遠距離太郎のお話し…

“遠距離”介護に走りまわっている“太郎”クンのお話しです!!

祇園祭ツアー!

2011年07月24日 | 聞いて聞いてっ!
7月19日の記事にあるように、17日、初めて祇園祭を見に行きました。
今まで、なかなか機会が無くて…。なまじ近くのためか、
「いつでも行ける!」、「人出が凄いし…」で敬遠していました。

今回、思い立って、パックのバスツアーに乗っかりました。
読売旅行の『祇園祭と高雄の川床料理・竜安寺の石庭』コースです。
観覧席、いい席は、個人では取るのが面倒。
こんな点、パックツアーは便利です。

17日、朝8時、阪急の某駅近くの集合場所から、バスでスタート。
後は、ザッと、写真の蔵出しです。

京都到着。ツアー添乗のお姉さんに案内されて、
指定観覧席に向かいます。

 

指定席は、烏丸通御池近く。確かにいい場所です。
着いたのは、巡行の1時間ほど前。
ツアーの一行は、席の位置を確認して、バラバラに。
僕は、さっそく近くのうどん屋に逃げ込んで。
だって、日差しが暑い暑い!!
 

指定席が設定されていない一画は、こんな具合。

 

道路から、人があふれています。

11時ごろ、最初の長刀鉾がやってきました。
 
 

観覧席を通り過ぎ、新町通りの交差点で辻回しに入りました。

 

いろんな山が続きます。

 

菊水鉾が近づいてきました。

 

 

 
 
観覧席のすぐ近くにきました。

    

僕、太郎、観覧席の一番前に陣取っていました。
すぐ目の前を通り過ぎて行きます。

 

1時間半ほど、観覧席で楽しんでいると、
「そろそろ昼食を取りに、高雄へ移動しますっ!」と。
「エッ!? まだ、全部見ていないのに…」
山と鉾は、全部で32台。23番の船鉾が近づいて来ています。
「残念…。パックツアーだから仕方ないか…」
でも、実は、菊水鉾(17番)の頃には、観覧席には、
ほとんど人がいなくなっていました。暑さで…。
 

「これで要領も解ったし、次は、個人で、心行くまで
 見にこようっ!!」

ツアーは、川床料理を食べに高雄へ。

  

会場は、高雄観光ホテル。神護寺の入り口にあります。
高雄へは、一昨年の秋、紅葉狩に行ってきました。
 
実は、この紅葉狩り、僕、太郎の他のブログに
詳しくアップしてあります(ブログ、二つあるんです…)。
それを、ちょっと引用すると…

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やっと神護寺の山門です。
周りを見ると、険しい登りでバテバテの人が、
そこら辺に座り込んでいます。
考えてみると、バリアフリーとは反対の世界で…。

0911

神護寺は、京都の紅葉の代表のひとつ。
この秋は、この神護寺と東福寺の紅葉さんに
出会うことを楽しみにしていました。

が、また雲が垂れ込め始め、
光が翳ってきました。
紅葉さんにしても、桜さんにしても、
紅や黄色の葉、さくらいろのは花びらに、
光と風が協力して、ハッとするシーンが紡ぎ出されます。
せっかく高雄まで来たのに…。

とかなんとか言いながらも、
「どっかに素敵な紅葉さんはいないかなァ~」と歩き始めます。

広い境内です。
毘沙門堂、五大堂(京都の観光ポスターにもよく載っています)から金堂。 
そして竜王堂から地蔵院と。
「ウ~ン。 どこも今ひとつだなァ~」

再び山門近くまで戻ってみると、
雲が少し切れ、明るい光が射し始めました。
すると、山門近くの書院の前に、
スゴク素敵な色合いの紅葉さんが。

0911_2

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この紅葉を見ただけでも、高雄まで来た甲斐がありました。

さて、次は高雄の山を降りて、再び嵯峨野に向かいます。
行き先は嵯峨釈迦堂です。

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この時は、紅葉の盛り。かなりの人出でした。
昼飯をサッと済ませて、また神護寺への石段を登ります。
紅葉の頃と違い、人がほとんどいない。

     

広い境内もご覧の通り。遠近感が狂いそうです

 

この境内で風に吹かれて…。
帰りに参道の御茶屋でかき氷を。
この夏の、ほっとできる一時で~す!!

 


-end-

台風に、見舞いに、鰹に、大波に、夜行バスに!

2011年07月23日 | 聞いて聞いてっ!
この週末は大阪で過ごしています。

金曜日に、T病院に電話して、父さんの様子を確認。
心身ともに落ち着いて、「今から、リハビリルームに、
行くところでした!」と。まだ食事が細く、時には、
「食べたくないっ!!」とダダをこねることもあり、
小さな点滴を1日に1本入れています、と。

この電話でのやり取りをを受けて、まずは安心。
安心して、大阪でアレコレと用事を片付けています。
  

でも、前回の帰省はキツカッた~!
  

夜行バスで、早朝5時半に高知着。
市内をあちこち、パタパタと走り回り、台風を避けて、
夜10時半の夜行バスで、高知を出る…。
往復ともが夜行バスになると、正直、キツイ。
  

高知、大雨は降ったものの、高知市内では被害なし。
こういった台風襲来といった事態のとき、
今のように施設にお世話になっていると、ありがたいです。
余計な心配をしなくて済みます。老人だけで住んでいると、
何かとトラブルに巻き込まれます。 
例えば、強風の中、家の見回りをしていて、
風にあおられて転倒。そして、骨折…、とか。
そんな心配をしなくてもいい分、安心できます。

午前中、T病院を訪れて、看護師さんに状態の確認。
父さんは、朝飯のあとで、気持ち良さそうにグーグー。
気持ち良さそうだったので、無理に起こしませんでした。

  

T病院を後にして、高知駅へ。高速バスの予約の変更です。
当初は、19日の昼の便で大阪に帰る予定。
が、台風で、下手すると四国から出られなくなるかも…。
早い便で空きがないか、高知駅バスターミナルで、確認。
すると、ラッキーなことに、夜10時半の便に、一席だけ空きが。
もちろん、予約変更です。
 (事実、翌日は、朝から飛行機とJRは運休。
  昼から、高速バスも全便ストップしました)

 

この写真、「志国しこく高知 龍馬ふるさと博」の目玉として
高知駅前に設置された、坂本龍馬、武市半平太、中岡慎太郎の
レプリカ像です。
 (背景にあるドーム型の屋根は、高知駅の駅舎です)
18日の昼過ぎの撮影ですが、この後、台風の強風で
転倒の虞があるとして、一時撤去されました。
夜のTVローカルニュースで、クレーンで吊り上げられ、
トラックに移される映像が流れていました。
 
その後、午後3時ごろ、ケアハウスに足を運びました。
母さんに、父さんの状況を説明しました。
リハビリが何とかスタートしたことを説明すると、
母さんも、とりあえずは安心してようで…。

ケアハウスのスタッフさんもT病院を訪れ、
父さんの様子を確認して、母さんに伝えてはいました。
が、息子が、実際に見て、直接伝えると、一層安心できるようです。

スタッフさんと一緒に、玄関先で見送ってくれました。

  

ケアハウスを出た後、海辺に。18日夕方の海です。
今まで、何回か、このブログにも登場している海岸です。

    

それが、こんな風に荒れて、大きな波が…。

 

 

 

生まれ育った土地柄、荒れる海は小さいときから
見慣れています。そうは言っても、大波が砕け、
沖からは巨大なうねりが次々に押し寄せてくる…。
じっと見ていると、恐怖感を覚えます。

さて、市内へ帰ろうか…。
そういえば、まだ昼飯、食ってなかった!

で、6月19日の記事にある『海のレストラン 鰹群家』さんへ。
ここ、写真を撮った海岸から、歩いて5分です。
「少しは美味しいものをとって、馬力をつけないと!!」
  

今回も、鰹料理で。

  

鰹カルパッチョ(\680)と鰹竜田揚げ(\480)、そしてビール!

 

カルパッチョ、これ、美味しかったです。
ドレッシングが、鰹と上手くマッチ。
鰹、刺身やタタキで食べるときも、洋風のソースや
ドレッシングが、意外によく合います。
僕、太郎、アリオリソースで、食べることも多いです。
是非、試してみてください!

 

竜田揚げは、美味しかったけど、
鰹自体がいい鰹だったので、勿体ないような。
いい鰹は、生で食べたい!

この後、いったん家に帰り、6月19日の記事にあるように、
父さんを再び見舞って、大阪に向かうバスに。

 

かなりシンドイ、連休になりました。

-end-

“ゆっくりと日曜市”・・・、の続き。

2011年07月19日 | 聞いて聞いてっ!
7月14日の記事の続きです!

日曜市、イモ天とビールで良い気持ち…。
 

アレッ? 何だ、あの人だかりは?

 

ちょっと足を運んでみると、これも日曜市名物の
立ち食いうどん屋さん。このうどん屋さん、TVの
『秘密のケンミンshow』にも登場しています。
もっとも今の時期は、素麺やトコロテンがメインですが。

 

 

覗いてみると、どこかで聞いたことのある、
甲高い女性の声。

「誰が取材に来てるんだろう?」

 

 

「何の取材だったんだろう?」と思いましたが、
後で、高知ローカルの情報源としてよく見るブログ、
『城西館コンシェルジュ日誌』に、熊田&三田村の記事が。
テレビ大阪『おとな旅あるき旅』の取材だったようです。
(http://jyoseikan.blog21.fc2.com/page-1.html)

日曜市、“高知ローカル”のエッセンスなので、よくTVの取材に出会います。
今年の初めには、確か松村邦邦弘が、“食べ歩き取材”してました。

で、この取材を見た後、馴染みの露店の女将とアレコレ。

「いやぁ~、僕、熊田曜子のファンだけど(これ、ホントです)、
 彼女~、美人で、気立ても良さそうだねえ~」と僕。
「三田村さん、予想以上に小顔で、上品な感じねえ!」と女将。

こんなやりとりも、いいものです。

-end-

祇園祭に、帰省に、台風に・・・。 あ~、シンドッ!

2011年07月19日 | 聞いて聞いてっ!
あ~、シンド…。

この連休、思わぬ強行スケジュールに。
 

16日の土曜日は、久しぶりに大阪の家で、アレコレ。
掃除をし、地上デジタル対応のTVの納入に立会い、
溜まっている書類を整理し…。

17日の日曜日は、京都で祇園祭の見物!
大阪生活20年を超えるのですが、
いまだ祇園祭を見たことがありません。
「いつでも見れる」と、“超”人出もウンザリで…。
が、「一回くらいは見に行かないと…」と、
読売旅行のパックツアーに申し込みました。

で、ツアーに乗っかって京都に!
でも、暑かった…。
 
 (祇園祭は、後日アップ予定です) 

当初の予定では、18日の朝、高知に向かい、
19日の午後(有給とりました)、大阪に戻る予定でした。

京都から帰って、台風情報を見てみると…
台風6号が接近中。19日の夜高知に最接近、もしくは上陸。
「早く行って、早く帰ってこよう!」と予定変更。
暑さでバテバテでしたが、荷物をまとめ、
夜行便のバスに乗るため、ターミナルへ。

高知へ朝5時半頃に着き、一服後、父さんを病院に見舞ったり、
母さんを訪ねてケアハウスに行ったり。
昼頃、ネットで台風情報を確認すると、
どうも速度が速まり、モロ高知を直撃しそう…。
  
またまた予定変更。18日の夜行便で高知を出ることに。

 「朝、夜行できて、その日の内に
   夜行で帰るのか…。キツイなぁ~」

で、夕方、病院へ。
ホントなら、19日に朝、病院のリハビリ担当や
薬剤師さんと打ち合わせの予定が。
それが今回の帰省のメインの目的でしたが、
それどころでない。これは、電話で代替しよう。
四国から出れなくなれば、仕事が詰まってしまう…。
(事実、今日の昼前に、バスも、列車も、飛行機も
 すべて止まってしまいました)
最後に、父さんの様子を見ようっ!!
  

父さん、先週末から血圧が安定してきました。
安定したので、リハビリもどうにか始まりました。
15日には、病室からリハビリ室に行って、
立ち上がり訓練も始まりました。
体が動き始めると、オツムも、内臓も動き始めたようで、
口からの食事も取り始め、話もするように…。

病室に入ったのが、夕方の6時半。
夕食後で、父さん、もうウトウト。
声をかけると、すぐに目を開けました。

台風が高知に接近、上陸の虞も。仕事もあるので、
急遽大阪に帰ることになった旨を伝えました。
すると、小さな声で、

 「そうかぁ…。無理するなよ…」

手を握り、その後病室を出るとき、「バイバイッ!」手を振ると、
父さんも布団から手を出し、小さくバイバイと。

   

父さんの手も小さく、柔らかくなりました。
リハビリが順調に進んでくれますように!

-end-

ちょっと一服! ゆっくりと日曜市

2011年07月14日 | 聞いて聞いてっ!
今日、T病院に電話して、父さんの様子を確認。
看護師さんの話では、今日は血圧も落ち着いていて、
車椅子に移乗して、スタッフに押してもらって、
フロアー内を散歩。

それだけでも、体には良い影響があり、
食事も口から取れた、と。
明日も、安定した状態なら、リハビリルームで、
ごく初歩のリハビリにもトライしてみようか、とも。
こんな調子が続いてくれれば。
  

病状ばかり綴っていても、気が重くなるばかり。
ちょっと一息いれて!

10日、日曜日、いつものように日曜市へ。

日曜市も、すっかり夏の趣き。

 

目的は、野菜の買出し。
路地物の茗荷に、坊ちゃん南瓜に、室戸の新芋に…
ずいぶんと通っているので、馴染みの店も。
店の主との立ち話も楽しみです。
  

午前中に行ったのですが、すでに気温は30度超え。
いつもは長蛇の列の天ぷら屋さんも、閑散。

  

好物のイモ天を買って(これ、隠れた高知の名物なんです)、

  

店のすぐ近くの、露店と露店の空きスペースで、

  

ビールを片手に、ちょっと一息!
(どこへ行っても、ビールが付いてきますね…)

  

この後、熊田曜子&三田村邦彦のTV取材ロケにも出会ったのですが、
続きは明日以降に…。
  

  

-end-

転院は無事に終了。でも・・・

2011年07月12日 | 聞いて聞いてっ!
7月8日、父さんの転院日です。

11:30にN病院の病室に行くと、すでにS叔母さん(病院の近くに
住んでいます)が荷物をまとめてくれていました。

  

病院の支払窓口で、費用の清算と各種書類の受取。
『清算済み証』を入院フロアーの事務担当に手渡し、
これで退院手続きは完了。

この間に、父さん、N病院での最後の昼食を取って、
13:00頃、病院に手配してもらった寝台車(民間の救急車)が
やってきました。

担当者が病室に入って来たんですが、
父さん、声をかけて体をゆすっても、起きる気配待ったくなし。
で、そのままストレッチャーに移して、病室を後に。

お世話になった看護師さんや、介護のスタッフさんに礼を言って、
エレベーターに乗り込みました。

S叔母さんとは、病院の救急出入り口で、お別れ。
僕は、寝台車に同乗して、転院先のT病院に。
車で15分ほどの道中でした。父さん、まったく目が覚めない。
その横顔を見つめながら、少し不安も覚えました。

  


  さらに認知症が悪化するのではないか… 

  リハビリが進まず、寝たきり状態になるのでは…  

T病院に着くと、さっそく入院手続きを取り、簡単な検査を。
そして、病室に入りました。今度は、T病院で、リハビリ目的の
入院治療のスタートです。

が、やはり起きない。寝たまま…。

  

僕、太郎の希望は、再びHケアハウスに戻ること。
ADLが落ちても仕方ない。とにかく、戻ること。
戻って、夫婦そろって“一つ屋根の下”で暮らすこと。
なんとか、そこまで回復してくれれば…。
  

でも、先行きは長くなりそうです。

今日昼間、T病院の父さんが入院しているフロアーの
T看護師長から、僕の携帯に連絡が入りました。
入院手続きや持参品についての相談でしたが、
おっかなびっくりで、父さんの状況について聞いてみました。

 
 「おとうさん、なかなか指示が入りません。

  時には、こちらの言うことに

        反応してくれるのですが…」




今日、千葉に住んでいる父さんの従姉から連絡が入りました。
この従姉、父さんより一つ年上で、数年前に大きな手術をしました。
このおばさんに、「…、僕、困っているんです…」と打ち明けると、

 「太郎ちゃんね、年をとると、若い人と違って、
  術後はいろいろあるのよ。おばさんも経験あるからわかるけど、
  転院だって、ただ病院を移るだけでも、すごく負担になるの」と。

少し時間がかかっても、Hケアハウスに戻り、
夫婦揃っての時間が、再び進み始めますように!
 

-end-

転院です! でも、ちょとくたびれてきた・・・

2011年07月06日 | 聞いて聞いてっ!
  
     (病院の待合の七夕飾りです)

  
     (よく見ると、心からの願いが…)

父さん、少しずつは回復してきました。
先週戻ったときは、介助付ですが、口から食事も。

  

この8日、金曜日に父さん、転院します。
昨日、N病院の看護師長から電話が。
で、相談の結果、この金曜日となりました。

とはいえ、6月28日のブログのように、血圧が不安定のため、
リハビリは思うように進んでいません。

  

リハビリ用に車椅子も準備されたのですが、
ほとんど使えなかったとのことです。

が、抜糸も済み、容態も安定してきたので、転院となりました。
ホントはもっと入院していたかったのですが、
N病院は、救急&重症専門病院。
今まで入院できただけでも「良かったかなぁ…」とも。
転院先は、当初入院したT病院。
このT病院の相談員のTさんとも、金曜日の準備について、
電話で打ち合わせ。
もちろん、僕、太郎も明日の夜の高速バスで高知に帰ります。

僕も、正直少し疲れています。
暑さもあるし、仕事も忙しく、結果もいまいち…。
それやこれやで、「だるいなァ~」と。
 
帰ったら、自分へのご褒美に、土佐ジロー(地鶏です)の焼き鳥か、
脂ののり始めた鰹か、四万十鰻の蒲焼でも食べに行こう!
 
   

-end-