歌舞伎見物のお供

歌舞伎の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「伊勢音頭恋寝刃」 いせおんど こいのねたば

2008年10月29日 | 歌舞伎
「伊勢音頭恋寝刃」 いせおんど こいのねたば
夏らしいですね。舞台面も夏らしい雰囲気なので、暑いかんじで見て下さい。
これも長いお芝居の一部分です。普通ここ「油屋」の幕しか出ません。
「伊勢」も「伊勢神宮」も、今は大人気な観光スポットというわけではないですが、江戸時代、「伊勢参り」への人々の熱意はたいへんなものでした、伊勢は「伊勢参り」の客で大繁盛していた、巨大観光都市だったのです。
舞台になる「油屋」は、伊勢の古市の街に明治まで実在した、とても大きい遊郭の名前ですよ。キレイな遊女もたくさんいました。

作品は、一応「お家騒動もの」のジャンルに入りますが、悪人方の陰謀の詳しい事情はあまり気にしなくていいです。
ええほうと悪い方とで家宝の名刀、「青江下坂(あおい しもさか)」と、その鑑定書(折紙(おりかみ)と言っているのがそれ)を奪い合っているということだけ押さえておいてください。
ええほうの中心人物が、主人公の「福岡 貢(ふくおか みつぎ)」です。

若殿、ていうか家老の息子さんがはじめにチラっと出ます。今田万次郎くん、頼りないお兄ちゃん、青江下坂を捜して伊勢に来ました。
なのに遊女のお岸に入れあげてせっかく手に入れた大事な刀を質入れするし。ダメじゃん。
この人のために昔の家来である主人公、伊勢の御師(おんし)である福岡貢はがんばるのです。
「御師」の説明は長いので下の方ににまとめました。

あとは、貢の恋人のお紺ちゃん、昔の家来で今は油屋の料理人をしている喜助、
そして貢を苛める役の、油屋の仲居さん、万野(まんの)あたりが主な登場人物です。あと悪役のかたがた。

・完全な通し上演はまずないといっていいと思いますが、
「間の山(あいのやま)」
ぼっちゃんの万次郎くんが折紙をだまし取られる
→「おっかけ」
暗闇で悪人たちと追っかけっこしながらいろいろ落としたり拾ったり
→「二見浦(ふたみがうら)」
「おかっけ」の続き。拾った悪人方の陰謀が書かれた密書を、昇る朝日の光で貢が読む、様式美に富んだかっこいいシーン
→「太々講」
チャリ場(笑わせる場面)です。「太々講」というのは、伊勢の神様にお神楽を上げる小イベントです、大金が必要です。
もともとは伊勢参宮してお神楽を上げる費用を町内とかで積み立てる、その積み立て行為を「太々講」と言ったのですが、だんだんと、お神楽そのものを「太々講」と言うようになりました(余談)。
ここは二枚目の福岡貢が、コミカルな演技をするところです
→「油屋」と出すことがあります。

で、「油屋」の幕です。
探している「折紙(おりかみ)」のために主人公福岡貢の恋人である遊女のお紺が大勢の前で貢にココロにもない愛想尽かし、という歌舞伎では定番のシーンが前半の見せ場ですが、
現行上演、前後関係の説明がイマイチ不足しているので、セリフを全部聞き取れないと何でお紺がこんな事するのかよくわからないかもそれません。
お紺が心変わりしたと思わせている客はお家騒動の悪役、徳島岩次たちです。
彼らが持っている「折紙(おりかみ)」を手に入れるためにお紺は岩次を油断させようとしているのです。
さらにお紺はふたりいる客のどっちがエライ方か(折紙持っているほうか)見極めるためにカマかけたりと、いろいろがんばるのに
福岡貢にぜんぜん分かってもらえないかわいそうな役ですよ。

まあ、大きいストーリー的には、主人公は探している刀はゲットして持っていて、鑑定書(折紙)を探している。
という点を押さえておいて下さい。

あと、途中で刀が入れ替わったりしますが、これは見ていればわかります。

で、実際はもっと下世話な、福岡貢が店の「つけ」を払わなくて仲居の万野(まんの)とモメてる問題とか、他の遊女をだまして金を借りて返さない問題(貢を陥れるためのでっちあげ)とか中心でハナシは進みます。
そっちはまあわかりやすいので普通に見て下さい。


いろいろあって万野とモメているうちに刀の鞘がこわれて福岡貢はイジワルな仲居の万野さんを斬ってしまいます。

と、ここで場面が変わって「伊勢音頭」の「総踊り」がはじまります。

このお芝居は全体として「伊勢観光芝居」になっており、全段通すと伊勢参り=伊勢観光の有名スポットが全て入っています。
伊勢の豪華な遊郭での、遊女たちの「総踊り」は伊勢観光の目玉だったのです。
大きい遊郭はそれぞれ「総踊り」用の巨大な座敷を持っていましたよ。
大きい遊郭だと数十人の遊女がいるわけですが、それが全員、その広い座敷を取り囲むように輪になっていっせいに踊るのです。
一両(たしか)出すと見せてもらえるのですが、他の客のお座敷に出ている遊女もそのたびに踊りに駆り出されるので座敷の客はたまったもんではなかったようです。ゆっくり女郎も口説けやしねえ。
というかんじで、すでにはじまっている殺戮事件と対照的なかんじで、美しい総踊りの様子がここに挿入されていますよ。

とはいえ、伊勢音頭はそれ以外の「音頭」の原型になったような古い踊りですので、振り付けも節回しも、見てただけばわかりますがジミなものですよ。

でもって最後の見せ場、福岡貢が血まみれで悪人達を全員皆殺し、という
夏芝居らしい納涼スプラッタな場面をお楽しみください。

最後、貢の味方、料理人の喜助どんが出てきて「あんたが持ってるのが探してる青江下坂ですよ」となり(暗いので気付かなかった)、折紙(おりかみ)も手には入ってお家再興間違いなし、めでたしめでたし、で終わります。
お紺ちゃんはがんばって折紙をゲットした甲斐あって、貢と見つめ合ってハッピーエンドです。
いわゆる「縁切り狂言」というジャンルの中で、これはたいへんめずらしい例になります。

そして、この「油屋」の幕では主人公の「福岡貢(ふくおか みつぎ)」、えんえんと苛められているので、こんなやつだと思われてしまいますが、
実際にはもっとマジメで頼れるいい男です。ということをちょっと覚えておいてあげよう。

まあようするに「夏芝居」なので、派手ならいいんです。
最近妙に仲居の万野(お家騒動には関係ないが、福岡貢をいじめる悪役)あたりの心理描写に凝った舞台が多く、舞台の視点がぼけまくりです。
ていうか暑苦しいよ夏なのに、やめれ。
あっさり、あざとく、派手に、やっていただきたいお芝居です。
梅玉さんの襲名の時、歌右衛門さんが万野で出ましたよ。
もう、性格悪そうにブツブツ言ってるかんじがムチャクチャ存在感あって、
でもちゃんとお紺や福岡貢をひきたてていて、絶品でしたよ。ああいうのがみたいものです。主役面すんな。

さて、このお芝居は細かく言うと、主人公福岡貢の「御師」(おんし)という特殊な職業がハナシをややこしくしています。なので説明。
「御師」というのは、伊勢にいる、というか伊勢以外にも大きい神社にはいたのですが、神社付きの下級神官みたいな職業です。
伊勢のが有名で、役割も多彩です。
大きい、全国的に有名な神社には、当時のヒトビトは一度は参拝したかったのです。これはまあ、信仰心もあったのですが、物見遊山も半分でした。
町中の神社仏閣も参道や境内に小屋や屋台が並び、にぎわっていましたしね。
神社仏閣への参拝は、それ自体が娯楽であったと言っていいと思います。(お祈りすることで気持ちが落ち着く、という本来の目的も含めて)。
で、遠くへの参拝はお金がかかるので町内とかで「講」を作ってお金を出し合い、「くじ」で当たったヒトがおまいりに行きましたよ。
こういうのを仕切って旅行全般から宿泊、参拝、参拝後の精進落としの宴会(むしろこっちメイン)のメンドウまで見たのが、伊勢の「御師」です。
豪華フルオプションのパックツアーみたいなもんです。

「御師」はふだんから江戸や京阪に出張して暦やお札などのグッズを配ってあざとく営業していました。たいへんだ。ってこれはお芝居には関係ないです。
あと、伊勢神宮は外宮までしか見られない格式高い神社ですので、正しい意味での「参拝」はできません。
御師たちが神様にお祈りしたりしたいヒトのために「太々講」(だいだいこう)という神事を代行します。
このとき祝詞とかを上げるのも全て「御師」の役目でした。旅行代理店営業、兼、ツアコン、兼、神官です。神聖かつ俗物。
しかも福岡貢は「もと武士」という設定なのでますます複雑な印象ですよ。まあええ男だからなんでもよしですが。

ということで、「御師」なしに伊勢の宿屋や遊郭はたいへん商売がしにくいのです。御師さまさまです。
でもだからって御師にタダ酒飲ませる義理はないのです。
御師的には「ちょっとくらいいいじゃんツケといて」ですし、遊郭側は「ええかげんにせい」です。
そこらへんの福岡貢と、仲居の万野さんとのビミョウな認識の食い違いが積み重なって、ハナシがややこしくなっていったのです。

・伊勢は、今はそんなに大きい観光地ではありませんが、当時は芝居小屋が3つもあったたいへん大きな街でした。
「手前味噌」という本に江戸から来た、ゼイタクに慣れた大物の役者さんたちが、その宿屋の宴会設備の豪華さにとても驚いたという記述があります。
実物大の船を座敷に運び込んで、そこにお魚や海老がたくさん乗っていてキレイなお姉さんが皿に取ってくれるんだけど、
ちょっと見、まるまるの生魚なのに、皮を取ったら中味は切ってある焼き魚だったりお作りだったり、蒸してあったりと、凝った料理方法。
あと、そろいの台や器のりっぱなのが何百組もあったりとか。「江戸にもこんなのない」と書いてあります。
お芝居の舞台「油屋」も、そういう大きな遊郭のひとつです。というわけで書き割りの背景セットもたいへん豪華です。チェック。
ひなびた地方旅館じゃありませんよ。遊女も一流ですよ。
チナミに「近世風俗誌」に「諸国遊所見立番付」が乗っており、
大関=大阪新町と江戸吉原(横綱というのは当時ない)なんかと並んで、伊勢の古市は前頭6枚目です(ムダ知識)。
そういう豪華で華やかな場所が舞台です。
後半に出てくる「伊勢音頭」の総踊りも、何十畳もあるお座敷での大がかりで華やかなものだと思って見てくださいね。

とはいえ、江戸でも京阪でも人気狂言だったこの「伊勢音頭」、伊勢で実際に起きた大量殺人事件がモデルなので伊勢では長く上演されなかったみたいですよ(笑)。

・刀の名前の「青江下坂(あおい しもさか)」ですが、「あおえ」ではなく「あおい」と読みますよ。
もともと福井の刀工の下坂市之丞というかたが非常な名工で、家康から葵の紋の使用を許されました。
そのかたが作った刀ということです。このお芝居の他に「敵討ち襤褸錦(かたきうち つづれのにしき)」ってお芝居にもこの名前の刀が出てきます。
というわけで正しくは「葵下坂」なのですが、「青江下坂」と言うのがお芝居では完全に定着しています。意識的にお上をはばかって変えたのか完全に誤用なのかは不明です。

・「 寝刃(ねたば)」というのは、使っていないので切れ味の鈍った刀のことです。使っていない刀をいつでも使えるように研いでおくのを「寝刃を合わせておく」というかんじに使います。で、これは「裏で悪巧みをする」という意味もあります。
で、忠臣蔵二段目に「早寝刃(はやねたば)」という言葉が出てくるように、
「寝刃」という言葉だけで「寝刃をあわせる」という意味にも使います。今回はそっちの意味です。
もちろん、直前の「恋」に関連して色っぽい意味も持ちますよ。


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