ウラとオモテの日記

私が見た裏と表の話を紹介する。今話題のニュースよりもあまり取り上げることの少ないニュースに注目します。

近況紳助

2017年04月03日 23時14分30秒 | ニュースあれこれ

かつて芸能界で活躍してきた人も、引退したら近況を聞くのも難しくなりました。そんな中、島田紳助さんのことがサンスポが報じています。今日放送のミヤネ屋の中で井上公造さんが話していたそうで、紳助さんに「芸能界への復帰があるのかないのか教えてください」と取材を申し込むと「公造さんの取材やったらええよ」と快諾、紳助さんは最近、ゴルフ週2回以上、筋トレ週3〜4回、草野球1か月2回といった生活をしていると明かしたそうで、その理由を紳助さんは「老いを防ぐため」と説明しているそうです。司会の宮根誠司さんも「あるところで紳助さんの肉体を見せていただいた。すごく鍛えられていてちょっとしたレスラーみたい」と証言、ゴルフは70台で回ると井上さんも明かし、充実した生活ぶりだそうです。紳助さんは現在の自分について「自分で言うのもなんですが自由な旅人です」と表現、“紳助流旅の3カ条”とし、①行き先は国内外問わず、②思い立ったらすぐ出発、③旅の終わりは決めない、と時間や場所に縛られない“自由な旅人”として生きているそうで、井上さんは「沖縄は今は引き払っている。(行きたい場所へ)行きたい時に、奥さんや友人を伴って行く」と、まさにこの3か条の生活を送っていると明かしたそうです。
 さらに井上さんは先月、紳助さんの誕生日会に出席しその際のエピソードも披露「(午後)7時集合で朝方4時くらいまで。60人位、友人ばかり。そのうち4時間くらいは紳助さんがマイクを持っていた。芸人さんが1人もいないのはわかる。引退した人のほうが面白ったら嫌になる。全部アドリブで爆笑を取る」とかつて漫才師、名司会者として名を馳せた“しゃべり”は衰えていなかったと語ったそうです。最後に、紳助さんは芸能界への復帰について
「絶対にありません。なぜなら仕事をする理由が見つからないからです。今、僕が40歳なら戻っていたと思います。18歳で芸人になってから幸せなことに55歳まで走り続けることができました。この間、芸能界で出来ることは全てやりつくしまし。引退後に『本を書きませんか?』というオファーをいただいたことがあり、一度は筆を取ろうと思いましたが、面倒になって結局お断りさせていただいたことがありました。今、大切なものは家族と友人だけです。引退して何がよかったか?それは感謝の気持ちを持てるようになったことです」
と現在の心境も明かされたそうです。自伝書のオファーを断るくらい未練はないということでしょうが、もし今も芸能界にいたら、どういう風にニュースなどを切っていたのかと思うと、もったいない引退だったのではないかともいえそうです。でもまたいろいろ話してください。
https://news.goo.ne.jp/article/sanspo/entertainment/sanspo-geo1704030030.html

 来年のピョンチャンオリンピックへ向けての準備が進む中、かつてのフィギュア選手だったキムヨナさんが2月に行われたアジア大会で優勝したチェ・ダビン選手にメールを送ったとRecord Chinaが伝えました。韓国・日刊スポーツによると、チェ選手は世界フィギュアスケート選手権で総合順位10位を記録し、1人で平昌五輪の出場枠2つを獲得したそうです。チェ選手は「ショートプログラムを終えるまでは出場権一つを目標にしていたが、二つ獲得できて満足している。今シーズンは最初の大会で良くない結果を残し、つらくて苦しかった。良い結果で終えることができてうれしい」と感想を述べたそうです。キムヨナ選手からは「一体これはどういうこと?韓国は大騒ぎよ!おめでとう」と書かれていたそうです。このことにネットでは
「やっぱりキム・ヨナは頼もしい」
「心から後輩の活躍を願っているようだ」
「キム・ヨナは演技だけでなく心も美しい」
「新たな女王になれ!」
「早くもキム・ヨナジュニアが頭角を現し始めた。とてもうれしい」
「キム・ヨナのせいで韓国国民の目が厳しくなっていた。チェ・ダビンほどの演技なら称賛を受けるにふさわしい」
とあったそうです。写真がないのが残念ですが、1人で2枠というのはかなりすごい記録となったわけで、日本女子でも3枠取れなかったことを考えたらすごいことです。枠を取ることは簡単なものではありませんが、地元としてメダル獲得が目標なだけに、ぜひ高いところを目指してください。
http://news.livedoor.com/article/detail/12885272/

 プロ野球が開幕しました。3連勝した球団、3連敗した球団、いろいろありますが、楽天に所属しているドラフト9位左腕・高梨雄平投手は昨日のオリックス戦(京セラドーム)でプロ初登板、1イニングを無安打無失点でデビューを飾り、チームの4点差逆転で開幕3連勝を呼び込む力投、上々の初登板となったとフルカウントが伝えました。記事によると、0-4で迎えた6回、濱矢投手に代わり、3番手で名前がコールされました。先頭の8番・若月選手をカウント2-2からスライダー遊ゴロに斬ると、続く駿太選手はスライダーで見逃し三振、安達選手に四球を出したが、西野選手を直球で遊ゴロに仕留めました。左のサイドからゆったりとした間で繰り出す変則フォームで、無安打無失点、20球で役割を全うしたそうです。
 昨年のドラフト会議で楽天から9位で指名され、会議開始から1時間半以上が経過し、全体で87人中、後ろから3番目でようやく名前を呼ばれたそうです。吉報を受け、チームの寮で喜びの記者会見を終えた後でした。和嶋監督から、こう告げられました。
「もし、来年も残っていたら、お前は野手だった」
早大3年春に東大戦で東京六大学史上3人目の完全試合を達成、しかし卒業後に進んだJX-ENEOSでは調子を落とし、社会人野球の名門の壁にぶち当たったそうです。最高峰の都市対抗では1年目はバット引き、2年目に至っては予選でベンチ入りすらできず、ネット裏からデータ用のビデオカメラを回すだけ、チームも敗れ本戦に出場できませんでした。「このままだったら、もう今年で“上がり”だろうな」。入れ替わりの激しい強豪、本気で引退を覚悟しました。活路を求めたのは昨年、夏前のサイドスロー転向でした。「骨を埋めるつもりでやる」とプロでは希少な左の横手なら生きる道もある、そう信じて肘の位置を下げたそうです。密かな挑戦の裏で、人知れず熱視線を注いでいたのが、楽天・後関スカウトでした。与えられた実戦の場は、オープン戦や小さな大会がほとんど、敗戦処理を託されていた時期もあります。それでも、24歳の才能に可能性を見いだし、視察に足を運びました。「プロに行けるなら何位でもいい」。社会人選手の、そして名門のJX-ENEOSとしては異例ともいえる“縛りなし”という本人の心意気をチームを通して伝え聞き、サイド転向からわずか3か月の左腕を9位指名に踏み切りました。高梨投手は当時を振り返りました。
「不確定要素しかない自分を拾ってくれて、社会人でクビになるところだった自分をプロに導いていただいた。もし、このまま社会人に残って引退して、会社員として生きて行っても、40歳、50歳になった時、きっと後悔すると思った。だから、9位であっても、チャンスを頂いた時に『行かない』という理由はなかったし、少しも迷いはなかった。小さい頃から夢だったプロへの道を作っていただいたのは、球団と後関さん。本当に感謝しています」
 「85番目の男」は指名後、フォーム固めに腐心しました。未完成のサイドスロー、年明けの新人合同自主トレまで必死に「投げるたびに毎日、変わってしまう」というフォームを矯正するため、ネットスローを続けました。スライダーにキレが出て、手応えをつかんだのは、2月の春季キャンプ直前、そこからオープン戦6試合で防御率1.42と結果を残し、あれよあれよと開幕1軍に入りました。早大時代、中村奨吾(現ロッテ)、重信慎之介(現巨人)選手らとともにリーグ戦に一塁でスタメン出場したこともあるほど、打撃センスは高かったそうです。だから「チーム残留なら野手転向」という方針もあながち、ない話でもなかったようで、しかし今は投手、そして、プロという道を与えてくれた楽天に報いることしか頭にありません。
「9位という順位でも活躍することを見せて、獲っていただいた恩返しがしたい。まずは勝ちパターンで『コイツでいこう』と思ってもらえるようになること。そして、今まで見てきた世界と全く違うプロという世界で、野球を楽しみ尽くしたい。自分は自分を信じてやっていくだけです」
昨年のドラフトで指名されるまで、社会人での投手として認められず相当苦労してきました。しかしスカウトは才能を認めて指名されたというのはプロとしても認められた瞬間でもあります。楽天での活躍を祈りつつ、ぜひ今度は勝利をつかんでください。
https://news.goo.ne.jp/article/fullcount/sports/fullcount-63816.html

 NHKは今日からが新編成の始まりです。朝昼夜と新キャスターが登場しましたが、中でも注目なのが「ごごナマ」です。船越英一郎さんが司会で、ゲストあり、料理ありと盛りだくさんですが、日刊スポーツによると、放送事故すれすれだったようです。初回のゲストは同日スタートした連続テレビ小説「ひよっこ」のヒロイン有村架純さんと、その父親役を演じる沢村一樹さんだったが、美保純さんは冒頭から「ごめんなさい、まだ観てないんですよ」とぶっちゃけ発言、船越さんから「そういうこと生放送だから言わないように」と慌ててたしなめられ、沢村さんからも「観てないんですか!?」と驚かれたそうです。美保さんのほかにも危なっかしい場面があったようで、沢村さんが自身の“得意料理”を紹介する際には、登場したのが各メーカーのインスタントラーメン。“料理”といいながらも、粉々に割っただけの乾麺を粉末スープにつけて食べるといったもので、沢村さんは「これ、生放送でやるようなことじゃないような気がするんですけど、大丈夫ですか?」と心配だったそうで、試食した共演者たちも微妙な表情を浮かべ、船越さんは「沢村くんにこのネタを披露することをOKしたヤツは誰だ! 1回目に台無しにするな」と笑いながらもスタッフにクレーム、沢村さんも「これ、ほぼ放送事故スレスレですもんね」と苦笑いを浮かべたそうです。インスタントラーメンの外袋に記載されているメーカー名は消されていたものの、取り出した粉末スープの袋に関しては処理されておらず、メーカー名が丸見え状態となってしまっていたとネット上の指摘もあったと記事にはありました。そして極めつけは番組後半、平野レミさんの料理コーナーで、斬新な料理や盛り付け知られる平野さんだが、今回披露した一つは半玉のキャベツを爪楊枝で大根に突き刺して立てるというものだそうで、過去にはブロッコリーを同じように立たせる盛り付けを披露して話題になったが、「今日は倒れませんからね」と自信満々に言う平野さんの姿に、ネット上では「レミさん相変わらず豪快料理だったw」「ブレないなぁレミさん…」「流石~レミさん!(笑)」「キャベツ立ってるんですけどぉおおおおおお!」と驚きの声があがったそうです。こんな調子で3時間やるとなったら、かなり大変なことになりそうですが、まだ始まったばかりです。私もビデオ録りました。一週間どんな展開か楽しみにしておきます。
http://news.livedoor.com/article/detail/12886445/

 最後は志村けんさんのお兄さんが東村山市役所を退職したそうで、その写真を市長がツイッターでアップしたとJ-CASTニュースが伝えました。市長は1日、ツイッターに「志村けんのお兄さんの志村知之さんが昨日をもって東村山市役所を完全にリタイアされることになりました」と投稿しました。志村知之さんは現在70歳、市長は「市役所を定年退職後も職場の後輩の要請に応えて臨時職員としてご尽力いただきました。淋しい限りですが、今後のご健康ご多幸をお祈りいたします。長年有難うございました」と労ったそうです。市長は同時に知之さんと自身の2ショット写真を掲載、スーツ姿の市長と、セーターにブルージーンズ、スニーカーというカジュアルファッションの志村さんとが、優しい笑顔で固い握手を交わす姿が収められているそうです。この写真が弟の志村けんさんに顔があまりにも似ているとして大きな注目を集めているそうです。J-CASTニュースの電話取材に対してお兄さんは弟の志村けんさんとは、「性格はちょっと違うかなとは思いますが、顔はよく似ていると言われますよ。私が兄ですが、髪の毛がある分、若く見られることが多いですかね」と笑って話したそうで、1969年から東村山市役所に勤め続け、最後は高齢介護課に所属していました。保険料を納めてもらうため、市民の住宅を一軒一軒回り、説明や相談に応じ続けたようで「市民との信頼関係を築かないとできない仕事だと思います」とし、所内でも「若い職員が多い中で私はもう70歳なので、話をするのに色々考えましたよ」と苦労を明かすそうです。市長も同じく取材で
「弟さんのようにギャグで周囲を笑わせるタイプではありませんでしたが、時々お茶目なところが見えて、気さくな方です。若い職員も含めて人望が厚く、定年後に『是非もう少し残ってほしい』という要望があって、臨時職員として勤めることになりました。公務員の鑑のような方だと思いますね。市民に近い立場の仕事は天職だったのかもしれません」
なるほど、公務員の鑑として働いてきたお兄さん、きっと弟とは違ってまじめで最後まで貫いたことでしょう。さすがに東村山音頭は歌わなかったほうかもしれません。人生まだまだこれからといいつつ、今日のウラオモはここまで。
http://news.livedoor.com/article/detail/12886922/