今年も8月6日がやってきた
あれから66年
今年もまた5歳のあの日に戻る
歳月を重ねても
あの日、あの瞬間が
今も鮮明に見えてくる
真っさおに晴れ渡った空
セミの声
かぼちゃ畑に立っている自分
ぴかっと光った
日陰も一瞬明るくなった
猛烈な風に周囲の物が飛んだ
ドーンと大きな音がした
隣のおばさんの背中にしがみついて
小さな橋をわたり50m先の防空壕へ
人がどんどん逃げてくる
その日から地獄絵を見続けた
海岸に流れ着く死体、死体・・
水を求めてくる焼けただれた人たち
5歳のあの瞬間から
自分も放射線を受け続け
汚染された魚や野菜や米を食べ
空気を身体いっぱい吸い浴び続けた
叔母も従妹も突然の白血病で亡くなった
母は原爆手帳を離さなかった
よく何もなくて生きてきたものだ
ご近所はみんな惨禍を受けたのに
わが家だけが無事だった
父はそれが辛かったようだった
当時のことを知る人は高齢化し
語り継ぐ人は少なくなった
しかし東電福島原発事故により
放射線の恐怖が日本を揺るがせている
未来のためにここは逃げてはいけない
8時15分、毎年恒例のテレビ前に座り
記念式典をみた
その光景は変わらない
3年前の8月6日に原爆慰霊碑にお祈りし
ドームや爆心地を訪ねて歩いたが
まだ目標の原爆慰霊碑めぐりはできていない
(2008.8.6ブログ広島)
http://blog.goo.ne.jp/yhyh1940/e/c7f6a2d3e262bfa25622d4cb68516b58
2000年から年に一度だけ更新しているHP
昨日からマツダスタジアムで
「ピースナイター2011」が始まった
兵器廃絶と恒久平和実現を訴えるイベントで
漫画「はだしのゲン」作者の中沢啓治さんが
始球式をしたそうで
今夜もカープ-ジャイアンツ戦が行われる
普段は真っ赤に染まる球場全体が
期の絵は緑でそまったそうだ
今日もそうだろう
広島市で8月6日、カープの試合開催は
長く行われてこなかった
やっと何十年振りかの開催だそうだ
カープは昭和25年に広島復興の灯りとして
親会社を持たない市民球団として設立された
弱小球団だったのに市民とともにあったので
つぶれることなく存在価値を発揮してきた
HIROSHIMAという球団名でなくて
企業チームであったら今頃は存在していなかった
RAKUTENも東北復興のシンボルとして
TOHOKUのユニフォームにしたらどうだろう
名前一つでファンの意識もちがうと思うのだが
余計なお世話かな
ヒロシマとフクシマとカタカナ書きをみた
66年を経て同じ環境に置かれた
イーグルスがんばってほしい。
自己流で年一度更新のヒロシマ原爆関連HP
http://www.human-dy.com/hirosima
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