斬剣次郎の鉄道・バス斬り

 拙者、斬剣次郎である。たった今から、鉄道・バスを斬る

帝産バスの京都乗り入れについて

2009年11月15日 13時31分02秒 | バス
 先日、帝産バスの信楽線の改編について記事を書いたところ、コメントにおいて京都乗り入れについて話がありましたので、改めて話題を立ち上げます。

 拙者にしてみれば、信楽線の京都乗り入れについて実際に見て実際に乗った記憶はありません。しかし、幕の回転中を見て京都乗り入れがあったということは存じていました。
 で、京都方面行きの幕は今でも残っていて、バスが幕を回転するときに時々出てきます。上の写真は回転中にあらわれてきたのをたまたま撮影したものなので、不明確ですが・・・。表示には
 京都三条大橋・三条京阪
 となっています。つまり、三条京阪を起終点としていたようです。更に三条大橋の表記があるので、三条大橋を渡っていたようです。ただ、調べてみるとバスターミナルではなく、道路上に停留所を設けていたことがわかっているので、三条大橋としたのかもしれません。コメントの中に河原町御池という話があったのですが、河原町御池と三条京阪は近いのですが、河原町御池や河原町烏丸を起終点としていたという話もあるようです。因みに経由表示は石山駅、市民病院、山科と書かれています。


 三条京阪始発信楽行きの幕です。通常の基本的に10系統の幕と同じですが、経由表示が少々違います。石山駅始発は建部大社、平野、信楽駅と表示されていますが、三条京阪始発は石山駅、瀬田唐橋、建部大社と書かれています。
 ただ、1994年か1995年だったと思うのですが、帝産バスの系統番号改編があり、10系統となったわけですが(改編前は3系統だった)、いつ廃止されたのかは情報を持ち合わせていないのでわかりませんが、少なくとも1990年代末期には廃止されたようです。


 ところで、帝産バスの京都乗り入れが廃止された後も大津市民病院に時刻表が
 現存
 しているのです。撮影時期も2009年です。写真は信楽方面ですが、日曜日のみ信楽行きが1本運行されていることが書かれています。で、改正の日付を見ると、平成7年4月10日。つまり、14年前ですね・・・。


 大津市民病院の大津駅方面にも別の時刻表が残っています。行先には
 京都三条大橋
 となっています。日曜日のみ2本運行されていることがわかります。ということは末期は1日3本ということになりますね。
 路線図にも昔のままで残っていて、京都乗り入れも表示されたままです。路線図から帝産バスは大津駅と浜大津には乗り入れず、国道1号線をそのまま通って京都に乗り入れていたことがわかります。

 以上のことから、帝産バスは信楽~京都の力を入れていたことが分かり、12月の信楽線改編を見ると路線の凋落ぶりが伺えます・・・。

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16 コメント

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Unknown (S)
2009-11-15 23:08:58
京阪バスの山科19系の運行に近いようですね。四条河原町が終点ですが、山科行きの京阪三条で時間調整をするケースが多いようです。

ところで、あるサイトによると信楽の帝産の案内所には京都三条大橋行きバス乗り場という表示があったそうで、京都乗り入れ廃止後もしばらく残っていたそうです。
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Unknown (K2)
2009-11-16 13:40:52
おはようございます。ひょっとして私のコメントでお騒がせしましたでしょうか。90年代半ばに大津・石山の実家をでて後半には関西を出ていましたので、三条大橋行になっていたのはまったく知りませんでした。
私が河原町御池行に乗った時はまだ、系統番号はなかったです。帝産バスにとって京都まで路線が通じていることはある種のステータスだったと思います。それが許されないほど経営環境が悪化したということですね。でも石山⇔信楽系統までなくなるとは思っていませんでした。
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Unknown (あ~る)
2009-11-16 19:15:02
終点が河原町御池から三条大橋に変わったのは、地下鉄工事の絡みがあったと思います。

三条大橋降車用のバス停は、川端三条交差点すぐ北の川端通にあるバスレーンです。乗車用バス停はどこにあったか、ちょっと覚えがないのですが…。

石山←→信楽系統が減便されるのはちょっとショックです。
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Unknown (斬剣次郎)
2009-11-16 23:12:31
 S様
 コメントありがとうございます。

 19号経路はおっしゃる通り三条京阪で時間調整します。しかも、2回通ります・・・。
 信楽案内所ですが、三条大橋の表示が残っていたとは初耳です。でも、今の信楽案内所はプレハブの建物になっています・・・。
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Unknown (斬剣次郎)
2009-11-16 23:17:16
 K2様
 コメントありがとうございます。

 確かに帝産バスも昔は系統番号ありませんでしたね。信楽線に系統番号が付いた時は3系統で、系統番号再編成時に10系統と変遷しています。
 最近、信楽に高速道路が通じるなど道路環境が良くなったのも原因の一つです。JRバスも撤退してしまったほどですから・・・。
 尚、石山駅~信楽は無くなりません。2往復だけ残りますよ。でも、朝夕のみなので実質的に役目を終えてしまったと言ってもよさそうかな・・・。
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Unknown (斬剣次郎)
2009-11-16 23:21:21
 あ~る様
 コメントありがとうございます。

 三条大橋バス停の情報ありがとうございます。川端三条の交差点のすぐ北ですね・・・。三条通から交差点で北のほうに曲がってすぐに降車扱いという流れなんですね。さらに北へ行くと、御池通に出られるので、烏丸御池と河原町御池が終点だった時代はこのようなルートで行っていたのでしょうね。
 信楽線の減便は仕方がないのですが、心配していた210系統の石山駅~牧口は2往復程度の減便のみでほぼ現状のままのようで、なんとなくホッとしたような・・・。
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Unknown (S)
2009-11-19 21:08:09
http://www1.ocn.ne.jp/~rakusai/bus/aomori/aomori0106.html

ちなみに上が某所です。
そこによると1997年頃まで京都に乗り入れていたようですね。
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Unknown (あ~る)
2009-11-19 22:20:50
お邪魔します。
「S」さんのコメントにある某所の写真は、旧の信楽停留所ですね。
信楽の停留所は今の信楽栄町のバス停横にある広大な駐車場がそうです。

いつの間にか信楽駅前乗り入れ&信楽案内所まで延長してたんですね。
はじめて見た時はびっくりしました。
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Unknown (斬剣次郎)
2009-11-19 23:21:36
S様
 コメントありがとうございます。

 写真を見ましたが、昔日が偲ばれる建物ですね・・・。信楽で京都行の案内を見かけるだけでも壮大に感じたのでしょうね・・・。因みに拙者が信楽線を初めて乗ったのが1997年ですが、旧信楽バス停で下車した記憶があります。建物に京都を見た記憶はありませんでしたが、バス停の奥にはちょっとした車庫になっていて、何台かのバスが止まっていました。更にナンバーを外されたブルドッグが数台留置されていたのを見ています。
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Unknown (斬剣次郎)
2009-11-19 23:25:28
 あ~る様
 コメントありがとうございます。

 信楽線は確かに最近になって信楽案内所へ延長されていますが、信楽案内所と言ってもプレハブの建物と回転場があるだけの物足りない終点になってしまいましたね。ただ、信楽案内所延長後に1回行ったのですが、信楽案内所に1台のバスが留置されていました。
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