昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

趣味の「書店めぐり」に。

2011-04-30 23:19:04 | 本・読書・音楽
東北の震災地へのボランティア募集に希望者が殺到して
あっという間に定員いっぱいになったそうだ

年齢的に足手まといになるかもしれないが例え一日でも
被災地で役に立ちたい!
ウォーキングで鍛えたフットワークを活かすチャンスと
思いながら一歩が遅くてせっかくの連休前半の出鼻を中途
半端な気持ちで迎えてしまった

すっきりしない気持ちをリフレッシュしょうと好きな書店
巡りにでかけてぶらぶら半日を過ごした

休日だからビジネス街の書店は人が少ないだろうと思って
いたら、いたいた、普段着のビジネスマンらしき男性が
いっぱい、おー勉強してるな!なんだかほっとした


なぜ、そんなに書店に行くのか、ウォーキングしてまで・・・
と聞かれると、自分にとって書店とは

 元気をもらうところ
 勇気が湧いてくるところ
 やる気が高まるところ
 考えるところ
 アイデアが生まれるところ
 素直になれるところ
 見直しをするところ
 気付くところ
 ・・・・

売り場にある本が最高のことば(書名)で呼び掛けてくる
そのことばに出会うだけで気持ちがリフレッシュするのだ

購入する本を決めて行くのもいいが
別に買う目的でなくてもいい
ぶらり立ち寄るだけでいい

書店にいるだけでリラックスできるのだから不思議だね

待ち合わせはだいたい書店に決めている
大阪駅周辺ならA店、B店
新大阪ならC店

例え待たされても書店ならむしろ歓迎だし
約束より早く行って書店内をうろうろするのは楽しい
だから約束時間より早く行く
相手も本好きだと売り場でばったり出会ったり!

子供も絵本の年齢から本屋ばかり連れていった
おもちゃより本を買ってほしいという子供に育ったから
めちゃくちゃ読書家で関西の地を活かして日本史に強い

自分が読書家とは思っていない
それにたいした本は読んでこなかった
だから本を読む人は自分流の評価では◎をつけてしまう
読まない人は・・・・だな!

今日も買うつもりはまったくなかったのだが
ついついこのことばに誘われてしまった

 「考えすぎない」  本多時生著



多分、いまの自分に必要なことばなんだろう
そう思って迷わず買ってしまった

ついでに「激変!日本古代史」足立倫行著まで買った



家では捨てる本の整理をしているというのに
これじゃおっかけっこだな!

ブログに反響、皇后さまとスイセン、勇気と希望を!

2011-04-29 22:22:11 | 輝いて生きる
一昨日のブログで両陛下の東北被災地訪問のことを書いたが

皇后さまが被災地でスイセンの花を受け取られたことに大変な

反響があったようだ


検索したら多くのブロガーが話題にして書いていた

このブログにも沢山のアクセスがあって驚いた

ブログを始めて5月3日で5年目になるが書いた当日の

話題にアクセスが集中したのは初めて

両陛下のひとつひとつの優しい姿が被災地だけでなく

多くの国民の感動を呼んだのだろう

生きる勇気と希望をもらった思いがした


今日は「みどりの日」

「天皇誕生日」というイメージがまだ強く残っている世代だが

ふと昭和天皇も同じように災害があるたびに被災地を訪ねていた

ことを思い出した

イギリスでは今日、ウィリアム王子とキャサリン妃の結婚式が

報じられていたが、皇室が国民の身近な存在になっている英国

ではまるでタレントのような騒ぎだったな

両陛下もいつも国民の身近にと気にかけておられるのだろう

そういえば、4月10日は両陛下の結婚記念日だったがまったく

ニュースになっていなかった、気遣いだったのだろう。


28日の記事から。




探していた本を発見!再会!

2011-04-28 23:40:03 | 本・読書・音楽
一昨日から始めた【脱】その1①「捨てる作戦」の実行で
狭い家の中を占領している「本」の整理にとりかかること
にして、昨夜10時過ぎから深夜2時過ぎまでやった

小説類は適当に処分してしまうのだが、それ以外の本は
流行本を除くとだいたい残してきた

昭和50年代後半頃からのものが本箱の中にたくさん眠った
ままになっていて、もはや手にとることもあまりないだろう
と思われるものは捨てることにした

現状は前後2列入りで上下5段の書棚が7本、保存して
いるのは数千冊あると思われる

これ以外に仕事場も部屋が本だらけだがまず自宅から整理
して、とにかく本から脱出したい

まず、入口にある本箱1本を整理する作戦で4時間かけて
なんとか捨てる本と残す本を分類してみた

基本はすべて捨てるつもりで始めたのだが
○まだどうしても必要な本は残して
○きれいで他人に譲ってあげたい本も別にして
その他の本は勿体ないが15冊ずつひもをかけて捨てるため
玄関へ運んだ

15冊をワンセットにして20セット、狭い玄関が埋まった
すでに今朝、マンションのごみ置き場へ運んだのでもうあの
300冊とは永遠にお別れになった

でも最初の書棚1本が完全に整理できていないのだから道は
遠いからなあ・・・

よく活躍してくれた?本や
思い出のある本は
ついついページをめくってしまう

はさんであるメモや
書きこんだ文字・・・
なつかしい
だから作業時間がかかってしまう

そんな中で何度探してもみつからず失くしてしまったとばかり
思っていた本と思わぬ再会を果たした

 「運命をひらく心」 
   常岡一郎著 昭和43年4月8日発行 講談社 



これは自分が買った本ではない
昭和の時代にある経営者団体で理事長をされていたO先生から
最後にいただいた本で、O先生が知人だった元参議院議員の
常岡先生から寄贈されたものだ

 常岡一郎さんについてはこちら
http://homepage2.nifty.com/chushin/profile.htm
http://ryukoin.exblog.jp/

その経営者の組織(主に人の問題について勉強していた会)で
独立したばかりで仕事のなかった自分に10年間、事務局長を
任されたがO先生にはその間、ずいぶんと指導をいただいた

昭和59年頃だったと思うが確か93歳だったO先生からある
ことを頼まれた

それは本箱を何本でもいいから探してほしいということ
先生の自宅と大阪の事務所にある本をあちこちに寄贈するので
本箱も添えて送りたいということだった

北は青森まで送ったと記憶しているが、事務所にいくたびに本が
なくなっていく、自分もほしい本が沢山あるのに欲しいと言えず
先生もくれる気配はまったくなかった・・・

大口先にほぼ送り終えた頃、やっとほしい本があったら上げると
言われて選んだ本がその「運命をひらく心」という本、この本は
欲しい本だったのでまるで自分のために残してもらったようなもの
今に思えばそうだったのかもしれない

当時、独立どころか実態は病気でサラリーマンが務まらずに辞め
なんとか自立の道を開こうとしていたときで自分の将来について
不安だらけだったので「運命をひらく心」ということばが自分に
ぴたりだったから正に天からの贈り物に思えた

この本は何度も何度も読んで大事にしていたつもりだったが
いつの頃からか見当たらなくなって失くしたものと諦めていた

それがよりによって他の本のケースに入れて保管していたために
気がつかなかったのだ
大事な本だからそうしたのだと思うが忘れていたのだろう

O先生は事務所の本を全部処分し、事務所も整理してしまった
秋のある日、突然なくなってしまった

葬儀はしないようにと言われていたが、教会でのお別れ会には
2000名を越える人集まり新聞でも惜しまれる記事になった

「運命をひらく心」との出会いは、不遇であった若き頃に大きな
影響を与えてもらったO先生との久々の再会にもなった

仕事場の本棚に「運命をひらく心」は大事に保管することにした

O先生はそうして本を次の世代に引き継いだ、いまでも、どこかで
人のために役にたっているかもしれない

自分にそこまでして寄贈する本があるだろうか?
冊数はいくらあっても時が過ぎれば価値を失う本だから捨てても
惜しくはない
しかし、いつの時代でも、価値を失うことなく、人の心を豊かに
するような価値ある本をどれだけ読んできたか、O先生と自分の
読書の質の違いに気がついた。



皇后陛下とスイセン。

2011-04-27 22:34:46 | ひとりごと
天皇、皇后両陛下が被災地の宮城県南三陸町と仙台市の避難所を
見舞われたニュースが報じられていた

仙台市の宮城野体育館で皇后さまに話しかけられた佐藤美紀子さん
という女性が、津波で流された自宅跡に咲いたスイセンの束を持って

「このスイセンのように私たちも負けないでがんばります」
とスイセンの花束を差し出すと
皇后さまは「ちょうだいできますか?」と大事に持ち帰られて
東京で自衛隊機を降りる時には皇后さまの手にスイセンがあった

その場面をテレビニュースで見ていて思い出した

実は皇后さまとスイセンの花にはひとつの物語があった・・・

阪神淡路大震災で見舞いに訪れた皇后さまが皇居で咲いたスイセン
の花束を被災地にお供えになった


(哀悼と希望と・・・)

その場所がいまは「すがはらすいせん公園」となっているが
公園の一角に皇后さまが現場に供えたスイセンの花束がモニュメント
として残されている

今年の1月16日、お世話をしているウォーキング倶楽部で訪れた時
撮影したモニュメント↑とそばに咲いていたスイセンの花↓
皇后さまはスイセンがお気に入りなんだろうか



まさか、それから二月後に阪神を上回る大震災が発生するとは
思いもよらなかった

東北の被災地はこれから花の時期だろう、塩害にも負けずに
咲く花は被災地の人々に元気と勇気を与えてくれるはず

自然は厳しいばかりではない
ちゃんと春の惠を忘れずプレゼントしてくれる

71歳の自分はどんな花を咲かせようか・・・
ちゃんとタネを蒔いたかな?

そうそう、今日、天皇、皇后両陛下の案内役をしていた村井知事が
自分の住む大阪府豊中市の出身と聞いて不思議な縁を感じた



「捨てる」のは難しい!

2011-04-26 20:06:21 | ひとりごと


今年のキャッチフレーズ【脱】と【創】

【創】める前にまず【脱】からとりかかって心身や周辺を
すっきりと身軽にしておきたい

【脱】×①「捨てるもの」はないか

   ×②「やめるものは」はないか

   ×③「変えるもの」はないか

ずっと気になっているのが「本」と「衣服」のこと
これをなんとかしないと狭い部屋が余計に狭い

よし、①「捨てる作戦」でいこう!
「本」と「衣服」とどっちからとりかかるか・・・

絶対量の多い「本」に比べれば少ない「衣服」が簡単と
昨夜、ラジオ深夜便を聞きながらとりかかった
狭い家のあちこちに突っ込んであるものを引っ張り出した

もともと身に着ける物には関心がないので買わない
必要に迫られて最低限必要なものしか揃えていないから
簡単に整理できると思ってはじめたら意外やむつかしい

あっ、これ、まだ着られるぞ!
勿体ないから残しておこう!

探していたシャツを発見!
こんなとこに、これ着よう!

ズボンをはいてみるとぴたり!
これも捨てるのは惜しい!

そりゃそうだ
ウェストが少し増えたくらいで体型は若い時と変わっていない
体重はむしろ減っているくらいだから
10年前のスーツやズボンでも問題なし

捨てるのはもったいないなあ・・・
形が古かろうとそんなことはどうでもいい!

捨てる?

捨てない?

もうちょっと置いておこうか・・・と迷ってしまう
これが整理下手、捨てる勇気を持って思い切り

ネクタイは3分の1だけ残して
スーツも着ないものは捨てる

ワイシャツも下着のシャツもパンツも靴下も
どんどんビニール袋に投げ込んだ
1週間、ローテーションで着られるだけでいい

ウォーキング関係の服も最低限残して捨てる
2時間ほどでそれなりに整理ができた

運よく明朝、古着の回収があるらしいのでちょうどいい
もう捨てる袋に入れたものは見ないぞ

残ったスーツ、もう10年も着ているものがある
20年近く着ているパーパーリーのコートは保存
気に入ったらとことん着る

スーツとワイシャツとネクタイは現役の証明(制服)
この三点を捨てる時は正真正銘の爺さんになるとき
これだけは大事な相棒だから大事にしないと!

かくして「衣服」はなんとか捨てられた

問題は家中(オーバーか)を占領している本と書類
去年もかなり整理したのだが途中で投げ出した

大地震が来たら間違いなく本箱にやられる
でも簡単に捨てられるかなあ・・・・。



創める!

2011-04-25 16:01:30 | 輝いて生きる


今年のキャッチフレーズは「創」と「脱」

新しいことを何か創めたい(チャレンジ)と思っているので
それに限られて時間と命とパワーをうまく活用するためには
何かから「脱出」「脱皮」することが実現の鍵だと思っている

71歳の誕生日から一年間をこの言葉にこだわり続けながら
過ごしていきたいと年頭に書いて仕事場に張り出している

このことは何度もこのブログに書いてきたが
医師の日野原重明先生が70歳代は「創める」年代であると
提唱されているのでそれに習ってやってみたいからだ

昨日のブログで幼なじみの「俳句集」を紹介したばかりだが
今朝ふと思い出した

去年の秋頃か読んだ日野原さんと金子さんの対談本に確か俳句
のことが書いてあった

さっそく仕事場でその本を取り出してページをめくってみたら
あ、ご本人をはじめいろいろな方の俳句が紹介されている

 夜半の秋 筆執る傍で 妻眠る (日野原先生)



金子兜太さんは俳人でNHKラジオ深夜便に時々出演されている
ので知っていたが日野原先生が俳句を詠んでいるとは知らなかった

それもそのはず95歳の時に俳句を創めようと思い98歳から
創めたそうで(ということはほやほや俳人)いままでなぜ俳句
ををやらなかったかと思ったほど親しんでいるらしい
新しく自分の生きる世界が開けたとも言われている

新しいことを創めるということは新しい世界との出会いがある
ということなんだろう
創めることさえ忘れなければ歳をとらない!とも言われている
その言葉を大事にして70代を過ごそうと自分に言い聞かせている

今月13日に71歳になった日をきっかけに決意の一つとして
実は「あることを創めた」
今は震災関連に目も心も行っているのでしばらくはそっとして
月が変われば公表してもいいと思っている

俳句?という声が聞こえてくるようだが、ノー!

あの季語を入れる約束事は頭の悪い自分にはどうもややこしい
そんな面倒くさがりやで・・・新しいこととは何? 
たいしたことではない!かもしれないな。



幼なじみの自分史。

2011-04-24 18:29:53 | 輝いて生きる
幼な友達のHちゃんから
(今なおちゃんづけで呼び合うのはこの友だけ)
「俳句 自分史」そのⅡ 65歳~70歳
が送られてきた

平成6年にそのⅠを発行しているのでその続編だ



ページをめくると毎年毎年、欠かすことなく四季折々に
詠んだ句が季節ごとに編集してあり、おまけにその時々
の心境や状況や人の名前まで付記しているのだからすごい

年間に5000句あまり、大学時代からだから大変な数を
詠んできたに違いない、それを記録しているのだから驚く



俳句集は2冊だが、それ以外に自分史として3冊がある

「永遠なる者」
「岐路自分史」
「凍てる近隣」



学生時代、社会人、転勤、結婚、そして退職、フリーに
なって今日まで、趣味や家族や人生そのものが興味深く
書かれていてとても興味深く読ませてもらった

決して順風ばかりの人生ではなくて数年前には脳梗塞で
倒れ、リハビリから復帰まで生易しい闘いではなかった
はずだが、そう感じさせない文面が彼の強さなのだろう

人生の岐路を転機にしながら乗り越えてきた自分史だから
余計に心打たれ感動した



いまなお、これも学生時代から続けて磨いてきた尺八師範
としての活躍ぶりを綴った「尺八自分史」も立派!

それに、広島の生まれ育った一地域の「方言集」を編集して
図書館にまで置かれているそうだ

定年退職をした人がよく「自分史」を発行しているが彼の
自分史は記憶をたどって形式的にまとめたものではなくて
その時々に記録したものを整理して編集しているので並み
の自分史とは比較にならない

とにかくすごい

Hちゃんとはご近所の幼なじみ、小学校から高校までいつも
一緒に通学した唯一の友人だが大学から遠く離れてしまった
大手金融機関で転勤を繰り返す人生を送った彼と会うことは
ほとんどなかったが年賀状だけは欠かすことはなかった

再会するようになったのはやっと還暦を過ぎた同窓会からだが
プレゼントしてもらった自分史で長い空白期間の彼のことが
手にとるようにわかった
しかし、自分が彼にプレゼントできるものは何もないのだから
申し訳ない

せめてこのブログでこれからの自分を伝えることができたらと
思ったりするがもう遅いかな
実はこのブログの存在を知らせていないが、これを機会に連絡
しようと思う、でも下手な日記で笑われるだろうなあ・・・・

人の値打ちは、組織から脱して無所属になってから評価される
と思っているが、Hちゃんは定年退職をして個人になってから
積み重ねてきたものが世間に認められてふるさと広島で忙しく
活躍する毎日を送っているのだから立派だと思っている

子供のころから読書家、高校では新聞部で文章力には定評が
あったが、なによりも偉かったのは忙しい現役中にも仕事以外
に自分の世界をもって人生を広く生きてきたこと、几帳面に
記録してきたことだろう、記録することには自信がある自分も
これには歯がたたない、まいった!ただ、ただ敬服する!

その後の被災地「もっこ姉妹」。

2011-04-23 17:44:21 | 輝いて生きる
一昨日はうっかり食事をして病院に採血に行ったために今日は
仕切りなおし、しっかり?空腹にして再挑戦に行った?
”今朝は食事をしてませんね?”とセンセに言われて恥ずかし!

痛い採血が終わるとお決まりのミスタードーナツショップへ急いだ
ここにこだわるのはドーナツも好きだがお気に入りのアメリカン
コーヒーのおかわりをしながらゆっくりとくつろげるのがいい



そうそう、15日のブログで朝日新聞の記事から被災地でお年寄りの家
に「もっこ」に入れた弁当を配達している姉妹のことを紹介したが

昨日の日経新聞の夕刊に、その姉妹のことがまた取り上げられていた
その後も「もっこ」を背負って一日三回の弁当を配っているという

1年前に相模原市から引っ越してきて、町の人に「優しくされたから
私も優しくしたい」と二人は言っているそうだが
なんと心のきれいな姉妹だろう!

遊びたい盛りの年齢なのに、いまできることで、役に立ちたいという
思いからなのだろうが急な坂道は大変に違いない
先月の15日から、もう一カ月以上も続けているのだからえらい

25日に学校が再開するが配達は続けるという
この姉妹に弁当と教科書と夢が入ったランドセルを背負える日が早くきてほしい



あれこれ先のことばかり考えて今日を疎かにしていないか反省しないと!

今日を大事に生きること、明日はまた新しい人生が始まる!
2年前に読んだ比叡山千日回峰行の酒井雄哉師の本を久々に開いてみた



被災地の人達は明日のことより今日を生きることで精一杯だろう
あの姉妹もそうにちがいない

伊集院さんは著書の中で「ゆとり」が大人をダメにすると言っている
表現役を引退した男達が急に生気を失うのもそういうことかもしれない

やっぱり何かを背負って日々生きて行くことが生きている実感だと思う
ゆとりのない人間のひがみだろうか?






人はそれぞれ事情をかかえ・・・

2011-04-22 21:05:47 | 輝いて生きる
先日、タイトルと著者にひかれて一冊の本を買った

 伊集院静さんの「大人の流儀」



特に共感するところがあってノートに書き写しておいた
それは次の通り

”人はそれぞれ事情をかかえ、平然と生きている”

「いろいろ事情があるんだろうよ・・・」
大人はそういう言い方をする。
なぜか?

人間一人が、この世を生き抜いていこうとすると、他人には
話せぬ(とても人には言えないという表現でもいいが)事情
をかかえるものだ。
他人のかかえる事情は、当人以外の人には想像がつかぬもの
があると私は考えている。

これは、「妻(夏目雅子さん)と死別した日のこと」という
項に書かれていたものだ。


今朝の新聞に女優で元キャンディーズの田中好子さんが乳がん
で55歳の人生を終えたことが報じられていた

自分と年代は違っていたがキャンディーズのさわやかでテンポ
あるステージにも、控えめなスーちゃんにも好感をもっていた

テレビドラマや邦画は見ないほうだがそれでも女優として活躍
している彼女のことは知っていた

まだ55歳、これから女優として円熟する時、ますます活躍が
期待される時期だったのに本人もさぞかし残念だったと思う

結婚した翌年からがんとの闘いが始まったらしく以後19年も
そのことを一切口にすることなく仕事に責任感と誇りを持って
きたとご主人が話していた

”人はそれぞれ事情をかかえ、平然と生きている”

田中好子さんの人生もそうであったのかもしれないと思った

驚いたのは、その田中さんを支えてきたご主人の小達一雄さんが
伊集院さんの元妻、夏目雅子さんのお兄さんであったということ

ご冥福をお祈りします




”人はそれぞれ事情をかかえ、平然と生きている”

戦後貧しかった子供の頃、母のところに近所のある人がたびたび
お金の無心に来ていたのを見て、返さない人になぜ貸すのと母に
言ったら

”あの家にはあの家の事情があるんじゃろう”と平然と言っていた
ことを今でも鮮明に覚えている、わが家も苦しかったのに

わが家だってそうだ、ただ、平然として生きているかというと
とてもそんな状況にはない
中身は違っても、だれでもなにがしかの事情を持って生きている
のだと思うが・・・

東北の被災地の人々がかかえていく事情は、とても平然というわけ
にはいかない、”責任を持つから”と平然とひとこと言ってくれる
トップがほしい。


働き方もいろいろ、プロの働き方とは。

2011-04-21 18:17:21 | 輝いて生きる
土曜日に血液検査で病院に行くつもりにしていたが
朝から上天気で予定もなかったので病院へ行った

待合室に人も少なくしめた!と思ったまでは良かったが
急な予定変更をしたために朝食をすませていた!

ということで改めて土曜日に変更、予約
あーほんまにアホや!

それならそのあたりをぶらぶら散策をしたらいい
ということで千里中央周辺をデジカメ片手に歩くことにした





そしてお決まりの書店へ寄ってたっぷり1時間過ごして
仕上げ?はこれもお決まりのミスタードーナツへ

昔からおなじみのショップでお気に入りにしている
とくに気に入っているのがテーブルの上に従業員が
来店客に手書きしたメッセージカードだ

みんなアルバイトさんだと思うが気に入っている
今日のテーブルにはこんなことが書いてあった



6年もこの店で働いて、いよいよ社会人として
スタートしたらしい

こんなメッセージがかけるこの人もすばらしいが
そういう人間に育てたショップもすばらしい



今年、新人研修で担当したすべての人(会社)で
新人さんに推薦図書として紹介したのが

 「働き方」 

  なぜ働くのか、いかに働くのか

  稲盛和夫著



実はこの本、ここ数年、ずっと各社で推薦してきた

働く意識や目的が、その人の働き方に出てくるので
この本から学んでほしいと説明している。

ミスタードーナツを六年で卒業していくこの女性は
きちんと「働き方」、その意味を修得したはず
もう、どこかの職場で楽しく働いていることだろう

働くことはみな当たり前のこと、簡単なこと

しかし
働き方はそれぞれ違う、その違いが生き方の違いにもなる。
働く目的をきちんと正して働こうと新人さんには伝えているのだが・・・。



東日本の人たちとともに、再生・復活の道を!

2011-04-20 23:13:35 | 輝いて生きる
東日本の震災は被災者の皆さんの頑張りと全国からの
支援で少しずつ再生復興に向けて立ち上がっている

国の組織もできて復興プランも取りざたされている
原発問題の解決への見通しはたたないが日本の復活力
を信じたい

それは
原爆後のふるさと広島の復興を見ながら育ったし
阪神淡路の大震災からの復興を近くで見てきた

だから
道は険しいだろうが東日本は必ず再生復興する!と
そう思っている     

自分がそれぞれの時代を生きているというのも
何かの巡り合わせなのだろうから
東日本の再生復興をしっかり見つめていきたい

ただ
見つめていくだけでは申し訳ない
被災地の記事を取り上げているだけではいけない

果たして
自分の人生があとどれだけあるのかわからないが
もう一度、自分の再生復活にチャレンジしたい

あの陸前高田の海岸に生き残った「一本松」も
避難所で弁当を配達する「もっこ」の姉妹も

ランドセルさんもがんばれ!
とメッセージを送ってくれているかもしれない

それに応えないと!



陸前高田・希望の一本松、がんばれ!

2011-04-19 21:36:04 | ひとりごと
きのうに続いて被災地の話。

4月4日の新聞に気になる記事があったのでブログに書き
込もうと切り抜いたままパソコンの横に置いていた。

 不倒、希望の一本松
 陸前高田「復興のシンボル」



壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市の海岸線にある
国指定の名勝「高田松原」は、全長2キロの砂浜に約7万本
の松の木があったそうだ。

その松が津波で流されたり折れたりして残ったのがたった
一本、それも枝がもぎ撮られて写真の通りてっぺんにわずか
枝がついているだけ。

7万本の1、この松を「復興のシンボル」として塩水で根が
腐らないかと町の人たちが対策を練っていることが今夜の
NHK7時のニュースで報じられていた。

一人?一本になって淋しいだろうがなんとか頑張って生きて
ほしい。


震災・原発関連のことでこんな馬鹿なニュースもあった!

茨城県つくば市が福島県から転入してくる人たちに対して
放射能検査を受けるように言ったらしい、外国でそのような
ことを言われたというのならいざ知らず日本の、しかも隣県
の自治体がこのような思いやりのかけらもない非道なことを
言うとは理解しがたいことだ。

広島で育った自分はその痛みをよく知っている、広島出身と
いってはいけないと言われたものだ。

つくば市といえば日本の最先端の学術都市と理解しているが
お粗末な話、M市やT市も検査機関を紹介すると言っていた
という。
全国各地で福島県の人たちを気持ちよく迎えているというのに
近くて頼りになる自治体があれではね・・・。

原発地域の人たちを心まで流浪者にしてはならない。



被災地の姉妹、幸せになってね!

2011-04-18 22:23:11 | ひとりごと
一緒に背負う 一歩ずつ進む

15日の朝日新聞一面にこんな記事があった

宮古市の斜面に住宅が密集する高台で避難生活を送る高齢者に
「もっこ」という竹かごを背負って高齢者に一日三食の弁当を
届けている姉妹のことが紹介されていた

自宅が津波で流されて祖父の家に避難している中学生になった
お姉さんの優奈さんと妹の五年生の凛奈さんの二人

避難所の小学校からもっこを背負って20軒ほどの家に弁当を
配達しているらしい

「みんなのために何かしたいと思って始めた。学校が始まっても
できるだけ続けたい」と話しているという。



まだ学校は始まっていないのだろう
いつ「もっこ」に代わってランドセルで通学ができるのやら
早く「夢」をいっぱい入れたランドセルを背負わせてあげたい

この姉妹にどんな将来が待っているのかわからないが
がんばって幸せになってほしい

自分のランドセルの中身も古いものは捨てて
新しい夢と入れ替えて背負って行かないと!
被災地の幼い姉妹に恥かしいぞ。





若い力、がんばれ Carp!

2011-04-18 19:48:33 | カープ


公式戦が遅れて始まったプロ野球

わが広島カープにも若い力がデビューした
今シーズンは楽しみだな

今村猛選手 
2009年選抜高校野球優勝投手(長崎清峰高校出身)
16日ジャイアンツ戦でプロ初勝利!よくやった!



福井優也選手
2004年選抜高校野球優勝投手(愛媛済美高校-早稲田大学出身)
17日ジャイアンツ戦でプロ初登板・初勝利!よくやった!


そしてハンカチ王子の斎藤佑樹選手(日本ハム)も初登板、
初勝利おめでとう!

春です!何か創めよう!

2011-04-17 22:57:34 | 輝いて生きる
春です!その決意を実行に移しませんか?

地下鉄の車内広告にこんなコピーがあった

思わず 

”そうだ! ”

と心の内でつぶやいた
忘れないように暗記?して下車するとすぐメモした

自分にとって4月13日の誕生日が新年度(71歳)の
始まり、新しい1年がスタートした

あれもしたい
これもしたい

71歳だからできること
71歳でもできること
71歳から創めること

そして

自分が一番生き生きとしているとき
自分がもっとも活かせること
自分がもっとも役にたつと思うのは
・・・・・

ノートに書き続けていると

やっぱり

「人」の中にいること

恒例の春の新人さん相手の仕事をしていて
朝から夜まで燃え続けている自分を改めて感じた
やっぱり人が好きなんだなあ・・・

ブログやHPもいいけれども相手が見えないネットの限界や
一方通行の物足らなさをずっと感じてきた

365日ブログを書き続けた程度のことは自己満足に過ぎない
もっと実感の伴うことに大事なエネルギーを注げるように
チャレンジレベルを上げたい、これが正直な感想
(いつも訪ねてもらっている方には失礼を申し上げます)

ブログを止めるというのではないがやっぱり実感の伴う
人と人との中で生きていくことを最優先に切り替えたい

もちろん仕事は現役として続けることに変わりないが
仕事外でそれをどうして実現していくか
何を創めるのか・・・

ノートに書いているのだがあえてしばらくは伏せておく
これからは少しずつ形をつくっていかねば

年齢がネックになっているのかもしれないが

元気な人
頑張っている人
魅力のある人
刺激してくれる人

そんな人が身近にだんだんといなくなった
といって待っているようでは孤独になるばかりだから
出会いの旅?に出る以外ない!

春です!その決意を実行に移しませんか?

正月に作成し仕事場に掲示している↓