落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈>

刈り入れをする人たちの後について麦束の間で落ち穂を拾い集めさせてください。(ルツ記2章7節)

降臨節第3主日 <講釈>「洗礼者ヨハネの死」マルコ6:14-29

2011-12-06 20:37:09 | 講釈
S12A03(L)
2011.12.11 戸畑聖アンデレ教会
降臨節第3主日 <講釈>「洗礼者ヨハネの死」ヨハネ1:6-8、19-28(マルコ6:14-29)

1.B年の福音書、
祈祷書で定められているテキストはヨハネ1:6-8,19-28であるが、今日はマルコ6:14-29を取り上げる。
マルコの年の約3分の1はヨハネ福音書、そして時々ルカ(マタイはない)である。折角、今年はマルコと取り組むといいながらこれでは「牛頭馬肉」のそしりを受けそうなので、マルコ福音書以外の福音書が選ばれている場合は、出来るだけマルコ福音書からテキストを選びだして用いることとする。
実際に3年分の福音書の読まれ方を調べると、以下のようになる。
1年の主日日課はその年の一般暦により多少前後するので56回分が用意されている。それによると、A年はマタイ福音書が43回、ヨハネ福音書が12回、ルカ福音書が1回で、B年はマルコ福音書が35回、ヨハネ福音書が18回、ルカ福音書が3回、C年はルカ福音書が45回、ヨハネ福音が10回、マタイ福音書が1回である。
とくに興味深い点は復活節第2主日から三位一体主日までの7回の主日はほとんどすべてヨハネ福音書から読まれる(但し、A年とB年の復活節第3主日およびA年の三位一体主日を除く)。つまり教会暦ではこの期間は特別な配慮がなされている。とくにB年を注意してみると、上に述べた復活節の7回を含めてヨハネ福音書は18回も読まれる。従ってこの年は「マルコの年」と呼ばれても約3分の1はヨハネ福音書が取り上げられている。各主日の個別的な問題点についてはその時に論じることとする。

2.降臨節第3主日
伝統的にはこの主日は「教役者の主日」と呼ばれ、教役者は如何にあるべきかについて学ぶ習慣がある。この日が教役者、つまり主の仕え人の日と呼ばれるようになった理由は、この日の福音書が洗礼者ヨハネのことが取り上げられているからである。A年ではマタイ11:2-11が読まれ、C年ではルカ3:1-6が読まれる。B年は先主日にマルコ1:1-8までが取り上げられ、既に洗礼者ヨハネについての聖書の個所は読まれた。その関係もあってB年ではマルコ福音書ではなくヨハネ福音書が読まれるが、上に述べた理由により、マルコ福音書が取り上げているもう一個所の洗礼者ヨハネに関する記事を取り上げる。それはマルコ6:14-29である。この個所は非常に重要なテキストであるにもかかわらず、1年を通じて読まれない。

3.もし、マルコが洗礼者ヨハネのことを取り上げていなかったら
マルコが福音書を書くに際して2つの目的があったものと思われる。その一つはキリスト教の初めを何時とするのか。その点については先週の説教で取り上げた。もう一つの目的がヨハネ集団と教会、言い換えると洗礼者ヨハネとイエスとの関係を明確にすることであった。
先ず新約聖書において洗礼者ヨハネについて触れられている個所をリストアップしておこう。

マルコ福音書
◆MK01 洗礼者ヨハネ、教えを宣べる(1:4-8)
◆MK02 イエス、洗礼を受ける(1:9-11)
◆MK03 ガリラヤで伝道を始める(1:14-15)
◆MK04 断食についての問答(2:18-22)
◆MK05 洗礼者ヨハネ、殺される(6:14-29)
◆MK06 ペトロ、信仰を言い表す(8:27-30)
◆MK07 権威についての問答(11:27-33)

マタイ福音書
◆MK01 洗礼者ヨハネ、教えを宣べる(3:1-12)
◆MK02 イエス、洗礼を受ける(3:13-17)
◆MK03 ガリラヤで伝道を始める(4:12-17)
◆MK04 断食についての問答(9:14-17)
◆MK05 洗礼者ヨハネ、殺される(14:1-12)
◆MT01 洗礼者ヨハネとイエス(11:2-19)
◆MK06 ペトロ、信仰を言い表す(16:13-15)
◆MT02 姿変わりの後(17:9-13)
◆MK07 権威についての問答(21:23-27)

ルカ福音書
◆LK01 洗礼者ヨハネの誕生の予告(1:5-25)
◆LK02 洗礼者ヨハネの誕生(1:57-66)
◆LK03 ザカリアの預言(1:67-80)
◆MK01 洗礼者ヨハネ、教えを宣べる(3:1-20)
◆MK02 イエス、洗礼を受ける(3:21-22)
◆MK04 断食についての問答(5:33-39)
◆MT01 洗礼者ヨハネとイエス(7:18-35)
◆LK04(MK05) ヘロデ、戸惑う(9:7-9)
◆MK06 ペトロ、信仰を言い表す(9:18-20)
◆LK05 祈るときには(11:1)
◆MK07 権威についての問答(20:1-8)

ヨハネ福音書
◆JH01 洗礼者ヨハネの証し(1:6-8、15、19-28)
◆JH02 神の小羊(1:29-34)
◆JH03 最初の弟子たち(1:35-40)
◆MT01 イエスと洗礼者ヨハネ(3:22-30)
◆JH04 イエスへの誤解(4:1-2)
◆JH05 イエスのしるし(10:40-42)

使徒言行録
◆復活者イエスの言葉(1:5)
◆ペトロの言葉(1:21-22)
◆パウロの言葉(10:37)
◆ペトロの言葉(11:16)
◆パウロの言葉(13:25)
◆洗礼者ヨハネの弟子アポロ(18:25)
◆パウロの言葉(19:3-6)

上のリストによると、マルコが洗礼者ヨハネ(以下「ヨハネ」とだけ表示する場合は洗礼者ヨハネを意味する)について述べている個所は7件で、マルコより約20年後に書かれたマタイではその7点をそっくり継承したうえ、さらに2点を新たに加える。マタイと同じ頃書かれたというルカではイエスとヨハネとの関係をさらに親密にして「親戚」と、しかも誕生の時から「異能者」としている。ヨハネ福音書に至っては洗礼者ヨハネは完全にイエスの「証人」とされる。

マルコが福音書を書くまでヨハネはイエスに洗礼を授けた人物ということ以外にはほとんどまともに議論されることはなかった。むしろ初代教会においてはヨハネの集団とイエスの集団はライバル関係であったようで、それが使徒言行録や福音書に反映している。マルコはそのような状況についてさりげなく次の出来事を記録している。ヨハネの弟子たちとファリサイ派の人々は、断食していた。そこで、人々はイエスのところに来て言った。「ヨハネの弟子たちとファリサイ派の弟子たちは断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか」(2:18)。これは一応イエス在世当時のことのように描かれているが、恐らく初期の教会の状況を反映しているのであろう。この問題に対する答えとしてマルコはイエスの口を通して「花婿が一緒にいるときには婚礼の客は断食しない」と言う。つまりマルコはヨハネの弟子集団はファリサイ派の人々と同じ立ち場に立っているのに対して教会は新しい時代に属していると主張しているのである。エルサレムの神殿の崩壊という全く新しい状況に対する姿勢の問題であろう。単刀直入に言うならば、ヨハネ集団はファイリサイ派の人々と同じ立ち場に立ち続けるのか、それとも私たちと同じ立ち場に立つのかという問いかけである。この問題は、紀元100年前後に書かれたヨハネ福音書においてはさらに展開された形で、ヨハネ自身の言葉として「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」(ヨハネ3:30)という言葉となる。
エルサレム陥落後もユダヤ教との関係が継続していたと思われるヨハネ集団は、消滅の危機を迎えていたのであろう。イエスの集団(教会)とヨハネ集団とはもともと同じ方向性を持っていた。洗礼という運動方針もほぼ同様であった。イエス集団の中には元ヨハネの弟子と言われる人々も結構いたのであろう。その意味では合同する、あるいは吸収合併ということにはそれ程の違和感はなかったのであろう。
4つの福音書においても、歴史の変遷と共に、ヨハネの位置づけそのものも進展の後が見られる。その意味ではマルコ福音書はその方向への突破口を開いたとも言えるであろう。

4.テキストの分析
本日のテキストは14節~15節と16節以下とに分けられる。この2つの部分をつなぐものは、ヘロデ王の恐怖心ということだけで、それ以外にほとんど何の関係もない。ヨハネがいつ殺されたのかということについては明らかではない。マルコ福音書ではイエスが公に活動を始めたのが「ヨハネが捕らえられた後」ということである。それ以後「イエスの名が知れ渡った」と言われるようになるまでどの程度の時間が経過したことであろうか。興味深いことは、イエスの名が知れ渡るようになる過程は同時にヘロデ王の悪名が知れ渡る過程でもあったということである。そのことを一番感じていたのがヘロデ王自身であったのであろう。16節以下の部分、特に17節から28節まではいわゆる民間伝承で、こういうある種の噂話がかなり広く人々の間で語られていたのであろうし、伝承される過程において間違いや変更が加えらたらしく、当時の歴史と付き合わせるとかなり変なことがあるらしい。例えば、「ヘロデ王」という表現も正確ではなく、このヘロデはイエス誕生当時の「ヘロデ王」の息子で、彼には「王」という称号は認められていなかったらしく、マタイはこの伝承を受け継ぐ際に正確に「領主ヘロデ」と改正している。あるいは、ヨハネが収監されていた牢獄はかなり遠方にあり、パーティの最中に首を切って持ってくるということは不可能であったといわれている。しかし、そういうことはあまり重要ではなく、ここではヘロデ王の残酷さや民衆に対する気の弱さや、退廃した宮殿内部の状況さえ分かれば、それで十分である。むしろ重要なことは民衆の間でどれ程支持者がおり、また人格者であったとしても、権力者の気まぐれや戯れ事によって簡単に殺されてしまうということを知っておかねばならないことであろう。洗礼者ヨハネが捕らえられた直接の理由は彼がヘロデ王と妻ヘロディアとの不倫関係を厳しく批判したことによる。

ここで初めてマルコがこの記事をイエスが有名になったことと結びあわせた理由、とくにそれを12弟子たちの派遣の記事の直後において理由が明らかになる。預言者が有名になるということは同時にそれだけ危険性が増すということ。預言者が預言者として生きるということは、同時に死を担って生きるということを覚悟しなければならないということである。もちろん、それは「死に急ぐこと」ではない。そこがイエスとヨハネとの違いである。
このことについて、田川建三は次のように語る。もしイエスがヘロデ王のスキャンダルを耳にしていたらという仮説を立てて、イエスなら「ニヤリと笑って聞き捨てにして、相手にもしなかっただろう」という。イエスが相手にしていた問題は権力者やその家族の私生活上の行動ではなく、そういう権力者を頂点とする支配構造から生み出されるもの、日雇い労働者の賃金のあり方とか、小作人の借金の問題である。そういう問題に無感覚になってっしまっている律法学者を中心とした宗教支配の重圧が問題なのである。
その点が洗礼者ヨハネとイエスとの生き方の相違であったのであろう。

5.先駆者ヨハネ
マルコ福音書における洗礼者ヨハネの位置づけは、一口で言って「先駆者」である。この位置づけにヨハネ集団が満足したか否かはわからない。というより、彼らにとってイエス集団こそ「弟分」という意識の方が強かったのではないだろうか。ともかくマルコはヨハネにイエスの先駆者という名誉ある位置づけをする。恐らく年齢的にも、あるいは神からの召命を受けた順序もヨハネの方が先行していたのであろう。これを否定する証拠はない。イエスに洗礼を授けたのもヨハネであろうし、イエスが公式に活動を始めたのも「ヨハネが捕らえられた後」である。しかし、その見返りとしてヨハネ自身に「わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない」(1:7)と言わせる。実際にヨハネがそれを言ったかどうかは問題ではない。マルコが福音書を書いた当時のヨハネ集団とイエス集団との関係を反映している。
そのヨハネもイエスの活動のピーク時にヘロデ王の手にかかって殺されてしまう。それが本日のテキストに描かれている馬鹿馬鹿しい出来事である。実に馬鹿馬鹿しい。宴会の余興の一つとして殺されてしまう。
しかし、これを書いているマルコはどういうつもりでこれを書いているのであろう。マルコはただ馬鹿馬鹿しさを述べるためにこの出来事を語っているのではないであろう。
ヨハネの逮捕も、処刑も、この世の権力の横暴さと馬鹿馬鹿しさの証明である。しかし、これを書くマルコのハートにはもう一つの思いが込められていたであろう。ヨハネのこの馬鹿馬鹿しい処刑も、実はイエスの十字架の「先駆」である。もし、ヨハネより先にイエスが死んでいたら、殺されていたら、ヨハネは先駆者でなくなってしまう。ヨハネはイエスの先駆者として生まれ、先駆者として生き、先駆者として死んだ。これは福音記者マルコがヨハネに与えた「名誉」ではなく、神がヨハネに与えた栄光である。これこそが神に仕えるものに与えられる賜物である。

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