのついでに問い申しあげよう。さあさあ、答えはどうなのか、どうなのか。

弁慶: 九字の大事は、深秘(じんぴ)にして、語り難きことなれども、疑念をはらさん、そのために、説き聞かせ申すべし。
>九字真言の意味という大きな問題は、修行を極めたものだけに語られる深い秘密であって軽々しくは語りにくいことであるのだが、
我々がニセ山伏ではないかという疑念を晴らそうという、そのために説明してお聞かせ申しあげよう。

以降「九字真言」の説明です。
「九字真言」は、もともと修験道だけのものではないようです。
「真言」はサンスクリット語の発音のままのお経の文句です。インドから中国に伝わりました。まず道教(仙人が学ぶあれ)で使われ、日本では陰陽道などでも使い、修験道、後には忍者も使いました。NINJA!!
戦前くらいまでは九字真言を信じていた役者さんも多く、舞台に出る前に九字を切って出たりなさっていたようです。


それ、九字真言と言っぱ、臨(りん)兵(びょう)闘(とう)者(しゃ)皆(かい)陣(じん)列(れつ)在(ざい)前(ぜん)の、九字なり。
まさに切らんと、なすときは、まず、正しく立って、歯を叩くこと、三十六度(さんじゅうりくど)。次に、右の大指をもって、四縦(しじゅう)をえがき、のちに、五横(ごおう)を書く。

>それその、九字真言というのは、つまり「臨(りん)兵(びょう)闘(とう)者(しゃ)皆(かい)陣(じん)列(れつ)在(ざい)前(ぜん)」の九文字である。
まさに今、九字を切ろうとするときは、まず正しい姿勢で立って歯と歯を叩き合わせること36回。
次に右の親指を使って縦に4本線をえがき、そのあと5本、縦の線をえがく。

貝原益軒の「養生訓」に、歯の手入れを説明した部分があります。
水か茶でていねいにうがいをする、塩で歯と歯茎をマッサージする、の他に、日に何度か歯を36回叩き合わせよとあります。実際に歯にいいのです。興味深いことです。


そのとき、急々如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)と、呪するときは、
あらゆる五陰鬼(ごいんき)、煩悩鬼(ぼんのうき)、まった、悪魔、外道、死霊、生霊、たちどころに滅ぶること、霜に煮え湯を、注ぐがごとし。
げに、元本(がんぽん)の無明を斬るの、大利剣(だいりけん)。莫耶が剣(ばくやが つるぎ)も、なんぞ、如かん(しかん)。

>そして九字真言をとなえ、そのとき「急々如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)」という呪文を唱えるときは(これは「今すぐに、国家の法律のごとく厳しくせよ」という意味の呪文で魔物を退散させるものであるのだが)、
九字真言の効果によって、あらゆる死者の霊、煩悩に取り付かれた鬼、また、仏法に対立する魔物、邪教の魔物、死霊、生霊、全てがあっと言う間に滅びることは、霜に熱い煮え湯を注ぐと溶けてしまうようなものである。
まったくもって、それらの鬼たちの大元である無知や煩悩を切って悟りを開かせ、成仏させるというすばらしい剣である。中国の故事にある名剣である莫耶の剣も、この九字真言という剣に比べたらどうして、これに勝ることはあるであろうか、いや九字真言のほうが上である。

まだこの上にも、修験の道、疑いあらば、尋ねに応じ、答え申さん。が、その道、広大、無量なり。
肝(きも)に彫り付け(えりつけ)、人にな語りそ。あなかしこ、あなかしこ。
大日本(だいにっぽん)の神祇(じんぎ)、諸仏菩薩(しょぶつぼさつ)も照覧(しょうらん)あれ。百拝稽首(ひゃっぱい けいしゅ)、かしこみかしこみ、つつしんで申すと云々(うんぬん)、かくの通り。

>このように全て説明し申し上げたが、まだこの上にも自分たちが本物であるかどうか疑いがあるのなら、質問に応じてお答え申し上げよう。
だが、その修験道の道は広大で無限大である。語りつくせるようなものではない。
お教えした内容は、肝に彫りつけてしっかり覚え、しかし軽々しく人に語る内容ではないので自分の内に秘めて人には決して語るな。ああ畏れ多い、ああ恐れ多い。
大日本の天つ神と地の祇(かみ)、そして諸仏菩薩もわたくしの言動に嘘偽りがないことをご覧あれ。
百度拝み、頭を下げて、畏れながら畏れながら謹んで申し上げるということは、以上の通りである。

唄: 感心してぞ、見えにける。
>りっぱな答えに、関守の富樫は関心した様子に見えたのであった。

以上が「山伏問答」です。
これは、富樫が、弁慶の修験僧としての専門知識を試すために色々質問している、という図式で見ても意味は通じますし、とくに問題もないのですが、
修験道の修行の一環として「山伏問答」というものが存在します。
数十もの想定問答があらかじめ存在し、双方がそれを丸暗記して、
ランダムに出題→回答を繰り返すことで、修行の完成度を確認します。
「山伏問答」は修験道の護摩(修験道の儀式)の儀式のパフォーマンスの一環としては江戸時代も有名でしたので、
七代目団十郎が能の「安宅」をもとに「勧進帳」を作ったときに、
彼のアイデアで「山伏問答」を取り入れたのです。
「山伏問答」は現代も行われており、WEB動画などでも見ることができます。

=全訳3=
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