昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

歴史に幕を引く・・・そごう心斎橋本店。

2009-08-31 23:09:23 | ひとりごと
そごう心斎橋本店が
今日で閉店になるというので
夕方、かけつけた

明治10年にそごう呉服店として開店して以来
心斎橋の老舗百貨店として親しまれてきた

2000年に経営不振でいったん閉店
2005年に建て替え復活したのに
わずか4年でとうとう売却に追い込まれた

11月から隣の大丸心斎橋店の新館として
再スタートするという

(左・そごう心斎橋本店-右・大丸心斎橋店)

地下鉄を上がると大丸とそごう
長く心斎橋商店街の顔として存在していたが
もう姿をみることはない

社会人としてスタートしたのが心斎橋で
そごうにもよくお世話になっただけに
さびしい
思い出に閉店セールで安くなっていた
カシミアのセーターを買った。

(最終日の買い物・領収書)



ふるさとの母のもとに。

2009-08-30 18:32:22 | 家族
朝、衆院選挙を済ませてから
母の初盆を遅ればせながら
済ませるため
ふるさと広島へ帰った

丘の上にある墓にお参りして
兄が予約してくれていた
海の見える店で昼食をした


話はいつものように
母と父のことばかり

いくつになっても
親は生きている

ふるさとでの滞在時間は
わずか2時間だったが
母のふところへ戻って
安らいだ気分だった。



新型インフルエンザ!

2009-08-29 23:37:23 | 健康
この冬、五人に一人、新型インフルエンザにかかるかも・・・
厚労省の発表でそんな予測が出ていた

昨日7人目の感染者から死亡者が出ている
それも高齢者が多い

病歴がある人とは言え油断はできない

あれだけ騒いだ5-6月にくらべて
いまマスクがけの人はほとんどみかけない

うがいに手洗いは励行しているが
これから流行期を迎える時期

最善の注意をはらいたい

観客のいない福島県の合唱コンクールのニュースをみて
とて他人事ではないと思った。

水木しげるワールド・ゲゲゲの鬼太郎さん訪ねて!

2009-08-28 23:01:31 | 電車・鉄道
27日、大山山麓での合宿を終えて米子駅へ
ついたのが15時50分

疲れをさほど感じていなかったので
よし、境港のゲゲゲの鬼太郎さんの町訪ねてみよう!
境港行きは16時30分、境港に17時14分着だ


駅の観光案内所へ寄ってパンフレットをもらい
ひとり作戦会議
見どころは「水木しげるロード」に絞って
今日中に大阪へ帰る時間を逆算すると
境港発18時16分で米子へ戻り
19時26分米子発の特急やくもに乗車しなければならない

境港での時間はたったの1時間
米子駅構内でそばを食べて腹ごしらえ

(米子駅構内の売店-ねずみ男売店)

0番ホームがねずみ男駅(米子駅)


沿線のすべての駅は妖怪名がついていて楽しい



各駅停車の境線で44分
境港駅につくといきなり妖怪さんの出迎え
目につくところは妖怪ばかり・・・




水木しげる先生執筆中のモニュメントからスタート


駅前から始まる水木しげるロードを急ぐ


通りの両側には妖怪のモニュメントが続く
商店街のすべての店、旅館、会社、郵便局等の
前にはさまざまな妖怪のモニュメントが立っている



これを一つずつ写真に撮っていたらきりがない
たくさんの妖怪が遊んでいる河童の泉



妖怪神社もある


これだけの妖怪さんもいるが
水木しげるさんがすべてを描いたのだろうか
それにしても大変な数だ

大正川には「目玉おやじ」と「ねずみ男」




パン屋さんのパンも妖怪ぱん!



水木しげる記念館に入る時間がないのでパス





ここで折り返し商店街の反対側を駅へ向かう











旅館も・・・





水木しげる顕影碑 なまけ者になりなさい






タクシーの運転手さんに断って撮らせてもらった


18時に駅へ戻ってこれてほっとした



22年からNHKの連続テレビ小説が始まるらしい



新大阪まで長い列車の旅が始まった
米子で乗換伯備線の特急で岡山へ
岡山から新幹線で新大阪へ

仕事場へよってメールのチェックをして
帰宅したのが23時半、さすがに疲れた。

最終日、休憩も惜しんで集中、無事に終了!

2009-08-27 20:28:20 | 輝いて生きる
3日目(27日)

6時に起床
天気がよさそうなので洗面を終えて
6時15分に朝日をみたくて
みるくの里をめざして下った

強風と言っていいくらいの強い風が
半そでには寒い
さすがに標高700mの大山山麓
まだうす暗さの残る坂道を下っていく


みるくの里には人影はなく自分ひとりだけ

眼下の米子の町や弓ヶ浜にはすでに陽が当たっていたが
大山の陰に隠れたこちらはまだ日の出がない

牧場で冷たい強い風に辛抱しながらじっと待つ
6時57分ついに日の出の瞬間がきた
大山の東の稜線の雲のまにまに太陽が顔を出した



場所を移動しながらしばらく日の出を楽しんで




7時45分に施設に戻った
女性の一人が追ってきたらしいが
自分の姿が見えなくて引き返したと聞いた
夕べのお別れ会の時
朝日を見に行くと言っていたので
早く起きて追ってきたという

女性はほんとにかわいい!

9時から12時までピッチをあげて
こちらの気持ちと受講生の気持ちが
一つになったと思った

珍しく黒板にチョークという講義室が
大変気に入って板書にも気持ちが入った


昼の時間も周辺の散策にあてた
少しでもすばらしい環境を楽しみたい
スタッフの一人がついてきたので
結局みるくの里近くまで下りて
昼ののんびりとした牧場の風景にくつろいだ


午後は15時で終了ということで
最後の2時間
こちらも受講生の14名も必死
伝え残しのないように
聞き残しのないように


無事に終えて
拍手に送られて部屋を出て行く時
代表者からプレゼントがあるといわれ

即席でつくられた用紙に
ポストイットに各自が書いた礼状が貼られていた
いつのまにそんなことをしてくれたのやら・・・


玄関で全員で記念撮影をし
見送られて車で米子駅へ送ってもらった

米子駅でかねがね行きたいと思っていた
境港の鬼太郎ロードを歩いてみたくて
観光案内所へ向かいパンフレットをもらって
行ってみることにした。

早いお別れ会?にうれしい驚き!

2009-08-26 23:23:56 | 輝いて生きる
2日目(26日)

早朝6時に起床して今日の準備をしたあと
7時から2人のスタッフと施設の周辺を散歩
快晴の空に流れる雲
大山も目の前にくっきりと見えて気持ちがいい
これなら明朝は朝日を見たい


9時から12時まで講義と討議がすすむ
夕べの懇親会のおかげで
講義室の雰囲気が一気に高まった

昼食をすませて1キロ下ったところにある
みるくの里へ車で全員ででかけた


眼下に広がる景勝の弓ヶ浜、島根半島に中海
周辺は牧場で牛がのんびりと遊んでいた




午後も順調にすすみ、熱心に学んでくれてた

17時に二日目が終了
18時の夕食まで再びひとりでみるくの里まで
急な坂道を下ってウォーキング
たちっぱなしなので部屋に戻って横になりたいが
やっばり外の空気がすいたい
戻りは急な上りになるので結構きつい


このあたりは民間企業や公的機関の保養施設が
点在しており環境抜群だが果たして使われているのやら

18時からの夕食を終えて
夕日が見たくなったので再びみるくの里へ
日没前に間に合わないかもしれないから小走りで疲れた

ラッキー間に合った
島根県の中海の上に沈みかけた太陽がみえる
あかね色に染まった空が少しずつ変化していく



普段見る夕日は
目線より高いところだが
ここは標高700m、しかも沈む先は
日本海の手前の中海方面だから眼下に見える


手前のコスモとの咲いている牧場の向こうに
没していく夕日を楽しむことができた

来た道を振り返ると道路に大勢の姿が見えて
不思議に思って近づいたら
14名の多くが自分を追ってきたという

かわいいねえ・・・

さらに

明日で別れる自分の送別会を用意しているので
と、予期しない計画を聞いて感激!

なんと講義室が即席のお別れ会場に
21時まで楽しいくつろぎタイムで
またまたビールのお世話になった

部屋に戻って翌日の準備をして
23時過ぎに床についた

1日、ゆっくりとくつろぐ時間がなかったので
床に横になってやっとくつろげた。

秋の気配漂う大山で若者たちと!

2009-08-25 23:49:17 | 輝いて生きる
25日から27日まで鳥取県大山のふもと標高700mにある
国立大学の研修施設で若い人達14名と合宿で過ごしてきた

新大阪から新幹線で岡山へ、伯備線特急やくもに乗り換え米子へ



迎えの車に乗って大山のふもとにある施設まで向かった
40分あまり、上り坂の続く車中から近づく大山の姿が
雲間から全貌を見せてくれた時は思わずおーきれい!

施設の手前にあるみるくの里で下車して写真を撮った



1日目(25日)

13時から初対面の14名と勉強を開始する
女性が多くて和らいだ雰囲気でスムースに初日をすませ
施設の周辺を軽くウオーキングして

18時からの夕食はバーべキュー
19時からは参加者が開いた懇親会に招かれて
23時過ぎまでずいぶんとビールを飲んだ

短期集中のスケジュールだから
3日間を気持ちよく精度の高い時間にするために
お互いが通じ合う懇親会は大事な機会として
とことんまで付き合うことにしている

宿泊部屋・・と言っても匂いのきつい
古い畳の間であるのは小さな机だけ
睡魔と闘いながら深夜1時まで翌日の準備

携帯電話が接続できなくて
外との連絡はまったくとれない
これも割り切ればシンプルな生活で悪くない

ロビーにテレビと新聞がある程度だが
そこに行く余裕時間がないままに初日を終了した。

明日から雲隠れ・・・しばしパソコン離れ!

2009-08-24 20:51:07 | 輝いて生きる
明日から三日ほど
山陰の大山山腹へ雲隠れしてくる

仕事で合宿をするのだから
気楽な遊びではないが

空気のきれいなところで行く夏を
大学の若い人達と学びあうのは
貴重な時間になると思う

一人で三日間を受け持つのは
きびしいがどこまでやれるか
現役の最長記録づくりに
頑張ってきたい

もし、心身に余裕が残っていたら
一日延長して鬼太郎さんの町へ
寄ってきたいと思っている

元気で生還できれば
ここで報告したい。

その間、ここは、夏休み。

夏も終盤、空は秋の気配!

2009-08-23 22:59:21 | ひとりごと
夕方、久しぶりに近くの公園にでかけた


日も傾き昼間の暑さが和らいだ公園は
大勢の人が散歩を楽しんでいた


野外音楽道から賑やかな演奏と歓声が
聞こえてきたので近くまでいったら
有料らしい

なにのコンサートかしらないが
木に登って見ていた外人さんが
写真を撮っていたのには驚いた

塀の上に手を伸ばして撮ったら・・・↑

公園内を一周して中央高台にあるテラスに行くと
ちょうど西の六甲に夕陽が傾いて
大阪空港から離陸した飛行機が
吸い込まれていくみたいに見えた


日没後の茜色に染まる空と雲を
しばらくベンチに座って眺めていた





戻り道、わが家から50メートルほどの
駅前駐車場で町内の夏祭りが始まっていた
お盆後に二日間開催される夏まつり

子供神輿のかわいいかけ声
夜店には子供たちが集まり
盆踊りも始まっていた

子供が幼稚園の頃は一緒に盆踊りを
楽しんだ、なつかしく思い出す


町内に住む知事さんは来たのかな?
去年は参加したと聞いているけれど・・・

そういえば今日から処暑
夏の暑さが和らぐ時期というが
日照時間が少ない今年の夏は
秋の訪れが早くくるのかもしれない。

暑気払い&びっくり古希祝い!

2009-08-22 23:19:28 | 交流
お世話をしているウオーキング倶楽部の
8月恒例の暑気払いを神戸三宮で開いた

9名が出席
三宮駅近くの感じのよい「0ふくろ」なる店を
今回の幹事よっしい君が予約してくれて
おいしい料理とビールで盛り上がった。

ハプニング、まったく突然のこと
ローソクに灯のついたケーキが目の前に置かれた
自分の古希祝いまでしてくれて感激!



時間に余裕があったので旧居留地あたり
ライトアップを楽しもうとでかることにした


三宮にきたら神戸市役所隣の東遊園地にある
震災慰霊碑の希望の灯りを訪ねることから


旧居留地のライトアップはおわっていたが
あたりを散策して中華街の南京町へ寄った


神戸の夜を楽しく過ごしてJR元町駅で解散した。



うまく文字が書けない!

2009-08-21 22:11:18 | ひとりごと
頂き物にお礼状を出そうと
ハガキにボールペンで書こうとしたら
きれいに書けない

書き直して
さらに書き直して
3枚目

これなら何枚書いても同じ
4枚目であきらめて
不満足なままで投函した

普段からメモ、ノート書きはしているので
この年まで文字を書くことは慣れているが
もっぱら鉛筆かシャープペンシルなので
もともとボールペンは使わない
手紙やはがきは万年筆を使ってきたので
芯の堅いボールペンとは勝手が違う

それにしても
改まって文字を書こうとすると
一字一字の形や文字間のバランスがとれない

仕事に使う文書や資料は
パソコンを使うので
きちんとした自筆の書き物を
作成する機会が激減している

使い古した万年筆を新しいものに
買い換えて
はがきや手紙はやはり万年筆がいい

もともと、きれいな字は書けなかったが
今日のはがき文字はひどかった
読んでもらうことが恥ずかしい。

硫黄島からの手紙、親・夫から子・妻へ。

2009-08-19 23:06:52 | ひとりごと
戦時中、日本軍にとっては本土防衛上で
米軍にとっては日本本土攻撃の上で
最重要拠点であった
太平洋上の小さな島、硫黄島は
太平洋戦争最大の激戦地だったが

その硫黄島で日本軍の総指揮をとり
最後まで綿密な戦術で米軍を苦しめ
後に米軍からも称賛された
栗林忠道中将は

昭和19年、日本軍の総指揮をとるため硫黄島へ
米軍の上陸で連絡がとれなくなるまで8ケ月間
激戦の最前線から
子、妻にあてて愛情あふれる手紙を
41通書いているがそれをまとめた本

「栗林忠道 硫黄島からの手紙」

を読んだ


この本、ここ数年、この時期には
書店に並んでいることを知っていたが
読んだのは今年が初めて

栗林忠道中将とはどんな人か
激戦の島からどんな手紙を家族に書いたのだろうか
という素朴な疑問が関心になった

激しい米軍の総攻撃にあい
全軍を指揮しながら
手紙の内容は実に冷静で
激戦の模様もたんたんと書かれている

いずれ本土攻撃が始まることに備えて
内地で過ごしている家族に対して
疎開など細部にわたって父親として
メッセージがつづられているのには
正直、おどろいた

本土攻撃が始まることを伝えているのは
自分が総指揮をとっている硫黄島が陥落する
ということを覚悟してのこと
生きて帰れぬというメッセージを
手紙にしたためたものだ

最後の手紙が
20年2月3日の奥さんあてのもの

日米が死力を尽くした激戦の硫黄島の
前線から書かれた臨場感が
後から書き上げた作家の作品とちがって
胸に迫る思いで一気に読んだ。

ひとりになる覚悟、「白馬童子」の死。

2009-08-17 23:30:42 | 健康
山城新伍さんが特別養護老人ホームで
たったひとりで亡くなったという

70歳、自分とは一つ違いなだけに
とても他人ごととは思えない

かっては白馬童子として
後に映画だけでなくバラエティーまで
幅広い才能でお茶の間まで進出
明るくて歯に衣きせぬ語りは憎めなかった

その山城さんが
まさか老人ホームでなくなろうとは
あれだけにぎやかな人だっただけに
ひとりで死に向かう時
どんなことを思ったのだろうか

先月読んだ仲代達矢さんの本を思い出した

仲代さんは無名塾の同志であり
最愛の奥さんである宮崎恭子さんを
がんで亡くしたのが13年前

妻に先立たれてみて
存在の大きさに愕然したという
受け入れるのに時間がかかったそうだ

仲代さんは
ひとりで人生の終盤を迎えたいま
老いていくことの不安はあるが
今を「赤秋の時」ととらえ

”真っ赤な秋を真っ赤に生きる”

決して戦うのではなく
老いも人間にとっての一つの
”進化”として
向かい合うという

もしかしたら
自分がひとり残されるかもしれない

人生の終盤は
いつもその覚悟をしておかねばならない

山城さん、仲代さんのことで
そんなことを思った。


それぞれの戦後64年。

2009-08-16 23:52:50 | 家族
昨日のブログを書いてなかなか寝付けなかった

紹介した「昭和二十年夏、僕は兵士だった」を
読んでいて俳人の金子兜太さんが、戦後の自分の人生を

 「残生」

たくさんの死者を見送ったのに、自分は死ななかった
それ以後の人生は自分にとって、残りの命という感じがあると語っている。

戦争についても被曝体験についても何も口を開かなかった
父にとって「戦後」はなんだったのか。

もしかして、死した戦友や被爆死者に対して
生きている自分の後ろめたさとか
生き残った者としてどう生きるべきか
そんな葛藤を胸にしまったままに
何十年も生きてきたのだろうか!

いまになって父の苦悩みたいなものがわかってきたような気がして
子供のころ、なぜ、戦争の話をしてくれないのか?と
父に対して詰問したり、疑問を投げかけたことを
悔やんだりして眠れぬ夜を過ごした。

今日はお盆休みの最終日
新大阪駅はふるさと帰りの人々でラッシュ状態
不況だというがとてもそんなことが感じられない光景を
見ていて平和のありがたさ
今日の繁栄の陰に
意味のない死に方をした多くの青春が
あったことを忘れてはならないと思う。


8月16日18時16分。仕事場から撮影。

8月15日。

2009-08-15 23:14:09 | ひとりごと
終日、どんよりとした終戦記念日だった

毎年のことだか今年も総理が
靖国に参拝するかしないか
外国まで巻き込むトップニュース

いつまで引きずるのか靖国問題

なにの責任もない次代の国民に
申し送りし責任逃れをしていくのか

戦争のこと
被爆のこと

なに一つ口を開かないまま逝った父が

総理の靖国参拝が報じられたテレビをみて
厳しい口調でひとりごとを言っていたことを
8月15日を迎えるたびに思い出す

外地の戦線で戦友を失い
傷病し帰還して被曝した父が
意志表示した唯一のこと

その意思を息子として
重く受け継いでく。